03 凸凹主従の日々
アナの家は、都市部郊外の山の麓に建つ、二階建ての小さなお屋敷だった。東欧系の流れを組む、赤レンガづくりの古風な和洋折衷建築。アナはそんな場所に、たったひとりで暮らしていた。両親は既にいないという。
「別に、寂しくはないのです」
アナは訊ねもしないうちから、私にそんなことを言った。
アナの両親はその道では名高い魔法の研究者で、屋敷は研究所も兼ねていたという。アナはその遺産を、あらゆる意味において受け継いでいた。
「メイに今日やって貰いたいのは、この書庫の整理なのです」
私がその日連れて行かれたのは、一目でそれと分かる分厚い古書が、幾重にもうず高く積み上げられた、屋敷の中で一番大きな書庫だ。備え付けの本棚に天井付近までひたすらに中身が詰め込まれているのはもちろん、床や机の上にまで平積みの塔がいくつも建っている有様で、なるほど整理が必要なのは明白だった。
「これは全部、お父さまとお母さまが研究用に使ってた魔導書なのです。多いし、重たいし、一人じゃ片付けられなくて、読みかけの本が殆んどそのままになっているのです。いつまでも読めないままなのは、勿体ないのです」
「所謂、積ん読と呼ばれる状態ですね」
「安っぽく聞こえる言い方はやめて欲しいのですっ」
アナは何かと気難しい。
「具体的には、どのように整理しますか」
「とにかく埃やススをどんどん払って、順番の通りに並べ直して、もう一度ここの本や場所を使えるようにしてくれればいいのです」
「アルファベット、漢字、アラビア文字、キリル文字、ルーン文字……現在確認出来るだけで十一言語に相当する本が存在します。これらは、どのように順位をつければ」
「……え、ええっと……適当で良いのですっ! 後は任せるのですっ」
アナは何故かバツの悪そうな顔で何処かに行ってしまい、私は少々困り果てた。
適当にという指示が、私にとっては最も難しい。
書庫内を隅から隅までゆっくりと見回す。人間なら『カビ臭い』と表現しそうな本が大半と思われるが、本当のところは私には分からない。ロボットの私には嗅覚がない。
人間なら当たり前に理解出来る感覚が、私には欠如している。
仕方ないので衛星経由でネットワークにアクセス、各言語の発生年代を調べた上で古い順に棚の左上側から並べていくことにした。
手近な本を一冊手に取った瞬間、それが死角で支えの役割を果たしていたのか、平積み塔のひとつが奥から轟音と共に雪崩を起こし倒れてきた。たちまち音を聞きつけ、何事かとアナが仰天した顔で駆け戻ってきた。
別のある日のこと。郵便受けを見に行くと、いつもある地方新聞(購読解除の仕方が分からないという)に混じって、豪華な装丁の大きな封筒が何通も届いていた。
宛名はいずれもアナスタシア様とある。回収して居間にいたアナのところに持っていくと、構わないから捨ててしまって良い、と実物には目もくれずに言われた。
「どうせまたお父さまお母さまの本を譲るよう頼んできてるだけなのです。いつもいつも同じことしか書いてないから見飽きたのです」
アナは、書庫から出してきた本を何冊か並べ、考え事をするのに大忙しだった。難しい顔で唸りながら、色々なメモや付箋を書いては貼り付け、また書いてを繰り返している。数日かけ書庫整理を終えたはいいが、アナはそれからというもの延々この有様だった。よっぽど真剣に調べ物をしているらしい。
「わたしは子供だから、どうせ価値なんて分からないってバカにされているのです。でも本の中には、悪用されたら危険な知識も沢山あるって聞かされてきたし、お父さまお母さまの研究成果は誰にも売らないのです」
こんな少女がなぜ孤独に耐えられるのかと私は疑問だったが何のことはない、アナは他者というものをまるっきり信用していなかったのだ。本人なりに両親が遺したものを守っているという部分もあるのだろう。
「それよりメイ、天気が良いからお洗濯……何してるのです?」
私が唐突に部屋の真ん中で硬直したのを見て、アナは訝しく思ったようだ。
「オンラインニュースの定期配信を……受信しています。私は旧型メイドロイドですから……容量が大きいと動作が少々……重たくなってしまいます」
「……何です?」
「頭の中に郵便受けがあって……大きな新聞が詰め込まれていると……お考え下さい」
「時々動きが遅いのはその所為なのです?」
アナは少し呆れるようにため息を吐くと、立ち上がって伸びをした。
「わたしはお散歩してくるのです。いつもの時間になったら、お買い物をお願いするのです」
「お出かけの際は……傘をお持ち下さい……二時間以内に天気急変の……可能性が……」
私の言葉に不安を覚えたのか、アナは窓の外を見やった。
「……確かに薄い雲はかかってるけど、そこまで気にしなくて良いのです。メイは少し心配性過ぎるのです」
「ですが予報では……」
「とにかく、いらないものはいらないのです!」
アナは変なところで意地になり、私の忠告も聞かずに庭へと出て行ってしまう。私の動作が戻った頃には、もはや姿は見えなくなっていた。
ところが一時間もしないうちに、空は大変な勢いで灰色へと変貌していった。十年前よりも異常気象が進んでいるのかもしれない。瞬く間に風雨が生じ、みぞれが混じり、いつしかプチ吹雪に等しい状態となった。それでも私はいつもの買い出し時刻になると専用のカゴを提げ、大きめの傘を差して屋敷を出発した。
町への道を歩いていると、木陰でアナが縮こまって震えていた。私の姿を認めると、アナは少しだけ不機嫌そうな顔になり、やがて買い物はもう良いと言った。私は小走りでやって来たアナを何も言わずに傘の下に迎え入れ、一緒に屋敷への道を戻った。