間話 ダイド王国視点
久々のダイド王国です。
ダイド王国の会議室内は、いつもにない、落ち着かない雰囲気に包まれていた。
「メノン領の3つの村が壊滅か」
「メノン領主も大変だな。グラス森から進行する魔物の群れも多数目撃されていて……」
「ローリス領もそろそろ備えが必要か?あの領境付近でも魔物の情報が頻発している……」
会議室内に集まるのは、ダイド王国の重臣たち。周囲に聞こえても一向に気にする事無く、さわさわと囁き合っている。
国王の側に控える第三王子レクター・ダイドは、そんな重臣たちへ怒りを隠そうともせず、睨みつけていた。同じ部屋に国王が御座すというのに、なんたる不敬か。レクターがグラス森討伐に明け暮れている間に、重臣たちの態度がすっかり緩んでしまったように感じた。
「…………静まれ」
さすがに国王の平坦な声が響けば、ピシりとその場は引き締まる。重臣たちはそろって口を閉ざし、頭を垂れた。
「皆もすでに聞いておろう。グラス森の魔物の活発化により、グラス森近辺の領地にて少なくない被害が出ている。王都からは離れた地域とはいえ、看過することは出来ない。此度の国の危機、我が国は一丸となって乗り越えねばならぬ」
国王の言葉に、重臣たちは下げた頭はそのまま、ギクリと身体を強張らせた。この中で、誰が次のグラス森討伐を命じられるのか。彼の森の魔物の強さは、そこらの魔物とは比べ物にならない。凶悪な魔物が群れとなって襲ってくるのだ。王の命とはいえ、討伐を引き受けるのは、明らかな貧乏くじだ。
「この5年余り、我が息子レクターが、死ぬ思いでグラス森の魔物の侵攻を食い止めていてくれたのだ。だが、息子は重傷を負った。聖女の癒しを受けてはいるが、完治にはまだほど遠い。せめて儂の勇敢な息子が治るまでの間、代理を務める者が必要だ」
皆の視線がレクターに向けられる。その両腕と足には包帯が巻かれていた。歩行にも支障があるため杖が手放せなかった。
ほんの数か月前まで、第三王子レクターが率いるグラス森討伐隊は、華々しい活躍を見せていたのだが。ある時、不意をつかれたレクターが重傷を負い倒れた事で、グラス森討伐隊は大混乱に陥った。副隊長であるダース・グリード侯爵が、運悪く、その時休暇を取って戦線を離れ王都に戻っていたのも災いした。主だった将を欠き、指揮系統が乱れたグラス森討伐隊は、あっという間にグラス森の魔物たちに蹂躙され、兵の大半を失ってしまったのだ。
レクターといえば、ここ数年、ダイド王国悲願のグラス森討伐を推し進めた英雄だ。徐々に人間の生活圏に勢力を伸ばしつつあったグラス森の凶悪な魔物たちを退ける、若き英雄。第三王子でありながら、民からの人気も他の王子と比べ物にならず、グラス森での功績が認められ、次代の王に内定している。ここで傷の治りきらぬレクターが再び戦線に立ち、万が一の事があれば。若き英雄を失う事はダイド王国にとって、どれほどの損失になるか。国王がレクターを戦線から外したのは当然の判断だと、重臣たちも分かっているのだが。
活発化した魔物。王都の防衛を厚くする現在のダイド王国が、グラス森討伐に兵力を割けるのは僅か。しかも英雄たるレクターと知将のグリード侯爵の後に指揮を執るとなれば、彼らと比較されるであろうことは、火を見るよりも明らかだ。レクターが戻るまでの中継ぎとはいえ、そんな役目、貧乏くじとしか言いようがない。
重臣たちは、先ほどまでの騒がしさが噓のように静まり返った。誰もが必死に国王の視線を避け、存在を消している。国王はそんな重臣たちを酷薄な笑みを浮かべ、見回す。口では強気な重臣たちも、いざというときはこんなものだ。首をすくめ、火の粉が掛からぬように小さくなる重臣たちの姿は、いっそ滑稽なものだった。
「レクターの代理は……、エイリック、お前が務めよ」
国王の言葉に、再び室内が騒めく。
「……承りました」
名指しされた男、エイリックは、騒ぐこともなく淡々と受ける。その感情がこもらない眼差しは、どこか国王と似通っている。
「エイリック第二王子がグラス森に……」
「……なるほど、適任ですなぁ」
騒めく重臣たちから漏れる言葉には、安堵と、そして隠し切れない侮蔑が篭っていた。
王太子たる第一王子、そして第三王子は正妃の子であるが、第二王子は側妃の子だ。公爵家の娘である正妃に比べ、側妃は伯爵家の出。この場に揃う重臣たちよりも、側妃の実家の家格は低い。身分が絶対であるダイド王国において、母親の立場が低いエイリックは、王家の血を引きながらも、王家からも重臣たちからも、軽んじられる存在だった。
「その命を懸け、ダイド王国を守れ」
実の父親とは思えぬほどの冷やかな国王の声。そこには死んでも構わぬという響きがあった。
それに堪えた様子もなく、エイリックは静かに頭を下げるのみだった。
◇◇◇
自室に戻ったレクターは、杖を投げ捨て包帯を忌々し気にむしり取った。
「全く、外に出るたびにこんな格好をしなければならないなど。鬱陶しいものだ!」
「殿下。お声を押さえて下さいませ。ここには限られた者しかおりませんが、万が一にも露見しては困ります」
グリード侯爵が声を潜めてそう告げれば、舌打ちをしながらもレクターは素直に従う。仮病が外部に漏れてはまずいことぐらい、レクターも十分理解しているのだ。
「しかし、陛下の思惑どおり、上手くいきましたね」
グリード侯爵がにやりと顔を歪ませると、レクターはふん、と傲慢に息を吐いた。
「父上は昔から、あの下賤な血が混ざる異母兄が嫌っておられたからな。仕方なく娶った身分の低い側妃と同じく、さっさと目の前から消してしまいたいのだろう」
レクターの二番目の兄は、腹違いだ。正妃であるレクターの母が生んだ長兄が病弱で、次の子に中々恵まれず、貴族たちからの圧もあり、国王は仕方なく伯爵家の娘である側妃を娶り、異母兄が生まれた。だがそのすぐ後に正妃が第二子であるレクターを産んだため、エイリックの存在は王宮内では不要なものとされている。
「お強い第二王子とはいえ、今のグラス森の魔物は手に負える筈もございません。陛下が第二王子に与えられる兵は、第二王子が慣れ親しんでいるあの傭兵崩れの兵たちだけでしょう。死にに行けと宣言したも同然」
グラス森討伐隊が壊滅した後、王都に戻ったレクターを、父は全く責めなかった。第三子でありながら、己にそっくりで壮健なレクターを、父は溺愛している。いまだに長兄が王太子の座にあるが、父は身体の弱い長兄をすっかり見切っており、多少の失態はあっても、レクターを次の王にする気持ちは変わらないようだ。
レクターがケガを装い戦線から離れたのも、溺愛する息子をもう危険にさらしたくないという王の親心からの采配だった。グリード侯爵が王都に一時戻っていたなどと偽装したのも、レクターの側近であるグリードに、討伐隊壊滅の責が向かわぬように配慮したためだ。
これまでのグラス森討伐で、レクターは十分功績を上げた。彼が長兄に代わり、立太子したとしても、誰からも文句は出ないだろう。
グラス森近辺で魔物が活発化している事も、国王やダイド王国の重臣たちも、もちろん把握していた。村がいくつか襲われ、壊滅した事も。だが、王都から離れた領地の事ではあるし、建国当時からグラス森の脅威に晒されてきたダイド王国は、魔物による被害は珍しい事ではなかった。また新たな兵をグラス森に投入し魔物を押し返せば、この騒ぎも落ち着くだろう、そう軽く考えていた。
「それにしても。あの平民の小娘の事は、結局分からずじまいか」
レクターが忌々し気に呟くと、グリード侯爵は頭を下げた。
「申し訳ありません。マリタ王国に忍ばせた間者や、子飼いの者どもに探らせてみましたが、ふっつりと連絡が途絶えてしまい……。それに様々な情報が錯綜していて、現状ではなんとも……」
下級兵士の間でマリタ王国のカイラット街で、聖女が現れたという噂があった。また、元マリタ王国の諜報部員をしていたという胡散臭い女から、王妃の親族と名乗る、聖女と侍女に似た容姿の者の情報を得た。その手掛かりを元にマリタ王国に子飼いの者たちに探らせたが、突然音信が途絶え、それっきりだ。もともと裏の組織から引き抜いた部下だったので、捕まったというより、もっといい仕事を見つけて逃げ出したという可能性の方が高い。先払いした謝礼が無駄になったとグリード侯爵が歯噛みしている間に、マリタ王国の隣国、ナリス王国でも似たような容姿の小娘と侍女の目撃情報も出てきて、結局聖女と侍女の行方は、結局分からずじまいだった。
そもそも、あの追放の後、グラス森を戦闘力のない聖女の小娘と傭兵もどきの侍女が抜けられたとは思えない。どう考えても、死んでいる可能性が高いのだが、最近、マリタ王国とナリス王国連名で、身体の欠損を再生する『再生魔法』と魔物を退ける効力のある『魔物除けの香』の発表があり、奴らが生きている可能性が捨て切れなかった。『再生魔法』も『魔物除けの香』も、あの忌々しい平民の小娘が、作り出したものだったからだ。
「だがなぁグリード。我々ですらあの森を抜けだすのは、兵たちを犠牲にしてやっとだったのだ。戦闘力の低いあの小娘たちが、生き延びたとは思えん。『再生魔法』も『魔物除けの香』も、グラス森から生き延びた兵の誰かが、マリタやナリスで広めたのではないか?」
レクターにそう言われると、グリード侯爵とて小娘たちが生きているという確信があるわけでもなく。せめてもう少し、信用のおける部下に探らせていれば、情報もつかめたかもしれないのにと、後悔してしまうのだ。
「もういい。あの平民の事は捨て置け。それよりも、今後の事を相談したい。さっさと兄上に王太子を退いてもらうためには……」
レクターの目は、もうグラス森討伐には向いていない。兵の大半を失ってしまった事も、気にしていなかった。国王が許し、他の貴族たちからの批判も向けられなかった。それならば、彼にとって気にする事はなにもないのだ。ダイド王国の王都は、高い城壁に守られている。周辺の小さな村が襲われたとて、王都の守りに支障はない。小さな村がつぶれたら、税収に多少の影響はあるだろうが、そんなもの、他の領地から搾り取れば問題ない。
今はそれよりも、英雄としての名声を利用して、長兄を退け、一日も早く立太子することの方が大事だった。忠実な部下も、聡明な妃も、妃の実家という強力な後ろ盾もすべて揃っている。彼には輝かしい未来が、約束されているのだ。
胸に燻る疑問を吹っ切って、グリードは未来の王へ目を向けた。彼を支える第一の臣下として、グリード侯爵家もまた、栄華をつかむのだと、その時の彼は疑いもしていなかった。