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6.マリーの決断

夜間対応などない場末の第二冒険者ギルドは17時になると受付窓口を閉めてしまうから、日が沈むころにはマリーは家路につくことが出来る。

マリーはそれなりに料理は得意ではあったが、ガストンと共働きの今は平日は帰りに適当な総菜屋に寄り、おかずをいくつか買い求めてこれを二人の夕食とするのが日課となっていた。

簡単なスープだけ自作してパンを焼き、あとは店屋物の総菜とワインがあれば恋人との幸せな晩餐が演出できるのだ。


辺境領都は様々な職業の人間が集まっているため、自分たちで食事を用意できないもののための食事処、飲み屋、屋台などが充実していた。そしてこの店のどれもが作り置きの総菜を量り売りで販売してくれる。辺境ならではのちょっとした商習慣なのだ。

マリーとガストンは休みの日にその一つ一つをめぐって回り、特にお気に入りのお店のいくつかに目星をつけて、毎晩の食卓の贔屓にしていた。


今日は職場で嫌な事(ギルド長のアレ)があったので、奮発してちょっと高めのローストビーフを販売してくれる店に足を運ぶと……。


なんと店はなくなっていた。


「えーっ……!?」思わず声を上げるマリーに対し、隣の金物屋のオヤジが声を掛けてきた。

「ノリカさんのところは先週店を畳んだよ。近頃は暴竜様が領都に近づいてきているという話だからね、大事をとって帝都の方へ避難するんだそうだ。

ノリカさんとこは儲かってたからね。アタシも金がありゃあ一目散に逃げだしたいところだが、あいにくとウチは先祖代々だからね。諦めて一蓮托生さ。」

「ははあ……。」マリーは思わずため息を漏らす。

ふと気になってあたりを見渡すと、商店街はずいぶんと活気が少なくなっていた。かき入れ時だというのにドアに閂をかけ明かりの灯っていない店があちこちにあり、人通りもまばらで喧噪も殆ど聞こえてこない。

毎日見慣れている街並みのはずが、言われてみれば随分と寂れた事実に、今さらながら唖然となるマリー。

それからマリーは金物屋の店主とは適当な挨拶を二言三言交わしつつ、諦めて次の店へと足を進めると……。


「あれー? マリーさんじゃないっすかー」マリーに話しかけてくるものの姿があった。

振り返ると、新人冒険者のカガリちゃんとケトラくんが二人して並んで立っていた。

もうすっかり暮れなずむ街の中にあって、二人はこれから出陣でもしようかというフル装備のいでたちであった。

「あら? どうしたの二人とも。……まさかこんな時間から迷宮攻略?」マリーは少しばかり険のある顔を作って二人に問い質す。Eクラスに上がったばかりの新米冒険者であるカガリとケトラは昼間の限られた時間帯しか迷宮に潜ってはいけない決まりになっている。二人が規則違反をしようとしているのならば、業務時間外でもマリーには彼らを咎める義務がある。

「えー違いますよぉっ!」マリーの意図に気付いたカガリちゃんが大慌てで両手を横に振って否定する。「あたしたち、しばらく故郷に戻ろうと思って。」

「えっ?」マリーは意図が分からず、素で疑問の声を上げてしまった。

「いや、いまブラックドラゴンがヤバいじゃないっすか。俺らの村、ミナバ火山のふもとの方なんです。そんで、隣村とか全滅したって噂も聞いて、オヤジたち大丈夫かなって心配になって。」と、ケトラくんが事情を説明してくれる。

「あたしたちが戻ったところで何の役にも立たないかもしれないですけど、一人でも大勢いた方が出来ることがあるかなって。それに……」カガリちゃんがなにやら言い淀む。言葉を継ぐのはケトラくん。「どうせ死ぬなら、故郷でみんなを庇って死にたいなって……。」


ああ、とマリーは心の中で嘆息した。これは辺境に生きるものの持つ覚悟の話だ。先ほどの金物屋の親父さんだってそうだ。辺境の住人はみな、たった一晩を越すにも難義する過酷なこの土地を驚くほどに愛している。だからいざというときにはこの地で精一杯足掻いて命の花を散らそうとするのだ。

マリーにはおおよそ理解の及ばぬ思考回路だ。だってマリーならすぐに逃げ出す。美味しいローストビーフの店のノリカさんはもう逃げ出してしまった。

だが、そんな考えではいつまでたってもこの街の住人として生きてゆくことは出来ないのではないか? そんな疑念が沸き起こってくる。

都会育ちのマリーにはいまいち馴染みのない辺境の人々の死生観に触れ、マリーは少なからぬ動揺を覚えた。

そんなマリーの心情を知ってか知らずか、ケトラくんとカガリちゃんはぺこぺこと頭を下げながら、マリーの前から去っていった。もしかしたら二人はこのまま死ぬかもしれないのに、けなげにも「お元気で」などとマリーを気遣う素振りまで見せて。


マリーはすっかりとふさぎ込んでしまい、そこらの出店の食べたこともない適当な総菜を買い求めつつも、足早に自宅へと戻る。

家につけばいつもの通り魔石コンロのスイッチを入れ、作り置きしていたポトフ鍋を火にかける。


マリーは上の空だった。このままではカガリちゃんとケトラくんは遅かれ早かれ死に至るだろう。他にも大勢のものが命を落とすだろう。マリーが辺境にきてから知り合った気のいい朴訥なあまたの人々。せせこましい都会では味わえなかった人情の世界。それらの全てが今、忌まわしい黒トカゲの暴虐を前に損なわれようとしている。

だが今、マリーの手にはこの悲劇を終わらせるための鬼札が手元に一枚配られている。


ヨースケと一夜をともにする。


馬鹿げたジョーカーだ。たったそれだけで黒トカゲは恐らくすぐにでも死ぬだろう。


だが本当に?


こんな簡単な事で、本当に剣聖はドラゴンを討伐するのだろうか?


なによりもなぜこの私なのか? そもそもこれは何かの冗談ではないのか?


幾多もの疑念が降ってわき、そのどれ一つとして答えがない。そして何より自分はどうしたいのかすら分からない。

どうしたらいいのか……。どうしたいのか……。どうなっているのか……。どうすればいいのか……。


ハッと我に返ると、いつの間にかポトフがグラグラに煮えたぎっていた。ジャガイモが完全に煮崩れて細かく砕けてしまっている。

コンロの火を止めてくれたのはガストンだった。心配そうにマリーを覗き込むガストンの顔が目の前にあり、先ほどから無意識にお玉をもってかき回し続けていたマリーの右手には、ガストンの左手がそっと添えられていた。


「どうしたんだい? マリー。考え事かい?」

気遣うようなガストンの優しい声色にささくれだった心が落ち着くのを感じる。

マリーは大きく息を一つ吐いてから、「……ええ。ちょっと。」とどうにか返事をし、中途半端な夕食の準備を最後まで片づけ、二人で食事を共にする。

適当な店で買った適当な総菜は、見た目通りの残念な味であった。だが、愛し合う二人にとってはそんな事ですらお互いの愛情を紡ぐための良いスパイスとなった。

ガストンはマリーの悩みについて直接問い質すようなそぶりは見せない。なにか事情があるのだと察してくれつつも、マリーが自分から話し出すのを辛抱強く待ってくれているのだ。あるいは聞くべきでない事柄であれば知らぬふりをしてくれる優しさもある。

マリーはそんなガストンの甲斐性に触れ、ささくれだった心が落ち着いてゆくのを感じた。


「ねぇガストン?」すっかり夜も更ける頃合いになって、ダブルベッドの片側に潜り込んだマリーは勇気を出して訊ねてみる。

「もし私一人が犠牲になることで多くの人々が救われるようなことがあったとして、自分可愛さにみんなを見殺しにするのって、悪い事だと思う?」


「ふうむ……。」ガストンは最近伸ばし始めたアゴヒゲに手をやりつつも、考え込むそぶりをして見せる。「哲学的な質問だね、マリー。とても難しい質問だ。」

このアゴヒゲは、若くして昇進したガストンが年上の部下に舐められないようにと伸ばし始めたもので、本人は渋いと思っているようなのだがマリーにはそんなガストンの顔も可愛らしいものに見えていた。


ややあってガストンが出した答えは以下のものであった。

「オレは騎士という立場上、自らを犠牲にしてもみなを助ける選択肢を選ばなければならない瞬間があると考えているから、悪い事だと考えている。

ただしオレはこの仕事を選ぶ際に覚悟をしたんだ。領主様の前で剣に誓って、己が命を賭してでもみなを守るとね。

そういった覚悟があるから、自己本位な選択を良しと出来ない立場を選ばざるを得ない。

ただしこれはオレが自分で選んだ生き方なんだ。


だがマリー。君は違う。

そもそも君はそんな覚悟をした事など一度もないだろうし、別に覚悟をする必要もない。だって君は騎士になりたいわけではないのだから。


……いや違うな。そうじゃない。


こんな事を言うと女性蔑視だとか言われてしまうかもしれないが、君は女性なんだから、もっと自分本位になって構わない、オレはそんなふうに思っているんだ。

そもそも女性というものは子を産み、育てる存在だから、いずれ生まれる愛しい命のためにも自分を一番に考える生き方をしていいと思う。母親に一番に求められることは、自分と、自分が産み落とす新しい生命をなんとしても守り抜くことなのだからね。

だからマリー。オレは君が自分可愛さに誰かを見殺しにしたとしても構わないと考えている。何ならオレを見殺しにしてくれたってかまわない。

その代り、自分自身と、自分の子供を必ず守ると誓ってくれればいい。


その為にオレは、騎士の誓いと同じだけのものを、君の前に誓ってもいいと思っている。例えこのオレの命を賭してでも、マリー、君の事を守ろう。

だからどうか姫よ、自分を一番大切に考えてくれ。いざとなったらこのオレの命を使ってでも生き延びてくれ。決して誰かのために自分を犠牲にしようだなんて思わないでくれ。


オレがマリーに望むのはそれだけだ。」


「ガストン……!」マリーはすっかりときめいてしまった。


それで男女のあれこれを経てすっかり幸せな気分に浸ったマリーは、ベッドの中、隣で寝息を立てている愛らしいガストンの横顔を見つめながら、ある決意をした。


例えその決意がガストンのいう「女の我が儘」とは真逆の選択であったとしても、マリーにとってはそれが自分に出来る一番であるように思えたからだ。



翌日、マリーはヨースケ達の住まう安宿の前に一人、立っていた。



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