7.マリーの受難
今話はかなりヒドイ話なので、合わないと感じた方は即座にブラウザバック願います。
「ブラックエロコメディ」の面目躍如!
……ヒドイ作者でゴメンなさい。
さて、決意したなどとご大層に言っても別にマリーは本当にヨースケとどうこうしようというつもりはない。当然のことながら男女の関係になるなど論外である。そうではなく、ヨースケに対して確かめなければならないという思いがあり、こうしてわざわざ平日に有休をとってまで彼のもとを訪ねたのだ。
まず一番に、ヨースケがマリーとの肉体的な関係を本当に望んだのか? という点を問い質す必要がある。先日の話はあくまでギルド長を通じての伝聞であったため、ヨースケの意図がまるで読めないことが問題だったのだ。
ヨースケの性格を考えれば、思い付きで適当な事を言っただけという可能性も大いにあり得る。であれば、もっと別の提言でも彼は剣聖を竜退治に使ってくれるかもしれない。
そして二番目は、ヨースケが本当にドラゴンクエストを受けるつもりがあるのかという点である。ヨースケになにがしかの便宜を図り彼の望みを叶えたとして、それで結局話がお終いになってしまっては大変困る。
ヨースケからは、剣聖を使って竜を倒すという言質を取らなければいけないのだ。
その為には直接会って話を聞く必要がある。ただしこれは事が事だから、いつものギルドホールで薬草買取のついでに切り出せるような話ではない。
そこでマリーは単身ヨースケの定宿に乗り込んできた次第なのだ。
しかしこれは大変見込みの甘い、うかつな行動であったと後のマリーは大いに後悔させられる羽目となる。
「えーまぁ。確かにハゲのオッサンにはそう答えましたけどー。」ヨースケは先ほどからチラチラとマリーの太ももを盗み見しながら、そんなふうに返事をする。
ああ、しまったなぁとマリーは反省する。マリーはガストンを喜ばせるためにプライベートでは割と短めのミニスカートを穿くことが多いのだが、つい癖で今日もいつもの格好で来てしまったのだ。
おかげで先ほどからヨースケがいやらしい目つきでこちらの方を……、あーこいつぶん殴りてぇ。
だが、結果としてこの男が自分に性的な感情を持っていることが伺い知れてしまった。
その証拠に、マリーが「じゃあ私とどうこうしたいみたいな話は、冗談だったという事よね?」と問い質しても、「えぇ……。まぁ……。」などとごにょごにょと歯切れの悪い返事しかしない。
普段の受付カウンターでは割と紳士な態度を取ることが多いヨースケをどこか信頼していたマリーだったが、ああこいつも有象無象のエロ小僧の一人かと評価を思いっきり下方修正した。
「あのねぇヨースケくん。世の中には冗談でも言っていい事と悪い事があるのよ。この私とエッチな事がしたいだなんて、冗談でもそんな事言っては駄目よ。ギルド長だって困っていらしたわ。もっと実現可能なお願いにしましょう? ね?」
マリーは幼子を諭すような口調でヨースケに語り掛ける。
「例えば、そうねぇ。竜を倒せばとんでもない額の報酬が入るから、それで娼館を好きなだけ借り切るというのは、どうかしら?」
我ながら品のない発想だと思いつつも、マリーは代替案を提案してみる。
するとヨースケは「えーっ……?」と、あからさまに難色を示してきた。そして、「そんなにすごいお金もらえるなら、全部マリーさんに上げますよ。だからぁ……。」ここまで言ってまたごにょごにょと聞き取れない言葉をつぶやく。
は?
マリーはブチ切れそうになった。
だから何? だから何をしたいというの!? まさかその金でこの私を買うとか、そういう話!? テメーがいくら金を積もうが、この私が買えると思うんじゃねーよ! そんな安い女じゃねぇんだよ! ってかうちはガストンの稼ぎだけで充分間に合ってんだよ!
そこまで頭の中で考えてからマリーはハッとなり、これではいけないと慌てて自制した。そもそも目の前にいるヨースケも金には頓着しない男なのだ。だから辺境伯様が用意した莫大な報奨金もこの男にとってはどうでもいいものなのだ。
そしてその後ろに立つ剣聖もまた、金で動くような女ではないだろう。
ああクソッ! どうやらこのクズ男はマジでマリーとヤリたいだけなのだ。ギルド長の無理なお願いを前に、冗談みたいなふりをしてしれっと本音を言ってきただけなのだ。
ああこいつ殺してぇ。マリーは湧き起こる殺意の置きどころにしばしの間苦戦した。
「と、ともかくっ!」何とか気を取り直してマリーは話を進める。「私としてはヨースケくんの望みをかなえてあげるわけにはいかないけれど、ともかく出来れば暴竜ダナーに立ち向かってほしいと考えているの。だからどうすればいいか、二人でちょっと考えてみましょ?」
言いつつマリーはヨースケの近くににじり寄る。両手の先をそっと彼の太ももの上に乗せ、前かがみになって下から見上げるように、上目遣いになって……。
「え、えーっ……?」顔を赤くしたヨースケがしどろもどろにそんな返事をしてくる。
これはイケるっ!
そんなマリーの戦略に冷や水をぶっかけたのが、背後に立つ剣聖タニアであった。
絶対零度の凍えるような殺気とともに、ゆらりと身体を揺らせ二人の間に割り込んでくる。
「お前、先ほどからずいぶんと無礼ですよ。」
思わず反射的にのけぞったマリーの目の前には、いつの間にか抜きはらわれた剥き身の大太刀の剣先がゆらゆらと誘うように揺れている。
マリーはおしっこちびりそうになりながらもどうにか気を落ち着かせ、剣聖に反論を試みる。
「何か……、剣聖様のお気に障ることでも、ございましたでしょうか?」声は上ずり、奥歯がカチカチ鳴っている。だがそれでも何とか言葉を返すことが出来た。マリーは自分で自分を褒めてやりたい気分になった。
対する剣聖の返答は冷酷なものであった。
「ええ。大変に不愉快だわ、お前。お前はヨースケをそそのかして、この私をいいように使おうとしている。身の程知らずにもほどがあるでしょう?」
「い、いえ……。決してそのようなつもりは……」
「だまらっしゃい!」マリーの反論はタニアの鋭い一言に打ち消され、マリーはちょっとだけちびってしまった。
「確かに私はヨースケに負けました。今も毎日ヨースケに負け続けています。だから私はヨースケに全面的に従います。これはよいでしょう。けれどもそれでお前がヨースケを使って私にあれこれ指図するのは看過できません。
そのような邪な輩は全力をもって排除します。死ね。」
それは息もつかせぬ一瞬の出来事であった。ひゅんっと心地よい風切り音とともに、剣聖タニアの掲げる大太刀の剣先がぶれ、一瞬にして刃がマリーの胸元に……
「タニアぁーっ!! ダメだーっ!!」ここでマリーをかばったのは誰あろうヨースケであった。ヨースケはタニアの腰のあたりにしがみつくようにして彼女を押しとどめる。
「殺しちゃだめだ! タニア! マリーさんはみんなの希望なんだ!」
その必死な姿に少しだけ、ほんの少しだけじぃんとなるマリー。だが続く一言に……
「マリーさんのようなおっぱいの大きいおねーさまタイプのギルド受付嬢は冒険者たちの夢なんだ! オレ達のおっぱいを切らないでくれっ!」
マリーは一瞬のときめきを窓の外に投げ捨てた。
「ふうん……。」凍えるような波紋の大太刀を鮮やかな手つきで鞘に戻す剣聖タニア。目を細め、考え込むそぶりを見せる。「けれどもヨースケ? あなたはこの女を一晩自分のものにしたいと、そう考えているのよね?」
「あーうん、はい。」あっさりと自分の欲望を肯定するヨースケ。分かっちゃいたが最低の男だなとマリーはヨースケの評価をギルド長と同じ虫けらの位置にまで落とした。
「それで女?」タニアがマリーにも話しかけてくる。「ひゃいっ!」すっかり動転したマリーは上ずった声でどうにか返事をする。
「女はヨースケなどに身体を差し出すのは死んでもゴメンと考えているのね?」
マリーは一も二もなく頷いた。そりゃあもう、首を大きくぶんぶんと縦に振って。「そんなぁ……。」そう呟くがっくりとした表情のヨースケが視界の端に映るが知ったことではない。マリーはガストン以外の男に身体をひさぐなんて死んでもゴメンなのである。
この様子を見た剣聖タニアは、訳知り顔ににんまりと笑ってみせた。
「だったらそうね。5刻。5刻貰えれば、私が何とかしてみせるわ。」
「えっ?」びっくりとした表情になりタニアを見上げるヨースケ。
「5刻貰えれば、この生意気な女の股をお前のために開かせてやりましょう。いかがかしら?」
ヨースケは始めキョトンとした様子であったが、やがてニチャリと身の毛もよだつような下品な笑顔に変わり、声を上げた。
「4刻! 4刻でどうっすか!?」
「5刻!」ぴしゃりとはねのける剣聖の声。
「4刻半!」追いすがるヨースケの声。
「5刻!」けんもほろろの剣聖の声。
なんなの!? 何が起こっているの!?
混乱したマリーはその様子をただ見守るしか他に術がない。
そんな中、どこか淫靡な笑みを浮かべた剣聖が猫撫で声でヨースケに語り掛け始める。
「ねぇ? ヨースケ。お前はたった5刻と引き換えに、このいやらしい体つきの女を一晩自由にできるのですよ? その為にこの私が力を尽くそうというのですよ? いったい何が不満なのです? ねぇ?」
それは露骨な色目であった。先ほどマリーがやってみせたのと同じように、ヨースケの足元にすり寄った剣聖は両手を彼の膝の上に乗せつつも、下から上目づかいで見上げるようにして……。
「5刻でオナシャスっ!」あっさりと陥落したヨースケはいい声で返事した。
それから二人は共に手を取り合うようにして、気持ちの悪い笑顔でマリーの方へとにじり寄ってくる。
そこから先のことは、出来ればすぐにでも忘れてしまいたい最悪の出来事の連続だった。
これは後から聞いた話だが、剣聖タニアはヨースケとの出会いを経て、男女が快楽を得るための身体の動かし方や神経の仕組みを徹底的に研究したのだという。
まずはヨースケの身体を徹底的に調べ上げ、続けて自ら自身の身体も隅から隅まで確認し、なにがしかの真理に到達したのだという。
曰く、何やら互いの身体に気を通して流し合うだとかなんとか。俗に房中術などと呼ばれる仙人の技術を、この天才剣士は全くのゼロから自力で開発してみせたのだ。
そんな彼女の次なる興味は、他の人間についてはどうか? という事であったらしい。
そんな中、まるで飛んで火にいる夏の虫がごとくマリーが宿に飛び込んできたのだから、これはもう確かめてみるに決まっている。
暴竜ダナーを討ち果たすためには剣聖の力が必要で、その為の贄としてヨースケは麗しきギルドの花を所望している。まさに絶好のチャンス!
そう、タニアは大太刀などを突き付けてマリーを脅しつつ、その実やりたかったことはマリーの身体を徹底的に弄びたかっただけなのだ。
その結果といえば……。
もしマリーがストックホルム症候群という言葉を耳にしたことがあれば、今の自分がまさにそのような状態だと理解し、少しばかり客観的になることが出来たかもしれない。
圧倒的な暴力により抑圧を掛けてくる加害者が時折見せる優しさに、被害者は何故かこれに親近感を覚えてしまうのだ。
これは弱者の自己防衛本能だ。いつ殺されてもおかしくない緊迫した状況で、相手に気に入られればその命をつなぐことが出来る。だから弱者は生存戦略のために、加害者の望む心を率先して作るのだ。
だがマリーの住む世界にはそんな情報はどこにもないから、マリーはこの日のことで何年も悩み、苦しむことになる。
始めのうち、抵抗し、あるいは泣きじゃくるマリーに対し、無理を強いるばかりの剣聖タニアであったが、あるタイミングで突如、優しい声でこんな言葉を話しかけてきた。
「ねえ? お前。お前は暴竜とかいう大トカゲを退治してほしくてここに来たのでしょう? そうではないの?」
マリーは訳も分からずに頷いた。
「ならばお前のすることは一つでしょう? ヨースケをその身体で満足させればよいの。簡単でしょう?」
「でも……。だって……。」愚図るマリーに対し、タニアはことさら優しく言葉を紡ぐ。
「大丈夫よ、お前。私は必ずトカゲを打ち滅ぼす。わが剣に誓ってあなたに約束するわ。でもその為には対価が必要なの。分かるでしょう? 私を動かすためにはヨースケを満足させる必要があるの。その為に今、お前の真価が問われているの。分かるでしょう?」
マリーはぶんぶんと首を横に振った。分からない。そんなことは分かりたくもない。ダナーを討伐するのにマリーが出来る事なんて何もない。
次の瞬間、凍えるような殺気が、マリーの心臓の上を正確に貫いた。
「ヒッ!?」マリーの上ずる声に対し、氷のようなタニアの声が耳にささやきかける。
「お前は暴竜を倒してほしいのではないの? 沢山の無辜の民が皆殺しにされて、心は痛まないの?」
マリーは小さく首を横に振った。
「ならばそう、覚悟をお決めなさい。お前の献身がこの地を救うのだと受け入れなさい。分かるでしょう?」
マリーは小さく首を縦に頷いた。それからすがるような声でこう言葉を発する。
「必ず暴竜を打ち倒していただけると、誓ってくださいますか? この私の身体と引き換えに、確かな事として約束していただけますか?」
「もちろん。」剣聖は均整の取れた美しい顔に大輪の笑顔を浮かべてみせる。「我が剣に誓いましょう。」
剣聖の力強い物言いになぜだか分からぬ大きな安堵を覚えたマリーは、次の瞬間から大いに乱れた。
そして気が付くと夜を越え、日付が変わり、日も昇り、いつの間にか翌日の昼近くにまでなっていた。
ぼんやりと霞みがかった頭を振るようにしてマリーが身体を起こすと、陽光煌めく窓の外から、びゅんっ、びゅんっ! と唸るような風切り音が聞こえてきた。
窓から覗き込むようにして階下を見下ろすと、宿の中庭あたりの空き地で、ぼーっと突っ立っているヨースケの間抜けな姿と、これに懸命に打ちかかる剣聖タニアの姿があった。
タニアの一撃はどれも必殺のものなのだろうが、どれもがどういう訳だかヨースケには当たらない。以前ギルド会館の向かいの道路で見たのと同じ光景であったが、改めて目の当たりにするとなんとも奇妙なものであった。
げに『女神の加護』とやらは恐ろしい。たったこれだけであのタニアはヨースケには決して勝てぬことが予め保証されてしまってるのだから。
そんな二人の様子をしばらくはぼんやりと眺めていたマリーであったが、このままでは埒が明かぬと気を取り直し、あちこちに散らばった衣服を手繰り寄せ、どうにかこれを身に付けて、階下へと向かう。
1階の食堂スペースには人もなく、宿屋の女将らしき恰幅のいいおばさんが一人でちまちまと豆の皮むきをしていた。
そんな彼女がマリーの姿を視界の端に認めると、「あんたら昨日はすごかったねぇ……」と、ぼそりとそうつぶやいた。
恥ずかしくなったマリーが顔を真っ赤にして「すみません……」と謝ると、おばさんはニヤリと笑ってみせる。
「いいさいいさ。うちは労働者向けの安宿だもの。払うもの払ってくれりゃあ好きにしてくれていいさ。」
それから一つ、大きなため息をつく。「それより困ってしまうのはあいつらのことだよ。」顎をしゃくるようにしておばさんが食堂の奥を指し示す。窓の向こう、中庭には先と変わらぬヨースケと剣聖の姿がある。
「朝からずっとだよ、あの二人。何でも今日は5刻らしいよ。夕方までずっとアレを続けるつもりらしいんだ。勘弁してほしいね。」おばさんはやれやれと首を横に振ってみせる。
おばさんの話が妙に気にかかったマリーは訪ねてみる。
「二人はいつも、ああなんですか? 毎日あんなことをやっているんですか?」
おばさんは「ああ、そうだ。」と大きく頷く。「でもいつもは1刻かそこらだよ。今日は特別なんだって、朝からずっとやってるんだ。たまったもんじゃないね。」
マリーはははあと一人、得心する。昨日の二人は、やれ4刻だのいや5刻だのと言い争っていた。それはきっとこの時間のことであったのだと。
剣に命を賭けたはずの剣聖タニアがどうしてヨースケなんかに従っているのかと不思議に思っていたが、どうやらその関係性が見えてきた。
タニアは毎日ヨースケに負け続けていると言っていた。それはすなわち、毎日なにがしかの条件と引き換えに1刻かそこらの勝負の時間を勝ち取っているのだろう。
肩を揉めば何分。エールを代わりに取って来れば何分。そしていやらしい遊びをする場合には何時間。
剣聖は未だヨースケを切ることをあきらめていないのだ。だから何度でも挑むのだ。その為にはきっとどんなことでもするのだ。
その為には、それこそこのマリーをヨースケの前に差し出すことだって厭わないのだろう。
そんな事をぼんやりと考えていると、おばさんがこんな事を言ってきた。
「あんたもあの子らのお仲間なら、何とか一言言ってやってくれないかねぇ? どうせやるならよそでやれとか、そんなんでいいからさ。」
マリーは「あはは」と力なく笑うしかない。剣聖に指図できるものは剣聖に勝ったものしかない。マリーにその資格はないのだ。
「そう、あんたでも無理なんだね。まあ、そうだろうね。あいつら二人とも、全然人の話聞かなそうだものね。」おばさんの的確な評に、マリーは再び「あはは」と笑った。
それから二言三言、おばさんとは当たり障りのない世間話をして、マリーは宿を離れた。
昼夜の房事にすっかり腰砕けになった身体に鞭打って、ふらふらな足取りでアパルトメントに戻ると、玄関口には仁王立ちになったガストンがいた。
どこか後ろめたい気持ちのあるマリーは一瞬身構えてしまうが、対するガストンが示してくれたのは大粒の涙と熱い抱擁だった。
「マリー! 無事でよかった! オレは君にもしものことがあったらと夜も寝れなかったんだ。」
マリーは嗅ぎなれたガストンの男くさい体臭にすっかり心が砕けてしまい、「うううううっ」と大声を上げて泣き出してしまった。
ガストンはそんなマリーを心ゆくまで優しく抱き留めてくれ、ずいぶん時間をかけてマリーが落ち着くと、そっとその身体を離し、真正面から見据えてきた。
「何があったのか、話してくれるな?」
温かくも鋭い、ガストンの強い声。
マリーは一瞬びくんと震えた。そしてしばしの沈黙の上、「……話せない。」とそう返事をした。
マリーの乱れた衣服、ぼさぼさの髪にやつれた顔、身体のあちこちについたいやらしい跡、何より漂う淫靡な香りを見れば、彼女がどんな目に合っていたかなど子供でも分かるというものだ。
ガストンは燃えるような瞳に、噛みしめた唇の端から血をにじませつつ、震える声でさらに言葉を紡ぐ。
「駄目だ、マリー。答えてくれ。誰が君をこんな目に合わせたんだ!」
だがマリーは首を横に振った。「話せないの、ガストン。お願い、聞かないで! 話せないのよぉっ……!」
我知らず、マリーは再び泣きじゃくっていた。
だがガストンは、そんなマリーを責め立てるように声を荒げる。
「誰がマリーを酷い目に合わせた! 答えるんだマリー! 誰にやられた!?」
マリーの心は臨界点を越えてしまった。混乱の極みにあったマリーはパニックになりそのままふらりと崩れ落ちるようにして突っ伏した。
ハッとなったガストンが慌てて彼女を抱き起すと、マリーはすっかり意識を失っていた。
マリーは夕方には意識を取り戻したものの、そのまま謎の高熱が出て、1週間近くもの間、寝込んだ。
ガストンはすぐさま有休を取って、甲斐甲斐しくもマリーの世話をしてくれた。いつもより優しいガストンのその様子に、マリーは訳もなく心が痛んだ。
「君の身に何があったのかは聞かない。だがこれだけは忘れないでくれ。オレはどんなことがあってもマリーの味方だ。」
温かいガストンの言葉に、マリーは泣いて彼の胸に縋った。
少しづつだが、心の傷は癒えていった。
一週間後、どうにか持ち直したマリーが久々の職場に復帰すると、午後になってふらりとヨースケ、剣聖がやってきた。
マリーは思わずびくりと震えたが、必死になって冷静さを装い彼らを向かい入れる。
ヨースケはびっくりするくらいいつも通りだった。「ちわーっす」などと間の抜けた挨拶とともに、いつも通りご丁寧に薬草の束をカウンターに並べると、その隣にゴトリと大きな魔石を置いてみせた。
「あの、これも換金、お願いします。」いつもの口調、いつもの台詞。だが目の前に置かれた巨大な黒石はどう見ても暴竜ダナーの……。
混乱したマリーが、それでもいつもの流れで薬草を定額で買い取ってやり、Fクラス冒険者のお目こぼしである拾った魔石の代金として銀貨1枚をおまけしてやると、嬉しそうにほくほく顔でこれを受け取ったヨースケはカウンターを後にし、仏頂面の剣聖タニアがその後ろに続いた。いつものギルドホールのいつもの光景であったが、それにしても魔石の大きさだけがいつもとあまりに違い過ぎる。
マリーがあたりを見渡すと、誰もかれもがカウンターに置かれた大きな黒石に釘付けになっていた。
「おい……。あれ……。」
「あの石……。もしかして……。」
「ブラックドラゴン……。」
ざわ、ざわ、ざわ。
これはいけないと慌てたマリーは大急ぎで魔石を両手に抱え、奥に控える鑑定師のドルジの元へとこれを運ぶ。
ドルジは目の前の巨石にあんぐりと口を開け、「マリー、おめぇ、これ……。」と言葉にならない言葉をつぶやく。
マリーはこくりと頷くと、「とにかく念のため、鑑定をお願いします」と言付けて面倒な魔石をドルジ爺に押し付けてブースへと戻る。
それから程なくして、ドルジの大声がギルドカウンターの奥から鳴り響く。
「ブラックドラゴン・ダナーが討ち取られたぞぉーっ!!」
それを聞いたホールの皆は一瞬静まり返り、ざわざわとなり、やがて喝采が沸き起こる。
「オレは見た! ヨースケがあの石を持ち込むところを!」
「剣聖がやりやがった! 大トカゲを狩りやがった!」
「ヨースケ達がやりやがったんだ!」
「ヨースケがやった!」
それからいつの間にか、ギルド内の一同総出でヨースケコールが沸き起こった。
「ヨースケ! ヨースケ! ヨースケ! ヨースケ!」
なお本来ダナーを斃したのはタニアであるはずだが、みんな剣聖のことが怖いので名を呼ぶことすら憚られるのだ。あの剣聖、うっかり名前を口にしただけで次の瞬間には切られかねないのである。
だからみんな、示し合わせたかのようにヨースケの名前だけを連呼するのだ。
「ヨースケ! ヨースケ! ヨースケ! ヨースケ!」
だが肝心のヨースケ達は、もうギルドの中にはいなかった。
大騒ぎになった第二冒険者ギルドの中にあって、マリーの心は不思議と凪いでいた。今回のことはあまりにも色々と不思議が多すぎて、とてもではないが理解が追い付かない。
あの剣聖が、マリーとの約束を守ってくれた。勝者にしか従わない剣聖が、ダナーを本当に倒してくれた。
マリーにはとても信じられなかった。
だが確かにダナーの魔石はマリーのもとに届けられた。
マリーは混乱に白濁した意識のままに、ヨースケ達が出ていった玄関扉の向こうをいつまでもぼんやりと眺め続けた。