97 王太子の責務
日を追うごとに、魔物の数は増えて行った。
街や村を離れると、それは顕著になる。整備された街道を進んでいるんだけど、結構な頻度で魔物の姿を目撃した。魔物除けの香があるので、よほど強い魔物でなければ近寄ってはこないのだが、村や街に被害を与えてはいけないと、兵士たちが討伐している。この辺の魔物なら、魔力剣やバングルで強化された兵士たちの敵ではないと分かっていても、怪我をしないかと心配になってしまう。
行軍が進むにつれ、増える魔物にだんだんと兵士たちの緊張感も高まっていった。サイード殿下たちの指揮のお陰で、今のところ兵士たちに乱れはないが、各国が改めてグラス森周辺の状況の悪さを認識したようだ。
緊張感が高まるにつれ、ガドー王国側からの嫌がらせが増える。兵士たちからのこれみよがしな嫌味や高圧的な暴言は、わたしだけでなく、わたしを擁護するマリタ王国にも向いている。兵士たちの無礼な態度をシルド卿は黙認しているようで、諫めもしなければこちらに謝罪にくることもない。大将であるアルフォス殿下たちは、本格的な討伐に参加するのは初めてなので、自分たちの事で精いっぱいの様だ。まあ、アルフォス殿下にシルド卿を抑えることなんて出来ないと思うけどね。
それに反発するマリタ王国と、ナリス王国、ヤイラ神国の兵士たち。一緒に過ごす内に自然と食事を提供していたから、わたしに味方してくれる人は多いんだよ。
お陰で、グラス森討伐隊はガドー王国VSそれ以外の国という仲間割れを起こしている。
ううーん。一丸となって討伐に当たらなくてはいけない時に、これは良くない傾向だなぁ。
「シーナちゃんが気に病む必要はない。ガドー王国の自業自得だ」
こっそりサイード殿下に相談したら、サイード殿下は一刀両断にガドー王国を斬り捨てました。
「それに、実際の討伐になれば、奴らも認識を変えざるをえないだろう。ふっ。俺はそれが今から楽しみで仕方ない」
魔王の様な酷薄な笑みを浮かべるサイード殿下。怖い。
「討伐になればってどういうこと? サイード殿下」
怖いのを我慢して、わたしはサイード殿下に訊ねる。物凄く悪い顔をしているので、嫌な予感しかしないけど、聞いておかないと気になっちゃうもんね。
「いままでは、魔物除けの香のお陰で、魔物の数は大したことはなかった。あの香のお陰で、魔物たちの動きも鈍いし、難なく打ちとれた」
うんうん。確かに。動きの鈍い魔物一体を兵士たちでタコ殴りにしてたもんね。
「だが、グラス森の内部ともなれば、そうはいかない。奴らのテリトリーを侵すわけだからな。魔物除けの香があったとしても、相当数の魔物を相手にしなくてはいけないだろう」
「うん……。そうだね」
想像して、がくんと気持ちが落ちる。万全の態勢を敷いているけど、兵士たちが傷つくのは避けられないだろう。
「シーナちゃん。魔物の討伐において、被害がゼロだということはありえない。だが、俺は今回の討伐は、被害を最小限に抑える事が出来ると思っている。今回の討伐には、君がいるからな」
サイード殿下の言葉に顔を上げると、強い視線に射抜かれた。
「危険な事をするななどと、俺は綺麗ごとは言わん。この討伐に参加する者すべてに、持てる力を振り絞って、戦って欲しい」
「い、いいの?」
ジンさんやキリには、後方支援以外はダメだって口酸っぱく言われている。守るつもりなんて、なかったけどさ。
「ザインやアランが、口を揃えて『シーナちゃんは強い』と言っていたからなぁ。勿論、無理はさせる気はないが、力を抑える事は無い。思う存分、やっていいぞ。だが、一つだけ覚えていて欲しい」
サイード殿下はそこで言葉を区切ると、居住まいを正した。
「グラス森討伐隊は、マリタ国王グレイソン・マリタの命により、このサイード・マリタが全責任を負っている。この討伐が成功するも失敗するも、その責めは私のものだ。それだけは、けっして忘れてくれるな」
陛下そっくりの茶色の目が、わたしを強く見据えている。
「王族として兵を率いるという事は、兵の命を預かるという事だ。元聖女ごときが簡単に負えるものなどと思わんでくれ」
慣れや甘えを許さない、固い声。その言葉に、わたしは自分が思い上がっていたことに気づいた。
討伐隊に参加する兵たちの命を守りたい。絶対に誰一人、死なせない。わたしが守るんだって、そう思っていたけれど。それは、サイード殿下や他の皆だって同じ気持ちなんだ。ううん。王族であるサイード殿下たちは、わたし以上に重圧を感じている筈。
ましてや、今回は他国も巻き込んでいる。失敗すれば、マリタ王国は魔物の脅威に晒されるだけでなく、友好国との関係も悪化するかもしれない。マリタ王国にとって、国の存亡を掛けた大きな戦いなのだ。サイード殿下の言う通り、わたしごときが一人でどうにかできる事態ではない。
そのことに気づいて、わたしは恥ずかしくて顔が上げられなかった。一人で皆を守るだなんて、わたしってば、なんて大それたことを考えていたんだろう。
「王族とは、本来そうあるべきなのだ。シーナちゃんが今まで接してきたどこぞの国の王族は、そうではなかったようだがな。我がマリタ王国を、そんな恥知らずと同じなどと考えてくれるな」
サイード殿下の声が和らぐ。大きな手が、ぽん、とわたしの頭にのせられた。
「君の思う様、存分に働け、シーナ・カイラット。全ての責めは私が負おう」
サイード殿下の言葉に、わたしは結局、最後まで顔を上げられなかった。
自分の思い上がりを見抜かれていた事が恥ずかし過ぎて、サイード殿下の顔が見れなかったのもあるんだけど。
どこか優しい言葉に、肩の荷が軽くなったような気がして。視界が潤んで仕方がなかったから。