04 不滅の魔法
また別のある日。私はいつも通り、アナの部屋を掃除していた。
陽が差す中で窓を全開にし、ハタキで埃を除いていく。その傍ら、私は視界に色々なものを捉えていた。机の上の魔導書、壁に貼られた複雑怪奇な絵図、用途不明の器具等々。実用的と言えばそれまでだが、機械人形の私を「可愛らしいのに勿体ない」などと評する少女の私室にしてはやや殺風景に想われる。
例外は、魔導書の横に置かれた小さな熊のぬいぐるみぐらいだろう。
「そんなにわたしの部屋が気になるのです?」
掃除の最中だというのに、部屋へと入ってきたアナがいつの間にか私の後ろに立っている。腕組みしながら上体を逸らし、何故か得意顔。もはや見慣れた光景だった。
「過去に見覚えのないものばかり並んでいますので」
「どれも魔法の研究に不可欠なのです。わたしは、実用的なもの以外置かない主義なのです」
「熊のぬいぐるみは研究に役立つのですか?」
「……仕方ないのですね。わたしの研究成果がそんなに見たいなら、使い魔のメイにだけは、特別に見せてあげても良いのです」
「いえ、特にそこまでは」
「今からやるのは『音楽の魔法』なのです」
アナは既に、こちらの話を聞いていない。杖を取り出して、新たな魔法を私に披露する気でいるようだった。掃除が中断しているから後にして貰えないだろうか。
「では、ここに並んだゴブレットをよく見ているのです」
「ぬいぐるみは結局何の関係も無いのですか?」
私の言葉を無視して、アナはいつものように小声で呪文を唱え出した。
足の短いゴブレットグラスが横一列に並んだところに杖を添え、再び離す。するとグラスが一斉に振動し、やがてアナの指揮に合わせ調和のとれたメロディーを奏で始めた。私は思わず音響センサーの感度を最大にしてしまう。
落ち着いた諧調が一見すると単調気味に繰り返され、かと思えば少しずつ様相を変え、そのサイクルがひたすら何度も何度も続いていく。
「お父さまのお気に入りの曲だったのです……」
「『パッヘルベルのカノン』ですね」
十七世紀末ごろにドイツで作曲されたという有名なクラシック音楽だ。本人の説明によれば『風の魔法』を応用し、グラスの中にそれぞれ異なる空気の振動を起こして、楽器に仕立てているのだという。アナはこうした創意工夫、奇抜な発想が一番の得意分野だ。
こういう時、私の反応を見るアナはいつも満足げだった。
「こちらの絵図は、カバラ図形ですね」
音楽が終わってから、私は窓際に貼ってあったひと際大きなモチーフに目をとめる。十個の円が二十二本の直線によって結び付けられたユダヤ・キリスト教神秘主義諸派による宇宙観の縮図。所謂『生命の樹』『セフィロト』だ。神の性質が物質世界にどのように具現化され創造が行われるのか、そのプロセスの理解を助けるものだという。
よく見ると、図形の周囲には注釈メモが山ほど貼りつけてある。字はアナのものだ。
「これも何か、魔法に使うのですか」
「……これは『不滅の魔法』なのです」
アナの声が急速に暗いトーンを帯び、宝石のようなブルーの瞳に深い影が落ちる。
まただ、と私は思った。契約を結ぶ前も後も、アナは時々こうして仄暗い雰囲気を漂わせることがある。理由を訊ねたことはない。仕事に支障はないからだ。
「『不滅の魔法』とは何でしょうか」
「人間、動物……形あるもの、命あるものは全部有限で、いつか消えて無くなってしまうものなのです。それは不完全だからなのです。『不滅の魔法』はそれを完全で、永遠のものに生まれ変わらせる夢の魔法なのです」
「……つまり、死ななくなるということですか」
「長い歴史の中で沢山の魔女や魔法使いが挑戦してきて、まだ一度も成し遂げた記録はないのです。お父さまもお母さまも、話してくれただけで、手を出そうとはしなかったのです」
アナはかぶりを振った。
「それでも、わたしは実現してみせるのです」
「アナがこの魔法を研究するのには、何か理由がお有りなのでしょうか」
「……別に、ただの興味本位なのです。わたしはわたしの実力を証明したいだけなのです」
アナはそれっきり、何も話そうとしなくなった。私は適切な返答を判断できず、アナが黙り込んだまま部屋を出て行く横顔を、ただ見つめることしか出来なかった。