55 自称、婚約者候補
遅くなりました、ようやく出来ました。
「ジンクレット殿下の婚約者候補としてまいりました、ラナ・コルツです」
初対面のご挨拶でそんな爆弾発言をしやがりましたのは、ナリス王国コルツ公爵家の長女、ラナ・コルツ嬢だった。黒い髪、碧の瞳、今年18歳とは思えないボンキュッボンのプロポーションが眩しい、蠱惑的な美女。わたしの3歳上かぁ。わたしもあと3年であそこまで育つのだろうか。絶望しかないな。
ロルフ殿下をお迎えして、カナン殿下と共に、マリタ王族全員とその婚約者達で歓待しようと応接室に移動したら、そこに沢山の侍女や侍従に傅かれた美女が悠然と座っていた。皆でなんだこの人と、ポカンと見てしまった。
美女は唖然とする陛下に優雅にご挨拶なさって、荷物が沢山ありますの、私の部屋はどこかしらと仰った。厚顔無恥って四文字熟語を体現する人、初めて見たー。
友好国の王家に次ぐ公爵家の令嬢を無碍にする事も出来ず、陛下はコメカミをヒクヒクさせながら部屋の用意をさせてたよ。陛下がロルフ殿下を睨みつけるが、ロルフ殿下はもはや無の顔だ。
一応、ナリス王国からの賓客として、ラナ嬢も応接室での同席を許された。ラナ嬢はまるで女主人のように、寛いでいらっしゃいますよ。やだ、王妃様の笑顔が怖い。笑顔なのに圧が凄い。王太子妃ルーナお姐様が目をスウッと細め、アラン殿下の婚約者ハンナ様の笑みが深くなり、リュート殿下の婚約者サリア様が顔をしかめる。一瞬でマリタ王国女性陣をすべて敵に回してるよ。凄いな、逆に。
わたし?最初のジンさんの婚約者云々の発言時から戦闘態勢ですよ。受けて立つぞ、コラァ。
そうして、誰も望んでないのに勝手に語られた、ラナ嬢の嫌味ったらしい自慢話を総括すると。
コルツ公爵家はロルフ殿下の祖父である先先代のナリス国王の姉が降嫁した由緒正しい、高貴な家柄だそうだ。つまりロルフ殿下とラナ嬢は、またいとこにあたるのかな?
そして、ラナ嬢自身もナリス王国の学園を優秀な成績で卒業した、素晴らしい能力を秘めた魔術師であるため、今回のカナン殿下の護衛任務に参加したと。
ちなみに、今回の護衛任務については誰からのオファーも受けていないそう。『優秀な私が自主的に参加してあげた』そうですよ。へぇぇ。それ、勝手に付いて来たって言わないの?
それはともかく。わたしはラナ嬢の格好を上から下まで見る。
えっと、護衛任務中の魔術師、なんだよね?宝石をいくつも縫い付けた豪奢なドレスをお召しですが、本当にそれで戦えるの?
魔術師の戦い方ってさ、わたしもグラス森討伐隊にいたから知ってるけど、後衛とはいえ、ボーッと突っ立って、呑気に詠唱なんて出来ないのよ。魔物の動きや、前衛の動きに合わせて、安全を確保しながら縦横無尽に走り回って、魔法をぶっ放すのよ。たまに味方も巻き込まれたっけ。
今回のナリス王国からマリタ王国への旅程で、魔物除けの香を使ったとはいえ、全く魔物が出なかったはずがない。あんなろくに動けなさそうな格好で、本当に討伐とか出来たんだろうか?ドレスについたレースを木の枝で引っ掛けただけでギャーギャー騒ぎそう。
「ラナ嬢。他国の王族の婚約者候補を勝手に名乗るなど不敬だ。ナリス国王からも許可を得ていないだろう。発言を撤回しなさい」
ロルフ殿下の苦言に、ラナ嬢は強気な笑みを浮かべる。
「あら、ジンクレット殿下をお慕いする気持ちがつい先走ってしまって。申し訳ありません。でも構いませんわよね?私より妃に相応しい者などおりませんもの」
なんだろう、凄い違和感。
いくら有力な公爵家の令嬢でも、現王族で、王弟であるロルフ殿下を蔑ろにし過ぎじゃ無いかな?ロルフ殿下も、ラナ嬢の言動にため息をついているが、厳しく咎める様子はない。苦虫百匹ぐらい嚙み潰した顔をしてるけどね。
どういう力関係なんだろうとロルフ殿下を眺めていたら、パチリと目があった。途端に、悪戯っぽくウィンクされる。軽っ。そして色気っ!
美形のウィンクに戦慄するわたしをよそに、ラナ嬢はジンさんをねっとりした目で見つめる。
「私は学園の演習で数多くの実戦経験を積み、優秀な成績を修めました。魔物の討伐でもお役に立てますわ」
『魔物狂い』と呼ばれるジンさんの好みに合わせているつもりなのか、優秀な魔術師アピールが凄い。別にジンさん、戦闘狂じゃないけどなぁ。領地を持つ貴族は魔術で戦える事を良しとする風潮がある。女性は戦地に赴く事は殆どないが、高い魔力を持つ女性は、結婚相手として歓迎されるのだとか。強い魔力を持つ子どもが生まれやすくなるからね。
「コルツ嬢。私には既に婚約者がいる」
ジンさんが絶対零度の瞳でニコリともせずにそう返すが、ラナ嬢はへこたれない。
「あら、まだ仮の婚約とお伺いしていますわ。お相手は平民とか…」
ラナ嬢は馬鹿にした様に鼻を鳴らす。実はわたしとジンさん、まだ仮の婚約なんだよね。わたしの養子先が決まらないせいだ。サンドお爺ちゃんとカイラット卿の戦いは、カイラット卿の優勢で続いておりますよ。そろそろ陛下が決定を下すそうです。
ラナ嬢は扇子の奥で嫌ぁな笑みを浮かべ、わたしを見つめる。
何だろうと見つめ返していたら、ラナ嬢が勿体ぶりながら、さも親切そうに言い出した。
「ジンクレット殿下。騙されてはいけませんわ。その平民はか弱い子どもの振りをして貴方の庇護欲を誘ったのかもしれませんが…。実は大罪人ですのよ」
ねっとりと、纏わりつくような毒の声。追い詰めた獲物を甚振る捕食者の笑み。
「大罪人だと?」
ジンさんが不愉快そうに片眉を上げる。それに、ラナ嬢は大きく頷いた。スラリと立ち上がり、大仰に扇子を振り上げると、ピタッとわたしに突きつける。
「ええ!大罪人です!その女は、かのダイド王国で高位貴族の令嬢を殺害しようとした、あの元聖女ですのよ!」
これがドラマだったら、ババーンッと効果音が入るのだろうか。残念ながら無音なので、イマイチ迫力には欠けた。
沈黙が、応接室を覆う。
気まずげな、居た堪れない雰囲気。アラン殿下辺りから我慢できなかったのか、「ぶほっ」と吹き出す音がした。意外に笑い上戸だよね。
ラナ嬢は会心のドヤ顔。…誰か、早く教えてあげて。すごい得意げに発表してるけど、みんな知ってるよ?って。ついでに鼻膨らんでて、残念な顔になってるよって。
「だからどうした。そんなこと百も承知だが?」
ジンさんが道端の虫を見るような目をラナ嬢に向ける。オブラートに包む気のないストレートな言葉に、ラナ嬢の貴族然とした態度が崩れる。
「な、なんですって?まさか罪人と分かっていて、マリタ王国の王子妃に迎えるおつもりですか?」
「罪人、罪人というが、彼女の裁判はダイド王国で行われていないぞ。我が国では王国共通法に則り、裁判もなくこのような重罪が確定するなど有り得ないし、魔物の跋扈する森に罪人を放逐するような残虐な刑もない。…もしやナリス王国はその様な蛮行を容認する国だったのか?そうであるなら、今後の付き合い方を考えねばならんな」
ジンさんの言葉に、ラナ嬢はビクリと身体を震わせた。ナリス王国は王国共通法に則った裁判制度を採用している。ダイド王国がわたしにした事を容認するという事は、ナリス王国もダイド王国と同じ様に、裁判制度を蔑ろにしていると宣言してる様なものだ。
「我が国はそんな事、断じて容認しない。ふうん。コルツ公爵家はその様なお考えか。これは陛下に伝えなくてはな」
すかさずロルフ殿下が訂正を入れる。ラナ嬢を見る目は冷ややかだ。
「そ、そのようなつもりはございませんっ!コルツ公爵家とて、我が国の裁判制度を尊重しておりますわ!た、ただ私は、その女が、ダイド王国で悪名高い元聖女と言うことをお知らせしたかっただけです!裁判が行われなかったとしても、その女が高位貴族を害そうとしてダイド王国より断罪されたのは事実ですわ!」
キイキイと耳障りな金切り声で叫ぶラナ嬢。耳が痛いー。
「それにしても、コルツ嬢。何故シーナ嬢がダイド王国の元聖女だと知っている?」
ロルフ殿下が、静かに剣に手を掛けてラナ嬢に詰め寄る。
「ナリス王国でも、シーナ嬢の事は、一部のものしか知らないのだが?」
そういえば…。魔物避けの香やカナン殿下の治療について、わたしが関わっている事はナリス王国にも機密扱いでってお願いしたはずだけど。どこから漏れたんだろう。わたしの対外的な身分は王妃様の遠縁の娘って事になってるのに。
ロルフ殿下の怖すぎる威嚇に、ラナ嬢は気丈にもホホホと笑った。
「コルツ公爵家で調べて分からぬ事などございませんわ!」
コルツ公爵家は、ナリス王国でかなり大きな派閥を持っているので、情報が集まるのだとか。大きな耳とよく見える目をお持ちなのねー。
バリーさんが気配を消しつつ、さり気無く部屋を出て行く。多分ラナ嬢のこととか、コルツ家の事とかを調べに行ったんだろうけど…。何をするつもりなのかが怖いわぁ。バリーさんって只の巨乳好きじゃないもんなぁ。
ラナ嬢とロルフ殿下の睨み合いを放って置いて、わたしはこっそりジンさんに耳打ちした。
「ねぇ、ジンさん。普通、高位貴族って適齢期には婚約者がいるんじゃないの?公爵家のご令嬢なのに、いないのかな?あの人」
わたしの疑問に、ジンさんは苦笑しながら教えてくれた。
「まぁ、普通はいる。俺やリュート兄貴の様に逃げ回っている場合もあるが、公爵家の後継ともなれば、大体は幼少期に婚約者が決まっている。サイード兄貴もアラン兄貴も幼い頃から決まっていた」
ふむ。マリタ王国の後継者たるサイード殿下とその次のアラン殿下の伴侶ともなれば、将来の王妃としての教育が必要になるもんね。早めに決めないと不味いよね。高位貴族なら、領地を治めるための教育が必要になる。コルツ公爵家は娘が2人いて、順番的に長女のラナ嬢が婿を取って後を継ぐ予定だったらしい。
「家付き跡取り娘って、引く手数多じゃないの?」
性格はアレだけど、公爵家の跡取り娘だもの。選び放題じゃないの?
「それがなぁ、コルツ嬢の婚約者は、幼少期からさる侯爵家の次男に決まっていたのだが…。ラナ嬢の我儘に振り回され過ぎて、身体を壊してしまったらしい。2年前だったかな、婚約を解消したそうだ」
ああー。玉の輿と天秤にかけても、無理だったんだ、あの性格。会って数分でわたしも嫌いになったもの。よくもまあ、数年も耐えたもんだ。偉いよ、その侯爵家の次男さん。
「ラナ嬢の我儘は社交界でも知れ渡っていて、次の婿が決まらず、結局、ラナ嬢の妹が婿を取り公爵家を継ぐ事になった。だからあの女は婿ではなく、嫁入り先を探す事になったが、国内外の有力貴族に軒並み断られてな。その中でも俺はサイード兄貴の即位後は公爵位と領地を賜る予定で、かなり条件がいいもんだから、断ってもしつこく打診されている。今回も、業を煮やして、勝手にウチに来たんだろう」
「えっ!ジンさん、公爵様になるの?」
ちょっと、ラナ嬢の事がどうでも良くなるような情報があった。公爵様?
「ん、一応その予定だ。シーナちゃんは公爵夫人だな。あー、心配しないでいい。シーナちゃんの周りは優秀な人材で固めるし、公爵夫人としての仕事は、たまの社交と屋敷内の管理ぐらいだから。他は料理でも何か作るでも、シーナちゃんの好きな事して過ごしていいからな。大丈夫。大丈夫」
コソコソ話しながらわたしの将来の不安を感じ取ったのか、ジンさんは宥める様にわたしの背中を撫でる。
「わたしに務まるかなぁ」
「シーナちゃんは今、王子妃教育を受けているだろう?教師達からも何の問題もないぐらい優秀だと言われている。それに、務まらんでも問題ない。俺はシーナちゃんが妻になってくれればそれでいい。君は頑張りすぎるのは分かっているから、頑張ろうなんて思わないぐらいが丁度いい」
そんなものかなぁ?と考えていると、ラナ嬢が苛立たしげな声を上げた。
「ジンクレット殿下。私の前で、その下賤な女の相手をするなんて、コルツ公爵家への侮辱ですわ」
「俺が婚約者を愛でて何が悪い。コルツ家からの婚約の申し出は、全てお断りしたはずだが?」
切り捨てる様なジンさんにも、ラナ嬢はへこたれた様子はない。扇子を広げ優雅に微笑む。
「あらまぁ、ジンクレット殿下は民に紛れて魔物を狩るうちに、随分と趣味が偏られた様ですわね。私を正妃に娶り、その罪人を愛人にしたいと言うことかしら?」
え?何をどう聞いていたらそうなるの?思い込みの激しい人だな。
「自分の都合の良い様にしか聞けぬ耳しか持っておらん様だな。前の婚約者殿が身体を壊したのも合点がいく。こうも話が通じぬとは…」
ジンさんの対嫌いな人仕様の話し方は怖い。どれぐらい怖いかと言うと、罪人を相手にしているアラン殿下と同じぐらい怖い。これが『氷の王子』の呼び名の由来かな。ジンさんの瞳が、暗く冷たい色に見える。
ヤダな。ジンさんの瞳は夏の空みたいに綺麗で透き通っていて温かいのに。いくら美人で身分が高くても、ジンさんにこんな顔させる人に渡したくない。絶対やだ。
わたしはジンさんの顔に両手を添えて引っ張った。驚いたジンさんの瞳に、わたしが映る。自然と和らぐ瞳に、嬉しくなった。
「どうした、シーナちゃん?」
「別にー」
頬っぺたをムニムニしてやれば、眉がヘニョリと情けなく下がるが、止められる事はない。ジンさんはわたしに甘いからね。
イチャイチャしてても、周りはいつもの光景かと流してくれます。見慣れましたか、そうですか。
しかし見慣れていない人もいました。そう、ラナ嬢ですねー。顔を寄せ合い、うっとり見つめ合っている様に見えるわたしたちに、ブチ切れてしまった。
「この下賎な平民!私のジンクレット殿下に勝手に触れるな!」
顔を真っ赤にして怒鳴り出したラナ嬢が、手にしていた扇子をわたしに向かって投げつけた。キラキラした飾りが付いてるけど、当たってもそんなに痛くなさそうと冷静に分析して身構えた。その時。
ヒュンッ、ボッ。
躍り出たキリが剣で一閃。真っ二つになった扇子は加減された火魔法で跡形もなく燃え尽きた。
現れた時と同じ、キリは音もなく元いた場所に戻る。無表情だが、眼だけは爛々と輝いている。
ひゃあぁぁっ!カッコイイ!侍女服姿なのに、どこにほのおの剣を隠してたのっ!?やだ、キリカッコいい。やっぱりウチの子が一番カッコいい!
あまりの早業に、誰もキリの行動を止める事は出来なかった。ロルフ殿下やラナ嬢の護衛さん達も、一歩も動けずにいる。
「申し訳ありません、ラナ様」
わたしは固まる皆さんを見回し、申し訳無さそうに言ってみる。
「ラナ様の手から誤って離れた扇子を、わたしの侍女が処分してしまいましたわ。わたしが怪我をしてしまうかもと取った行動ですわ、どうかお許しくださいね?代わりの扇子をご用意いたしますわ」
ニッコニコ笑顔で謝るわたし。反面、殺気がダダ漏れのキリ。キリさぁん、気持ちは分かるけど、ちょっと殺る気を抑えようね。護衛の皆さんが、ピリピリするからぁ。
「っ!わ、わたくし、疲れておりますので、失礼いたしますわっ!!」
キリの殺気に当てられたのか、真っ青になったラナ嬢はドタバタと去っていった。傅いていた侍従さん達も付いていったので、応接室は急に広々した様な気がする。空気が美味しい。
「キリ、ありがとうー。格好良かったよー!!」
わたしがキリを褒めると、キリの殺気が霧散して照れ照れになる。うふ、可愛いのぅ。
「…素晴らしい侍女だね、シーナ嬢」
「えぇ。わたしの宝です」
ロルフ殿下の心からの賛辞に、わたしは素直に頷く。キリが世界一なのは世界の共通認識ですとも。
「それに、とても頼もしいな…。あの、ラナ・コルツを子どもの様に遇らうとは…。ふふふ、いい気味だったよ」
ロルフ殿下の目が、楽し気に輝いている様に見えた。その目がわたしに真っ直ぐ注がれていて、背中がむず痒くなった。
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