三十三話 生は玉響なり
最寄駅まで来るとOCRから迎えの車が来ていた。それに乗ってしばらく揺られていると、住宅街を離れて閑散とした景色が広がっていく。三葉は慣れたものだが、辰野は不安そうに窓の外を眺めていた。
さほど時間はかからないうちに大きな建物が見えてきた。運転手がパスをかざすとゲートが開き、吸い込まれるように車は敷地へ入っていった。満面の笑みを浮かべ玄関で待っている出雲を見た時、三葉も辰野もなんとも言えない気持ちになったのは内緒だ。
「こんにちは三葉さん、それに辰野さんも。またお会いできてうれしいですわ」
機嫌よさそうに声を弾ませ、出雲はふたりを館内へと案内した。
連れてこられたのは出雲の執務室で、応接室ほどではないがそれなりに立派な来客用のソファーがあった。
勧められて座ると助手らしき人がコーヒーを出してくれた。ここのコーヒーはすこぶる苦く、でも職員たちはそれを美味しそうに飲むので不思議だ。
三葉は向かいに座る出雲に質問した。
「どうして辰野先生も呼んだんですか」
「ふふ、だって隠れてお会いしたら三葉さん怒るでしょう」
「それは……」
怒れる立場でもないのだが、おもしろくないのは確かなので何も言わずに出雲を恨めしく見るだけにした。出雲は何を考えているのかよくわからない。彼女の一番の関心は怪異現象と呪具である。身のうちに神を宿す辰野に興味を抱くのはわかるが、彼をどうしたいのかまでは想像がつかなかった。
出雲はその長い脚を組み替えると艶やかなルージュを乗せた唇を引き上げた。
「電話でもお伝えした通り、今日お越しいただのは報告の為ですわ」
辰野がこの場にいたままで大丈夫かと尋ねるので三葉は問題ないと答えた。辰野も全く関係ない話ではないし、聞かれたくないと席を外してもらっても、その隙に彼がどこかに監禁されそうで怖い。オカルト馬鹿なここの職員ならやりかねないのだ。
では、と出雲が切り出す。
「あなたが以前持ちこんでくれた『ひとりコックリさん』。だいぶ源流まで辿れました。そして、そこでおもしろい情報がいくつかありましたの」
テーブルに置かれた数枚の資料。そのうちのひとつ、鳥居のマークをいろは唄で囲んだ用紙は、以前に見かけた『ひとりコックリさん』そのものだった。
「三葉、これ……」
辰野が驚いたように三葉へ視線を向ける。
「はい。少し前に学校で流行っていたものです。怪しいと思ったのでここへ調査依頼を出したんですよ」
このOCRという施設はこういったものを大真面目に研究している。科学的アプローチからオカルトを解明できないかと様々な機械で測定したり、呪具や怪異現象の発生原因を調べて再現を試みていたりと、正直アウトではと思う事も多々やっている。しかし怪異と出会ったときの回避法を噂として流布したりもするので、頭ごなしにロクでもない機関とも言えなかった。渡瀬が拾った鶴の封筒も、今この施設で保管してあることだろう。
「おそらく、学生たちに『ひとりコックリさん』を流行らせたのはこの男です」
出雲が差し出した資料には、ひとりの男について記載されていた。
名前を荒川誠司。S市在住。
塾の講師をしており、歳は二十七。顔写真を見るに今どきの男性という感じで、特段変わった印象は受けない。
「荒川は今年の六月初旬に、塾の生徒数名にこのコックリさんを教えています。少し変わったコックリさんで、自分の潜在エネルギーを引き出すとかなんとか……そういう感じで生徒に言ったらしいです。普段から生徒とコミュニケーションをとる人物で、冗談混じりのそれに生徒も面白がって乗った」
不思議と集中できると話題になり、その『ひとりコックリさん』はじわじわと学生の間で浸透していった。それは三葉の通う学校へも伸び、江古田を中心とした事件となる。
「その荒川は六月の半ばに失踪しています。携帯電話や財布、身分証明書の類は自宅に置いたまま、忽然と姿を消したのです。行方はまだつかめていません」
どこから手に入れたのか、出雲は一枚の写真を取り出した。生活感のある部屋で、机の上に白い紙が置いてある。流れからいって荒川の部屋なのだろう。
「……ひとりコックリさん、やってたんですね」
「おそらくは」
これはあくまで推論だと前置きをして、出雲が興奮気味に口を開く。
「荒川誠司は何らかの方法で『ひとりコックリさん』を知ったのです。荒川より前は残念ながら追えませんでした。誰かに教えてもらったか、あるいは自分で思いついたか。でもそれを自らが試す前に、塾生たちにやり方を教えて反応を見ていた。作用を確かめようとしていた。そして、結果に満足した荒川は儀式を行い、行方をくらませた」
嬉々として話す出雲に辰野は若干引いていた。しかし構うことなく出雲は次の資料を見せる。
「こちらは荒川誠司のSNSでの発信をまとめたものです」
なぜこんな所まで調べるのかと思うが、OCRでの仕事は怪異や呪具の調査だ。人間や噂話を徹底的に調べることとなり、ゆえに独自の調査機関を持ち得ている。
「こちらはオモテ。そしてこちらが……」
いわゆる裏アカと呼ばれるものだろう。そのアカウントでは自らを『神』と名乗り、過激な物言いや社会批判でフォロワーもそれなりにいるようだ。人間の愚かさを断罪し、おのれを認めない周りを嘲り笑う。表向きの発言からは想像もできない苛烈さ、その狂気じみたものに、荒川が抱えていた闇が見えてくるようだった。
『我こそは神なり』
頻繁に挟まれるその言葉には何の意味があるのだろう。この思想に、あのコックリさんが関係してくるのだろうか。それだけじゃない。コックリさんは何のために行われたのか。生徒たちへやらせた目的は。三葉の背筋にぞわぞわしたものが這い寄る。
「この件は荒川の失踪だけで終わらない。もっと深い闇がある。私の勘がそう言ってますの」
そう話す出雲の表情は、この上なく恍惚としていた。
◇
その頃、藁田はソファーに座ったまま睡魔に襲われていた。外は日差しも強いのだが、空調の効いた紅文館は気持ちがいい空間だった。
そばにいるのは叔父の修介と、その友人である柏木灰人。葛の葉の陰陽師である山内香苗だった。
「それにしても、みよは三葉さんとはどうやって知り合ったんだい。同じクラスだったのかな」
「……ううん。助けてもらったの」
「助けてもらった?」
そう、と答えながらひと月前のことを思い出す。
「前に、学校からおじさんに電話した時があったでしょう。取り憑かれてる子がいるって。その前に、わたし、助けてもらったの」
眠気もピークに達していて、しゃべっているのに前後の記憶があやふやになっていく。
「コックリさんで呼び出された、怖いやつに……」
そこで意識がふっと途切れた。
次に意識が戻ったとき。
なぜか叔父の修介が目に涙を浮かべて憔悴していた。
「みよ、もう大丈夫だからな」と震える声で言われてもいまいちピンとこない。ぼんやりする目で辺りを見渡せば、その場はぴりりとした緊張感をはらんでいた。場所は変わらず紅文館の一室、牡丹の間だ。
体をよじるとかさりと音がした。
「……?」
なぜか体中にお札のようなものが何枚も貼り付けられている。音の正体はそのお札が擦れる音だった。梵字や漢字、記号なんかが朱色の墨で描かれていて、不思議な力を感じた。こんなにたくさんのお札、まるで悪霊を封印するみたいだ。ぼんやりそんな感想を抱いていた藁田だったが、そのとき開けられた扉へ意識を持っていかれた。
『よお』
太い尻尾をゆらゆらさせて、たぬきの太三郎がケケッと笑いそばへやってきた。その後ろから葛葉葵と諸星が入ってくる。
『おめえさん、匂いが薄くなったな。しかも大層な札をベタベタ貼ってもらってよお。だが気を抜かないほうがいいぜ』
にぃいっと不気味に笑う。
『アイツからしたら、おめえさんは極上の餌だよ。霊力があって陰と陽がうまい具合に混じっている。さらに若い生娘とくりゃあ、その生き胆はバケモノにとって何よりもうまいご馳走さ』
チカラが沸くのだと太三郎は言う。
「……なに、言ってるの」
『葛葉んとこの息子もいいが、早く唯香を連れて来た方がいいぜ。俺だったら、おめえさんを食う為に手段は選ばねえ。餌の人間が他に並んでいても、おめえさんが一等そそるからな』
藁田の引きつった顔には「おまえは何者だ」という言葉がありありと書かれていた。太三郎は愉快そうに喉の奥で笑い、鋭い牙をちらりと覗かせた。
『おれぁ松山太三郎喜左衛門。その昔は四国を寝ぐらにして放蕩を尽くした大妖怪よ』




