1.剣聖とFランク冒険者
それは場末の冒険者ギルドでの一幕だった。
「あなた。自分がどういう立場だか分かっているのかしら?」
プラチナブロンドの長い髪をはためかせる、目つきの鋭い長身の女。見上げるようにして女を仰ぎ見た高津 洋介は悲鳴をこらえるだけで精一杯だった。
剣聖タニア。辺境の狂犬。強いものを求め化け物だらけの辺境領をうろつきまわり、これはと思うものに声を掛けては有無を言わさず切りかかり、多くの魔物と多くの人々の命を奪ってきた剣狂いの美姫。
洋介も噂には聞いていたが、辺境領都の端にある弱者向けの第二冒険者ギルドにやってくる事があるなんて話は寡聞にして知らなかったから、閉店間際の薬草買い取りコーナーに駆け足で滑り込もうとして、目の前の長身の女にぶつかってしまったことを今とても強く後悔させられる羽目となった。
「このわたしにぶつかっておいて、まさかゴメンの一言だけで許されるとでも思っているのかしら?」
勘弁してくれ。オレはそんなつもりじゃなかったんだ。ちょっと気がせいていただけで、悪気はなかったんだ。
洋介は心の中で沢山の言い訳を考えたが、そもそも剣聖タニアの険悪な剣気に中てられて、まともに呂律も回らない。
「あわわわわ。」なんかそんな昔のギャグマンガみたいな声ばかりが口の端から漏れ出るばかりであった。
だいたいどうしてこんな場末の第二冒険者ギルドに剣聖のような最強人種がいるんだ!
洋介の心の叫び声は、ほかならぬ剣聖自身の口から答えを教えてもらえることとなる。
「まったく。思わぬ掘り出し物がいるかもしれないと第二冒険者ギルドに来てみれば、どいつもこいつも弱っちいカスどもばかりな上に、人をイラつかせることだけは一人前と来ている。
こんなところに来るんじゃなかった。」
ふうっとため息をつくタニア。
だったら来るなよ!
洋介の心の声はだがしかし、タニアには届かない。
タニアはするりと右手を突き出し、そのまま洋介の胸倉をつかむと、引きずるようにしてギルドの外の道路へと引っ張ってゆく。
「興が削がれました。今日はあなたを切ってお終いとします。我が剣の錆となりなさい。」
止めて! 止めて!!
洋介は涙でゆがんだ視界を振り払うようにぶんぶんと首を横に振ったが、力強いタニアの腕は洋介の胸倉をがっちりつかんで離さず、そのまま道路へと投げるように放られる。
そんな二人を取り囲むようにしてどこからともなく人々がわらわらと集まってきて、瞬く間に山のような人だかりが出来上がった。
新人冒険者のカガリちゃんにケトラくん。おめーら薬草摘みのコツをこないだ教えてあげたじゃねーか、助けてくれ!
カッコいい先輩冒険者のダッカさん、マリベルさん、パルマさん。冒険者は助け合いでしょ! いつも助けてくれるじゃないですか! なに残念そうに首を横に振ってるんですか? ちょっと!
受付嬢の紅一点、マリーさん。なんでそんな今生の別れみたいな顔をしているんです!? オレの事ペットの豆柴と似てるって言ってたじゃないですか! あなたの柴犬的な男が今殺されかかっているんですよ! 助けてくださいよ!
あとそこらにたむろするこきたねぇおっさん連中! 万年Dランク冒険者の有象無象が雁首揃えてぽかんとこちらを見つめていやがる。
お前ら! お前ら! 見世物だと思ってエール片手にワクワクした顔になるの止めれ!
お前ら助けろください!!
そんな洋介の心の叫びもむなしく、流れるような所作で上段に構えたタニアは、思わず洋介が息を飲むほどの美しい顔でにっこりと微笑むと、そのまま目にも止まらぬ速さで剣を振り下ろし……
スカッ。
目にも止まらぬ速さで振られたその剣が、どういう訳だか洋介の身体をよけるように不自然な軌道を取りつつも、そのまま反対側へと抜けていった。
「えっ?」タニアが変な声を上げた。
「えっ?」洋介も変な声が出た。
「えっ?」「えっ?」「えっ?」
二人して頭の上に疑問符を浮かべつつ、ぐちゃぐちゃの脳味噌で洋介がぼんやりとあれこれ理由を考えているうちに、3年前の出来事がフラッシュバックしてきた。
今から3年前、洋介は道路の前を歩くハーレム集団(冴えない男一人に美少女3人がイチャイチャしているやつ)に巻き込まれて異世界に強制召喚された。
ハーレム組の召喚は「魔王を倒すため」とかよく分からない理由であったが、巻き込まれた洋介はどうやら偶然であったようだ。
ところでハーレム組のメンバーにはやれ勇者だのやれ聖女だのといった強力な『女神の加護』が一人ひとりに与えられたのだが、おまけの洋介にも多少のおこぼれがあった。
『絶対に剣で切られない加護』
これである。
いや意味が分からないんだが。
洋介は首を傾げたが、召喚元の王国の連中もよく分からないらしい。みんなして首を傾げる一幕であった。
この加護、洋介が剣で攻撃されると必ず発動し、常に空振りとなる。
剣で切ったり突いたり払ったりしようとすると、どれだけ狙いを定めても必ず外れる。
なんだかよく分からない加護の内容に、ともかく色々試してみようと騎士団の皆で囲んで、縄でぐるぐる巻きに縛られた洋介に一斉に剣で襲い掛かった際にこれが全て外れたどころか、お互いの剣先が周りの人間に当たりフレンドりファイアによってバタバタと倒れた際にはどよめきが起こった。
「これはもしかしたらすごい加護かもしれない」と。
けれども洋介の天下は一瞬にして潰えた。
剣以外では何の効果もなかったのだ。
例えば蹴ったり殴ったりされると普通に当たる。魔法なんかぶつけられたら普通に死ぬ。
っていうか剣以外で攻撃されたらふつーに死ぬ。ヤリとか斧とかは普通に当たる。
英語名Swordで分類される両刃で一定の長さの刃物だけが加護の対象になるようで、それ以外の全てで洋介は攻撃を食らう。なにその謎の分類上のこだわり。女神様は剣に何か恨みでもあんの?
刀でも切られる。ナイフも当たる。
裁縫用の待ち針はどうかと冗談交じりで試したらフツーに刺さった時、クソ加護であることがみんなの前で実証され、そのままなし崩し的に王国を追い出されて今に至る。
あの時味わった王国の奴らの嘲笑とハーレム組の冷ややかな視線は今でも洋介のトラウマだ。だから逃げるようにして国を出て、遠く離れた帝国の僻地まで辿りついた洋介は、二束三文の日雇い仕事として冒険者ギルドの常駐クエストで糊口をしのぐ、貧乏生活を何年も続けていた。
昔の知り合いが洋介を見たら驚くだろう。強いストレスに苛まされた洋介は齢19にして髪には白いものが混じり、目じりには皺もよるおっさんの容貌へと様変わりしていた。
そんなくたびれた万年F級冒険者の洋介だったが、女神の加護は今なお健在であったのだ。
当の洋介自身が忘れていたほどのクソ加護ではあったが、少なくとも目の前の剣聖に対してだけは恐ろしいまでの効果を十全に発揮していた。
「えいっ! はっ! はああああっ!」
スカッ。スカッ。スカッ。
勇ましい掛け声とは裏腹に、全ての剣が滑るようにして洋介の身体をすり抜けてゆく。
うわーすごい。なんか一生懸命な顔になって剣を振り回す美人のおねーさん、エロいなぁー。
洋介は必死なタニアを前に、のんきにそんなことを考える余裕すら出てきた。
ともかく剣が当たらない。すごい勢いで繰り出される無数の剣のことごとくが外れる。
だがタニアが決して手を抜いているわけではないことは周囲の様子から窺い知ることが出来た。タニアの剣が通り過ぎるたびに、地面などに一筋のあぎとが残る。剣聖の剣はすさまじい剣圧からなんか不可視の刃みたいなのを飛ばすまでに至り、辺りに被害を及ぼし始めていたのだ。
「はあっ! そぉーいっ! てりゃあーっ!」
ブーン! ブン! ブォォン!
スカッ。スカッ。スカッ。
バキッ! ズギャン! キイーンッ!
「ぎゃあーっ!」あっ、さっき俺の事を指さして笑ってたおっさんが切られた。いい気味だ。
ばきーんっ!!! わわわっ! 今ギルドの看板が余波だけで真っ二つになったぞ。さすがにこれヤバくね?
次第に騒ぎが大きくなる中、始めのうちは面白がって見ていた洋介だったが、だんだんといつまで続くのかが心配になってきた。
このままではまずい……。でもどうすれば?
そこで洋介はダメもとで小脇に刺したヒノキの棒をすらりと引き抜き、これをタニアの前で構える。どうやら洋介の手にする獲物にも加護は働くらしく、縦横無尽に襲い掛かるタニアの刃は棒をもすり抜け全て外れた。
そこで洋介はおもむろに棒を振り上げ、鬼の形相で打ちかかってくるタニアの額目掛けてえいやとばかりに振り下ろした。
コツーン!
ヒノキの棒は見事タニアに当たり、けっこーいい音がした。
そしたらタニアの動きが止まった。
タニアの美しいおでこがみるみるうちに赤くなってゆき、ぷっくりと膨らんでゆく。今まさにたんこぶが生み出されようとする瞬間を洋介は目撃した。唖然とした表情になったタニアの真っ白な額が赤く染まるその様子がなんとも嗜虐心をそそるよい光景である。
次の瞬間、タニアはその場に崩れ落ちた。
周囲を取り囲むむさくるしい男どものうちの誰かがつぶやいた。
「剣聖タニアが膝を屈したぞ。」
さらに誰かが言葉を紡いだ。
「万年Fランク冒険者のヨースケが剣聖に勝っちまった……。」
人々のささやきは輪唱のごとくざわざわと広がっていく。
「剣聖が負けた……」
「当代最強と言われたタニアが負けた……」
「ヨースケが勝った……」
「ヨースケがやりやがった……!」
そんな周囲の雰囲気に中てられたのか、「うわああああん!!」剣聖タニアが人目もはばからずに声を上げて泣き出した。
男どもはヒートアップし、「ヨースケ!」「ヨースケ!」肩を組んでみんなでヨースケコールを始めた。
タニアがわんわん泣いている。受付嬢のマリーさんも涙ぐんでいる。
なにこれ……。どうりゃいいんだよ……。
洋介はあまりに意味不明な冒険者ギルドホールの向かいの道路の真ん中で、一人真っ青な顔になり頭を抱えた。