10 私の願い
――突然、世界に光が差し込んだ。
私は目を見張った。赤、青、緑、黄色と目まぐるしく変転しながら炸裂を繰り返すものが、私とアナのいる部屋全体を鮮やかに染め上げていた。暗闇が引き裂かれ、世界は色付く。
それは花火だった。
窓から見える町の夜空に、大輪の花火が無数に咲き誇っていたのだ。
「……アナ」
私は、考えるよりも先に訊ねていた。
「あれは、魔法ですか?」
アナは一瞬意外そうな顔をしたが、町の方を見てすぐかぶりを振った。
「……ただの、お祭りの花火なのです。毎年この季節に、港の方でやっているのです」
私は思い出した。冬の夜空に数千発を打ち上げる花火大会が今夜開催されると、昼間訪れた雑貨屋の入口にポスターが貼られているのを見かけたからだ。
「魔法とは何の関係もないのです」
「ですが……私には魔法のように見えます。本当に関係ないのですか」
「メイが、そんな風に言うなんて思わなかったのです……」
アナはどうやら本気で驚いていた。
「曖昧なものは苦手だって、さっき自分でそう言ってたのです」
「私は――」
言いかけて気付いた。
私は確かに、曖昧なものが苦手だ。
基準の明確でないまま無闇に判断を求められたり、観念的で具体性に欠けるものを盾にして責められたりすることが、私にとってはこの上もない苦痛だ。
だがしかし、魔法というある種最も観念的で曖昧なものと日々接しながら、アナと過ごしたこの二か月間はまるで苦痛に感じなかった。何故かは自分でも分からない。
それでも確かに、曖昧でも苦ではない不可解な日々が、私の中に生じていたのだ。私にこの新しい出会いを与えてくれたのは紛れもなくアナだ。そんな彼女との関係を、私は今「曖昧である」という理由で終わらせようとしている。
私は沈思黙考の末、深呼吸しようとしてそもそも呼吸するという機能自体が無いことに気が付いた。私は遠方の花火に引き寄せられるように、バルコニーに出ると外の冷気をあらん限り浴び自らを冷却した。冷たさが苦ではないのも、思えば初めてのことだった。
振り返るとアナが、また心配そうに佇んでいた。
「……メイ?」
「アナ……私はもう、破壊を対価には求めません。必要ないと今、分かりました」
言葉の理解に時間を要していたが、やがてアナの顔がみるみるうち喜色に溢れる。
アナは何も言わずに私の腕に飛び込んで来た。外気でお互い冷え切っている筈なのに、私はとても暖かく感じた。血の通わない私にまで、アナが体温を分けてくれるみたいだった。
喜んでいる筈のアナは、何故かすすり泣くような鼻声を出していた。
「心がないなんて言って……本当にごめんなのです……ずっと謝りたかったのです……!」
「……気にする必要はありません。本当のことです……」
そんな風にひとしきり抱き合ってから、私は肝心なことを思い出した。
「あと三十分で契約の期限です」
「……ムードがないのです、メイ」
「大事なことです。何より新しい対価が決まっていません」
「……ならいい加減、本契約にするのです。毎週の契約更新は正直ちょっと手間なのです」
言われてみれば全くその通りだと思った。
「待遇は何か変わりますか?」
「……特別にちょっとだけ豪華にしていいのです」
「そう言われましても、すぐには」
私はふと、バルコニーから見える屋敷の端に目をとめた。
二階にある、階段を挟んでアナの部屋の反対に位置する未使用の小部屋。そこの陽当たりが存外良かったことを、私は二か月間屋敷の掃除をし続けた記憶から思い起こした。
「……部屋をひとつ、私に頂けますか」
私がそう言うと、アナが途端に目を丸くした。
「これからずっと、アナの近くに居場所が欲しいのです……意外でしたか」
「そうじゃないのです。気付いてないのです?」
アナが私の頬に、その柔らかくて暖かい手で触れながら言う。
「メイ、今とっても優しい顔で笑ってるのです」
「…………それはきっと、アナのお陰です」
私たちは小指を絡ませ合う。アナの杖が空中をなぞり、ふたりの運命を固く結び合わせる。胸の奥に二度と消えない熱がともる。祝福の花火が空いっぱいに咲き乱れる。
私たちの行く末に、不滅の魔法がかけられた。
(おわり)