間話 キリとバリー
「間話 サミエルとキリ」の裏話です。
「…お疲れ様でした、キリさん」
王宮内の目立たぬ部屋で、念のため時間をずらして落ち合ったのだが、バリーはどこか不満気な顔をしている。
その隠す様子もない不満顔は気になったが、それよりも大事な事がある。キリは懐から小瓶を取り出した。
「バリー様。コチラがお薬です」
薄桃色の液体。陽にかざすと魔力の残滓が煌めいた。バリーは小瓶を受け取り、ジッと中身を見た。バリーの瞳に、魔力が揺らめく。
「ナック草、ロボクの粉、そしてベルナ草。部下達からの報告通り、違法な物ばかり。かなり悪質な媚薬もどきですね。これを服用したら、精神を壊す可能性があります。何が軽い眠り薬だ」
バリーが忌々しげに呟くと、キリは目を見開いた。
「バリー様、私達の様子を見ていらっしゃったのですか?」
先程までのサミエルとのやり取りの中で、確かに彼はこの薬を寝付きが良くなる薬などと言っていた。サミエルと接触するのはいつも人気のない所だったが、今まで一度もバリーの気配を感じた事はなかった。
「当たり前です。キリさんに囮まがいの事をさせているんですから。心配で離れられませんよ」
いつもより僅かに早口になったバリーが、拗ねた様にそっぽを向く。その耳はキリの気のせいで無ければ、赤くなっている様だった。
「ご心配には及びませんよ?」
自慢ではないが、サミエルやもう一人の護衛程度なら、キリの相手ではない。2人がかりで襲われた所で、剣がなくても無力化出来る。
「貴女が強い事は分かっています。サミエルだろうがあの護衛だろうが、負けるはずがない。分かっていますよ。しかし、あれほどあからさまに邪な目を向ける輩と、貴女を2人っきりになんてさせるわけないでしょう」
いつもの軽薄さとはかけ離れたどこか真剣なバリーに、キリは素直に驚いた。
「まぁ…、分かりやすいぐらい下衆な目ではありましたけど」
サミエルとビスクの視線の中に潜む暗い熱を思い出し、キリは首を傾げる。
「あの程度、グラス森にいた時は普通でしたよ?」
孤児で外国の血が混じるキリの立場は、ダイド王国では限りなく低かった。そんな相手に兵達が節度をもって接するはずもない。キリはグラス森討伐隊で、襲われない様に侮られない様にと、常に警戒を怠らなかった。お陰で、幸いにもそういった被害に遭った事はない。
「くっ、絶対に、二度とあんな国には帰さない……!」
余計にバリーの不機嫌さが増してしまったが、キリは怒れるバリーにフッと笑みを向ける。
「私も戻りたくはありませんね」
バリーはその笑みに呆けた様に見惚れ、慌てて首を振る。今は仕事中だと言い聞かせ、キリから無理やり視線を逸らせた。
最近のキリの態度の軟化に、バリーは翻弄されてばかりだ。ふとした表情や、柔らかな笑み、敬意のこもった視線、呆れた様な顔ですら、バリーに対する好意が感じられる気がする。かといって関係を進めようと近付くと、スルリと躱される。己は恋愛事に関して、経験も豊富だと自負していたが、キリを前にすると初恋もまだの少年になった様な気がする。
そのキリが、演技とはいえ他の男に口説かれ、しかもキリにもその気がある様に見せられるなどと。演技とはいえ、演技なのだが、演技だろうとも、拷問だった。あんな軟弱な、下衆の、色男モドキにキリが惚れるはずなど、万が一の可能性はないと分かっていても、不愉快だった。
「……キリさんは演技も上手いんですね」
モヤモヤする気持ちを抑え込み、バリーは笑顔でキリに向き直る。キリの銀色に澄んだ目を真正面から受け止め、頭を仕事に切り替えた。
「そうでしょうか…?」
「ええ、とても自然でした。あれなら奴らにも気取られる心配はないでしょう、ふふっ」
バリーは言葉の途中でキリの演技を思い出し、思わず吹き出した。
「どうなさいました?」
「いえ…。奴らに金貨を渡された時のキリさんの顔が、本当に驚いていた様に見えて…。金貨ぐらい、見慣れているでしょうに」
笑うバリーに、キリはあぁ、と納得が行った様だ。
「あれは、演技ではなく本当の事ですから。あれほど沢山の金貨を見たのは、初めてだったので…」
「えっ?!侍女の給金では流石にあれほどは支給されませんが、キリさんはグラス森やカイラット街でも魔物を沢山倒してましたよね?A級1匹でもあれぐらいの金貨を貰えますよね?」
思わず声を上げたバリーだったが、あ、と気づき、少し声を顰めた。
「もしかして、まだシーナ様から受け取っていないのですか?シーナ様も倒れられたりして、色々ありましたからね。この件が落ち着いたら、ちゃんとシーナ様に申し上げて精算しましょう。シーナ様も気にされているかもしれませんから」
あのシーナが、キリの分の報酬を着服するなどあり得ない。しかし、金の計算や手続きが嫌いなシーナの事だから、後回しにしていた可能性はある。
バリーの気遣いに、キリは慌てて首を振った。
「いいえっ!シーナ様からはちゃんと頂きましたっ!ただ…」
「ただ?」
言い辛そうにキリは言葉を濁す。ちょっと困って、視線をうろうろ彷徨わせていたが、決意して、ふぅっと息を吐き出した。
「その、金貨ではなく、白金貨で、魔物の討伐代金の半額を下さったものですから…。シーナ様から頂くのは、いつも白金貨なのです。だから金貨はあまり見た事なくて」
グラス森で狩った魔物を売った代金、カイラット街で魔物を売った代金、そしてシーナが何か開発したりする度に得る代金、それを大雑把に半分にして、シーナはキリに渡すのだ。端数は切り上げね、と寧ろ多目に渡してくる。固辞しても、わたしだってこんな大金持ってるの嫌なんだよーと涙目で言われてしまうのでキリは仕方なく受け取り、何かあった時用に手元に置いておく白金貨1枚以外は、結局またシーナの収納魔法に預かってもらうのだ。
ちゃんとキリの分は分けて収納しているからね、欲しい時はいつでも言ってね!とシーナには言われているが、キリに大金の使い途などない。服は支給のメイド服とシーナがキリのために沢山買ってくれた服がある。武器はシーナが作ってくれたほのおの剣以上の至宝はないし、食事はシーナが作ってくれる料理以上に美味しいものはない。住む所もシーナの側ならどこでもいいし、兎に角、本当に使い途がない。それは主人であるシーナも同様なのだが。
クラリ、とバリーは目眩を感じた。
そういえばこの主従は、どうにも平民感覚が抜けなかったなと思い出したのだ。女性が好みそうなドレスも装飾品にも、観劇だとか茶会などには興味がない。シーナは楽しそうに簡素なワンピース姿で王宮内に引き篭もっているし、キリはシーナの世話と鍛錬が出来れば、後はどうでもいいという性格だ。金の使い途など、そりゃあないだろう。
しかも、本人達(特にシーナ)は無自覚にやらかして利益を生み出し続け、たぶんおかしな方向に金銭感覚が麻痺している。余りにお金が貯まり続けるので、現実から目を逸らしているともいえる。
そして、あの莫大な報酬を、書面などは残さず、大雑把に分けているのだろう。
使わないけど貰っちゃったー、取り敢えずキリと半分こして収納魔法で仕舞っておこうっと!
シーナ様から頂いたが、取り敢えずシーナ様にお預けしておけばいいか。使い途はいずれ考えよう。
この場にはいないシーナの言葉と、キリの内心が聞こえた様な気がして、バリーは膝から力が抜けそうになった。想像でしかないが、たぶん98%ぐらいの正確さで、2人の内面を読み取っているはずだ。
白金貨を気軽に渡す主人も、断りきれずに貰って結局使わない侍女も、世間一般の常識からかけ離れていると、どう教えればいいのか。
そして、何気に自分よりも遥かに稼いでいるキリに、財力面ですらアピール出来ない事に、地味に傷つくバリーだった。





