その悪女は、ツイている。
目の前に置かれたスープ皿。
食事はまだ序盤。私は一気に気分を害された。
「こんなもの食べられるわけないでしょ」
私は、皿を投げた。
スープが飛び散る。
「も、申し訳ございません。只今、代わりを……」
「もういらないわ」
すくっと席を立つと、部屋を後にする。
私は『悪女』。この世界の。
――ええ。もちろん前世の記憶がございますよ。だってそういう物語ですもの。『異世界の悪役令嬢に転生しちゃった』っていう、お話のね。……婚約破棄? 断罪? 国外追放? べつにどうってこともない。すれば? って感じ。
私は部屋に戻ると、お茶を用意させる。
(何なの? あのスープ。いつも言ってるのに!)
嫌いなオレンジの野菜。小さく浮かんでた。
(……最悪。本当に気分が悪い。嫌がらせなの? お肉、食べたかったのに! 本当に腹が立つ! 私は肉食なんだからね! この世界での私は見た目、細くてか弱い感じだけど……)
――コンコン。
私室に父が来た。
「リリ、大事ないか?」
「ええ」
「良かった……」
「え……?」
なぜか、父は大袈裟なほどにホッとした。
私は小さく首を傾げた。
「あれには毒虫が入っていたのだ」
「――は?」
「気がついて、驚き、投げたのだろう? リリが気づいていなければ、大変な事になっていた。本当に良かった」
父は私をぎゅうと抱き締めた。
「担当の者は解雇した。もう心配はいらないよ」
父はこの国の宰相で侯爵だ。
私は侯爵令嬢リリアナ・イストローズ。
一人娘で両親に溺愛されている。
「バーノン様、リリアナ様、お茶のご用意が整いました」
従者アルバートが恭しく礼をする。
彼は遠縁の伯爵アフェリクス家の次男で私と年が近いのだが、なぜかここで私の従者をしている。
そして、実は――彼も転生者なのだ。
ついうっかり口にした前世の言葉にアルバートは返事をしてしまった。お互いに、ついうっかりだ。
それから私たちは、お互いにお互いを見張り合う関係になった。
彼が常に側にいるのも、私の『うっかり』が出て彼自身の身も危うくなることを避けるためだ。
私は、彼に信用されていない。
「それにしても……さすがお嬢様でございますね。毒虫にお気付きになられるとは……」
(顔が笑っているよ、アルバート。思ってもいないことを口に出すんじゃない。――この性悪男。私の嫌いなアレが入っているのに、気がついていたくせに……本当に嫌な奴!)
私はジロリとアルバートを睨み付けた。
彼は視線を外した。
私はツイている。
どんなに悪いことをしても、結局、悪くないように変換される。――しかし、私は『悪女』なのだ。そうあらねばならない。
よく考えてみれば、前世からツイていた。
子どもの頃、近所の商店街の福引きは、必ず末等以外の景品が当たった。まぁ……特賞とか一等とかではないのだが、それなりに『おっ、当たった! ラッキー』って程度の幸運。
お年玉付き年賀状も届く枚数にしては必ず切手は当選していたし、運動会などでも一位を走っていた子が転んでしまい、自分が一位を取ったり。
雨の日に持っていた折り畳み傘が折れてしまったが、偶然にも入れ替えようと持っていた新しい傘が鞄に入っていたり。
折れた傘を捨てる場所に困っていると、偶然にも近くにいた傘を持たない人にそれを押し付けることが出来たり。
突然の雨に降られれば、偶然にも隣に居合わせた人が傘を二本持っていたり。
些細な運の良さがあった。私はツイていたのだ。
「アルバート」
「はい。お嬢様」
「貴方にずっと聞きたかったことがあるのだけど」
「何なりと」
「――――――」
アルバートは驚き、そして、俯き、肩を揺らす。
私の発言に恐怖し、震えているのだろう。
なぜ、今、その言葉を口にしたのか、と。
私は――やっぱり『悪女』だ。
◇◇◇◇
アルバートは口元を抑え震えていた。
込み上げる微笑みを抑えるのに必死だった。
(ああ、この人はなんて可愛いのだろう)
彼女は分かっていない。自分が周囲の者からどう思われているかを。――正確には。
彼女は自分を『悪女』だと思い込んでいる。
ある時、彼女付きの侍女が、彼女の部屋の花瓶を割ってしまったことがあった。彼女はすぐその場でその侍女に暇を出した。
後で話を聞くと、その侍女はその時、熱があり、体調を崩していた。それに気がついた彼女が花瓶を割ったことを理由にまとまった休みをくれたのだ、と。
その侍女はそのさりげない優しさに感激し、体調が回復した後、すぐ仕事に復帰した。彼女の好きなガーベラをアレンジし、飾っていると、それを褒められたと喜んでいた。
彼女は解雇した侍女の顔を覚えていなかったのだが、彼女の優しさに触れた侍女は忠義を尽くすことにした。
別の侍女も彼女から暇を出された。理由は『そんな辛気くさい顔は見ていられないから』というものだった。
その侍女は田舎の両親が流行病にかかっており、死に直面していた。しかし、家に帰れずに心配していることしか出来なかったのだ。
ところが彼女に出された暇により、両親を自身で看病し、最期の時を一番近くで一緒に過ごすことが出来た。
この侍女もまた彼女に感謝し、忠誠を誓った。
いずれの場合も彼女は侍女たちの顔を覚えていなかった。それもそのはず。この屋敷には多数の侍女がいる。
それも顔ぶれは、割とすぐに変わる。多すぎて、敵対する貴族の刺客などが紛れている事が良くあるからだ。
それに対しては、自分や執事長が確実に処理しているから問題はないのだが。
だから、侍女はよく変わる。
僕は彼女に近づく奴ほど念入りに調査する。忠義や忠誠を誓った者たちなら側に置いていても問題はないだろう。
こうやって彼女は、彼女が意図せず、自分自身を確実に護る囲いを自分の手で形成していく。
僕が初めて彼女に会ったのは、雨の中だった。
この日は、土砂降りの雨だった。
「予報では雨が降るなんて言ってなかったのに……ツイてないな」
僕の呟きは激しく打ちつける雨音で消えていく。
止みそうにない雨に、いつ出るかタイミングを見計らう。今日は大切な商談があり、仕立てたばかりの一張羅を着ていた。商談はこれからだ。この雨で濡れるわけにはいかないが、あいにく、近くに傘を手に入れられそうな店もない。
不意に、隣の女性が目に入る。
彼女の傘は折れていた。それでもまだ充分に使えそうな傘を彼女は僕に押し付けた。驚いて戸惑っていると――
「折れて、使えないの。ゴミ箱が近くにないから、捨てておいてくれる?」
彼女は真新しい傘を鞄から取り出すと、雨の中を颯爽と歩いていった。
その美しく凛とした後ろ姿に見惚れてしまった。
しばらく、僕はそこから動けずにいた。
彼女から押し付けられた傘を差し、濡れずに商談に行くことが出来た。商談は、驚くほどスムーズに進んだ。商談が終わり、窓の外を見ると、雨はすでに上がり、虹がかかっていた。
―――彼女は、女神だ。
彼女に会いたくて会いたくて、たまらなかった。
僕と彼女を結んだ『運命の赤い傘』。
僕はそれを捨てられずに、ずっと持っていた。
その日から僕は何をやっても、ツイている。彼女のお陰だ。
今日も商談が上手くいった。あの赤い傘を、鞄に忍ばせて。僕はトントン拍子に出世していく。
そして、今日はさらにツイていた。ついに彼女に会えたのだ。それから僕はツキ始めた。
彼女の会社はわりと近くにあった。家まではバスで一本。彼女がよく買い物をする店を僕もよく利用するようになった。
ある日。仕事からの帰り道。定休日の店の軒下に彼女が佇んでいた。
その日も、あの日のような土砂降りの雨だった。
鞄から折り畳み傘を取り出し、彼女に差し出す。
「まだ新しいので、良かったら」
彼女が顔を上げ、目が合うと戸惑ったように視線を彷徨わせた。
「いただけません」
僕は優しく微笑んで、話を続けた。
「それなら使っていないのですが……僕が持っていた中古品ですので、百円で」
「え?」
「貰えないって言ったから。僕から買って下さい」
彼女は『ぷっ』と吹き出した。そして、財布から百円玉を取り出すと――
「傘、ください」
そういって僕に手渡した。僕はその百円玉を受け取ると、彼女に赤い傘を渡す。そして、自分の傘を差すとその場から歩き出した。
僕の後ろを彼女がツイてくる。
僕の口角は上がりっぱなしだ。
単身用のマンションに着くと、傘を畳んだ。僕の後ろには――彼女がいた。
「あれ……? 同じマンションだったのですね?」
彼女の驚いた声に、僕は振り返る。
「そう……みたいですね?」
――当たり前だ。僕はツイているのだから。
それから、僕と彼女は、偶然会えば話をするようになった。お互いを認識してしまえば、出会うことなど容易い。
彼女がよく使うカフェ。ランチの場所や仕事帰りに買い物をする店など。行く時間も大体、分かっている。
だけど、その日は違っていた。彼女の様子がおかしかった。彼女は――何かに怯えていた。
僕は堪らなくなって、声をかけた。
「顔が真っ青ですよ? 大丈夫ですか?」
彼女は薄茶色の大きな瞳を見開いた。そして――彼女は大きく首を振った。
「あ、あなたは……」
僕は首を傾けた。
(彼女は……僕に何を伝えたいのだろう?)
彼女は後ずさりすると、急に道路に飛び出した。そこに猛スピードでトラックが突っ込んでくる。
僕は夢中で彼女を抱き締めた。
気がついた時には、この世界にいた。
彼女のいない世界など、僕のいる世界ではない。
(――ツイていない……)
そう落ち込み、辛く苦しい日々を過ごしていたのだが、親戚の集まりで呼ばれたパーティーで彼女を見つけた時、この上なく歓喜した。
絶望に染まっていた僕の世界は、一瞬にして晴れ渡った。あの日見た、虹のかかった雨上がりの空のように。
彼女はこの世界でも輝いていた。――僕の女神。もう絶対に側を離れない。どこまでもツイていく。
「ねぇ。アルバート」
「はい。お嬢様」
屋敷の主が下がったお嬢様の部屋。思いがけず、かけられた甘い呼び声。耳から入ったその声に僕の脳は溶ける寸前だ。
「ストーカーって、知ってる?」
僕の思考がピタリと止まる。僕は一瞬、俯いた。
ただ次の瞬間には、すでに彼女のことでいっぱいになった。
(ああ、可愛らしい。――やっと……やっと、気がついてくれた。僕を見てくれた)
「ええ。その言葉は存じておりますよ」
彼女はにっこり微笑む。
「アルバート。貴方は――私のストーカー?」
「いいえ? 私はお嬢様にツイている従者ですよ」
「それをストーカーと言うのではなくて?」
「滅相もございません。私の職務でございます」
「ふぅん。そう……」
(お嬢様は――前の世界を覚えていないのか?)
ずっと、気になっていた。――あの時、なぜ飛び出したのか。僕に、何を言おうとしたのか。
機会があれば、知りたかった。
「お嬢様。お嬢様は、前の世界のことをどの程度、覚えていらっしゃるのですか?」
彼女は僕に視線を合わせる。しかし、すぐに逸らすと俯き、大きく呼吸した。
「ほとんど、覚えていないわ」
「そう……ですか……」
「ただ……」
再度、僕に視線を合わせると、
「なぜか貴方を知っている気がするの」
僕は目を見開いた。
(僕を……僕だけを覚えていてくれている? こんな幸せでツイていることがあって良いのか!)
本当に僕は――ツイている。
◇◇◇◇
アルバートは、きっと前の世界で会っている。
私は思い出せないのだけど、彼は――多分、いいえ、きっと私を覚えている。
(彼は私と――どういう関係だったの?)
彼の視線はたまに狂気を含む。――仕方がない。私は『悪女』なのだから。多分、前の世界でもそうだったのだろう。
(親や兄弟の仇とか? もしくは、彼自身を私が陥れたのか……)
覚えていないから、分からない。
とにかく、この世界では殺されないように気をつけよう。まさか、スープに毒虫が混入していて、死ぬかもしれなかったなんて、思いもよらなかった。
(っていうか、虫など食べたくもないですけど! 毒を仕込むなら分からないような毒にしてほしいわ! ――あら? でも、私が見たスープには虫なんて入っていなかったと思うけど。一体、どの時点で混入したのかしら……?)
それにあの時、アルバートも側にいたのだ。私の嫌いなアレが浮かんでいるのを、きっと嬉しそうに見ていた。もしも毒虫が浮いていたなら、その時点でアルバートが下げていたはず。
(――とすると。アルバートが私を殺そうとしたのか? やはり彼は私に深い怨みがあるに違いない)
前の世界からツイてくるほどの怨みだ。きっと、相当なことをしてしまったのだろう。
やはり『悪女』は『悪女』だったのか。
(死んでも治らないって、これだっけ? あれ? 違ったな。“馬鹿は死ななきゃ治らない”だったね。私はバカだったのかな? あ、死んだら治るのか。じゃあ、やっぱり私は、ただの『悪女』か――)
私は王城のガーデンパーティーに来ていた。
澄み渡る青空に、あの日を思い出す。
ずっと使っていたお気に入りの赤い折り畳み傘。替えなきゃと思ってはいたが、なかなか手離せずにいた。
あの日。
土砂降りの雨でついに傘は折れてしまった。いつ取り替えてもいいように入れていた新品の傘を使う日がやってきた。
新しいものを初めて使うとき、ドキドキしたり、ルンルンしたりするものだけれど、その日は違っていた。
とてもお気に入りの傘だったのだ。それが壊れてしまった。最後に何か役目をあげたくて、隣にいた身なりの整ったお兄さんに押し付けた。
私の手では、捨てられそうになかったから。私の知らない人に私の知らないところで、そっと捨てて欲しかった。
あの後の雨上がりの空。今日の空は、あの時の空に似ている。――違う世界なのに。不思議と空はどこも一緒で繋がっているようにさえ感じてしまう。
あの人は私に押し付けられたあの傘をどうしたのだろう。きっと――すぐに捨ててしまったのだろう。折れた傘などに使い道はない。
「リリアナ様」
アルバートが耳元で囁く。良質な低音ボイスに、くらりとする。
ふらついた私をアルバートがすかさず支えた。
「ご体調が優れませんか?」
「大丈夫よ、心配ないわ」
「ご無理はなさらずに」
「婚約者様にご挨拶しないと」
私はアルバートから離れ、ニッコリと微笑むと、彼からいつもの狂気を感じる。
背筋がぞくりとした。
「リリアナ。よく来てくれたね」
「ジオルド第一王子殿下。本日はご招待いただき、ありがとうございます」
「エスコートしよう」
「まぁ、嬉しいですわ」
婚約者の王子と微笑み合う。私の背中には、先程以上の殺気。
(アルバートよ……王族の前で、殺気を放つのはどうかと思うよ。君の命の方がよっぽど危ない)
ジオルド殿下は苦笑いを浮かべている。殿下は、確かアルバートと同じ年で、学友だったはずだ。
「アル。相変わらずだね」
「リリアナ様にあまり触れないでいただけますか。正式には、まだ婚約者候補ですので」
殿下は、さらに苦笑いする。私は大きくため息を吐いた。
(なぜ、アルバートは殿下に喧嘩を売るのか。――学生時代、二人の間に何かあったのだろうか?)
「アルはリリを溺愛しているからね」
「――は?」
王子に対して思わず不敬ともとれる声を出してしまった。――婚約破棄どころか処刑されてしまう。そうだ。まだ正式には婚約していなかったのだ。
アルバートと前の世界の話をしていて、もしも『悪役令嬢』であるなら、王子と婚約はしない方がいいという結論に達した。
婚約さえしなければ婚約破棄からの断罪も、国外追放もないのでは? という考えだ。安直だけど。
(ところで――溺愛って、なに? 誰が、誰を?)
私が首を傾げているといつの間にか機嫌が直ったアルバートが私に向かって微笑んでいる。
(その笑顔――これ以上詮索するなということか。分かってるわよ)
お茶会が始まると、和やかな空気が会場を包む。
しばらくすると、急に辺りが暗くなり、冷たい風が吹き始めた。それから一気に天候が悪化する。
本当にあっという間の出来事だった。
スコールの様な土砂降りの雨。幸い、この世界では簡単な魔法が使える。
皆、各々の方法で、雨露を凌ぐ。
私の頭上には――赤い傘が浮いていた。
「え……か、さ?」
この世界に、『傘』はない。
雨を避けるのに、遮断の魔法で良いのだ。傘自体もなければ、その発想すらもない。
しかも、『赤い傘』折り畳み式の。
私は思い出した。百円玉を渡した彼の顔を。
王城の庭園の見事に咲き誇る花に、雨の雫が強く打ちつける。その音は大きく、私の鼓動をも隠す。
花や葉に当たる雨を、ただずっと見つめていた。宙に浮いた真っ赤な傘の下で。
「リリアナ様」
目の前で止まる黒い革靴に視線がいく。輝くほど綺麗に磨かれたそれは水滴を弾き、庭園の芝に流れ落ちていく。
私は視線をゆっくりと上げた。雨音に掻き消されてしまいそうなほどの呼び声。目の前には切なそうに揺れる茶色い瞳。
私は――この瞳を、知っている。
私の頬に一筋の雫が流れる。
雨水ではない、それは口の端に当たると、やがて唇全体に広がり、そして口の中に入る。
その雫は僅かに塩味を帯びていた。
「思い出したのですか」
アルバートが囁く。
私はゆっくりと頷いた。
「なぜ、飛び出したのです?」
胸が抑えられるほどに苦しい。
「貴方から逃げたかった」
「なぜです?」
「貴方が私にツイていたから」
「私が貴女にツイていたら、いけませんか?」
「だって……貴方は――」
私は、知ってしまった。
彼は――私にツイている幸運そのもの。
『四つ葉のクローバーを見つけるとね、幸せになれるんだよ』
クローバー畑で、四つ葉を必死で探した。
雨が降ってきているのにも気がつかずに。
差し出された赤い傘。
『濡れちゃうよ』
茶色い瞳の綺麗な顔立ちの少年。
『でも……四つ葉のクローバーが欲しいの』
『なんで?』
『……幸せになりたいの』
その少年は、目を瞬かせた。
『なんで幸せになりたいの?』
『私は……ツイてないから』
『ツイてない?』
『そうなの……何でも悪く思われちゃうの。良い子にしてても、わがまま言わなくても、悪いこと何にもしていないのに、いつも「お前のせいだ」って、怒られちゃうの』
少年は考え込んだ。そして、微笑んで言った。
『僕が君だけのクローバーになってあげるよ』
『ダメよ! 四つ葉じゃないと幸せになれないの』
その少年は口に握った手を当ててクスリと笑う。
『僕は四つ葉のクローバーよりずっと長くいるよ』
『え?』
『四つ葉のクローバーより長く君と一緒にいるよ』
『……本当に?』
『うん。ずっと君にツイていてあげる』
少年は私の目に溜まった涙を親指で拭いながら、そう言った。幸運の少年は自分の幸運を私にくれたのだ。どこにいっても出会う彼に気がついた。
私がツイている理由も、私にツイている理由も。
彼は――あの少年だった。
私は彼から幸運と赤い傘を奪ったのだ。私がいなくなれば、彼に幸運が戻るのではないか。――そう考えた。あの一瞬で。消えて失くなろうと。
「なんでツイてきたの?」
「約束したでしょう? 貴女に――ずっとツイていると」
土砂降りの雨の中、大声で泣いた。
きっと、周りには聞こえていない。
赤い傘は、いつの間にか、二人を覆うほどに大きくなり、二人を包み込んでいた。
やがて、私の涙が止まると、雨も上がっていた。
澄み渡った青空に、あの日のような虹がかかる。
アルバートは私の涙をあの日のように親指で拭うと優しく抱き締めた。そして、私の耳元に魅惑的な声で囁いた。
『どこまでもツイて生きますよ、お嬢様』
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