三十四話 死は救済なり
興奮した出雲から一連の報告を聞き、しばし考えにふけっていた。荒川誠司という男の行動、そして失踪。これで終わりではないという出雲。
三葉には少し思うところがあった。電車の中で襲われた平井少年だが、彼を襲ったあの黒い触手のようなものに既視感があった。怪異と言ってもその姿は千差万別。肌に触れる感覚、匂い、見た目、音。そしてまとう雰囲気。過去に何かあっただろうかと怪異と対峙してきた記憶を探っていると、出雲がまたもや口を開いた。
「ときに隆宗さん」
甘ったるい猫なで声に三葉の思考がぴたりと止まる。
「ここまで聞いてどうお思いになりました。己を神と名乗る不届き者に、なにか感じることがありましたか」
「い、いいえ。特には」
「矮小な人間ごときが神を騙ることに不快感はございません? 罰をくだしたいとは?」
「あの、」
困っている辰野を見かねて、三葉が出雲を止める。「まあ失礼しました」と笑って身を引くが、熱い視線は辰野に注がれたままだ。
一拍置いて、三葉は隣に座る辰野を見た。いい機会かもしれない。
「先生は、ご自身のことを知りたいですか?」
その言葉を聞いて出雲の目が一層光るが、手で制して留めておく。許せば彼女は立て板に水をかけるがごとく辰野へアプローチするだろう。その体に秘められた力を探るために、これでもかと甘言を吐くに違いない。そんな圧力に流されることなくしっかりと考えてほしかった。
辰野は驚いたようだが、しっかりと三葉を見返してくれる。
「……知りたいと思う」
ゆっくりとした答えだった。おそらく彼の本心だろう。考えた末に知りたいと思ってくれたなら、三葉は力を貸したい。「それに」と付け加えた辰野は、また困ったように笑う。
「自分ができること、できないことが分かっていたら、三葉の助けになるかもしれないし」
その優しげな表情に目がチカチカした。本当にズルい人だと思った。三葉はぎゅっと苦しくなる心臓を抑え、表情を変えないようにするのが精一杯だった。一度小さく息を吐く。
辰野が望むのならその手伝いをしたい。
少し気になることもあるし、出雲の力を借りるべきだろう。
「出雲さん、若宇加能売雨竜彦という名の神を調べてもらえませんか」
「……素敵。それが隆宗さんの中にいらっしゃる神なのね」
ほう、と熱い息をこぼす出雲は完全に恋する乙女の顔だった。厄介な事態にならないことを祈るばかりだ。
「先生はなにか覚えがありませんか。雨竜彦はおそらく川の神です。何か目的があるような口ぶりだったでした。先生と一緒にいるのはその為かもしれません」
「うーん、これといってなあ……」
三葉が気になるのは『ヤツをこの手で八つ裂きにすることをずっと夢見ていた』という雨竜彦のひと言だ。復讐めいたこの言葉は神が発したとなると少しばかり怖い。雨竜彦が本懐を遂げたとして、何かしらの不利益が辰野に降りかかるのではないか。あるいは雨竜彦が消えてしまうのではないか。その場合、辰野の体は無事でいられるのか。それが一番の懸念であった。
「ああ、関係あるか分からないけど、小さい頃に川で溺れて半死半生だったらしい。俺はその時のこと何にも覚えていないけど」
気まぐれとして神が寄り添っているのとは違う。ひとつの体を辰野と雨竜彦で支えているのだ。小さい頃に辰野の魂が消えかけ、それを雨竜彦が補っているのなら、そこに何らかの約束があってもおかしくはない。
例えば、雨竜彦には叶えたい願いがあり、それを手助けしてくれるのならその間は命を支えよう、とか。
「どこだったかなあ。たぶん親の実家に行ったときだろうから………」
その先は出雲が引き継いであれやこれやと情報を聞き出している。出雲の協力があれば多少なりとも情報が手に入るはずだ。時をみて雨竜彦に直接聞いてみることも必要である。
(あのタイミングで雨竜彦が現れたということは藁田さんの件となんらかの関係があるのかもしれません。可能性が少しでもあるなら葛の葉へ報告すべきです。それに……)
もやもやと形どる不安を胸に、三葉はしばらく考え込んだ。辰野たちの会話を聞きながら、流れがひと段落したところで出雲へ質問をする。
「釘の形をしたピアスの男って、何かご存じないですか」
ぴくりと肩を震わせ、出雲は驚いたような顔で三葉を見た。なぜそれをとでも言いたげな瞳で、出雲の興味が今日初めて自分に向けられた気がした。
「心当たりがありそうですね」
「……」
あまり立ち入ってほしくなさそうだ。きっと三葉が首を突っ込んで怪異そのものを滅されることを恐れているのだろう。しかし最近は貸しが多いので、出雲はしぶしぶといった感じで口を開いてくれた。
「首に赤い刻印が現れたら、その人は『A』に異界へ連れていかれる。これは最近この辺りで聞かれる怪談の類です」
赤い刻印は首筋のあざ。異界への連れ去りはつまり失踪のことだ。
「Aはひょろりとした青年の風貌で、仮面をつけているとか片目しかないとかピエロだとか赤いスーツを着ているとか、多少見た目に揺れがあります。しかし共通して耳には五寸釘のような大きなピアスがあるそうです」
噂というのは形が歪むものだ。しかし丸きりウソというのも少なく、ほんの一滴の真実が混じっていることがままある。
「まさか葛の葉へ調査依頼が来たんですか」
「すみません、現時点では何も言えないんです」
出雲はじっと三葉を見た。聡い彼女は勘づいただろう。彼女の頭脳はめまぐるしく働き、どうにかして一枚噛もうと算段をつけているに違いない。葛の葉が動いている時点で怪異が実在する。OCRとしては貴重なサンプルが目の前にぶら下げられた状態だ。
「……それなら、こちらからご提案がありますわ。陰陽頭と共にご検討下さいませ」
葛の葉としても利用できるものは使わせて頂く。
◇
「雅人くん」
「唯香!」
三葉は雅人が入院している病院へとお見舞いへ来た。警察病院の最上階にある立派な個室だ。バストイレ併設で来客用のソファーセットもあるから驚きである。
「もう起きて大丈夫なんですか」
「ああ。情報量自体は大したことはなかったんだけど、やばい力が逆流してきた。妨害されたっぽいよ。やっぱり怪異系の探知はリスクが大きいね」
雅人の顔色はよく、無理はしていないようだ。ベッドから抜け出してソファーでくつろぐ雅人。三葉が差し入れたペットボトルのお茶をひと口飲んだ。相変わらずその両手には黒い手袋がはめられていた。
目の前で倒れた姿を見た以上、やはり心配が拭えない。
「ごめんなさい。無理をさせてしまって」
「要さんも葵さんもそう言って頭を下げてくれたよ。これも仕事のうちだし、ぶっ倒れたにしては軽症なんだから気にしなくていい。それに依頼料はたっぷりもらったんだ。あとは君たちが黒幕を捕まえて、追加報酬をもらえれば問題なしさ」
付け加えて「きみが悪いわけじゃない」と言うと、雅人は自信たっぷりにほほ笑んでみせた。普段は子供みたいに振り回すのに、こんな時ばかり大人ぶるからタチが悪い。
「雅人くんが言っていた釘ピアスの男、少しずつですけど掴めてきました。絶対に捕まえてみせます」
「うん。頼んだよ」
もう明日にでも退院するらしく、それだけはホッとした。
一度自宅へ帰り、着替えをバッグへ詰めてふたたび紅文館へ向かう準備をする。藁田の様子が心配なので一緒に泊まりこむつもりだ。夏休みであることに感謝しつつ、リビングへ顔を出す。
「お母さん、出かけてきますね。要おじさまの所なので心配いりません」
写真立ての向こう側で笑う母。
当たり前だが返事はない。
お手伝いさんには今日帰らないことをメモで伝えておけば大丈夫だ。心配性だが多忙な父には後で電話を入れておこう。そう心の中で決めて、三葉は玄関の扉を開けた。




