三十話 刺草は緑なり
連絡を受け、三葉は急いで紅文館へ向かった。
「藁田さん!」
牡丹の間では数人が藁田みよを囲んでいた。叔父の修介も一緒だ。
「三葉さん」
椅子から立ち上がった藁田は泣きそうな顔をしていた。不安でたまらないのだろう。三葉はかけ寄って藁田をつよく抱きしめる。首すじにある不気味な赤いアザは聞いていたよりももっと醜悪で、思わず藁田を抱く腕に力がこもる。
「無事でよかったです」
控えめに腕をまわす藁田。
「わたし、なんだか頭がぼーっとして……アザのせいなのかな……怖い……」
小さく震える彼女を落ち着かせるように、三葉はその背中を撫でる。しばらくすると落ち着いたようで、恥ずかしそうにソファーに腰を下ろした。そばに控えていた修介が遠慮がちに声をかける。
「みよの叔父の藤修介といいます」
「三葉唯香です。修介さんのお話は前に藁田さんから聞いていました。お会いできて嬉しいです」
「みよのご友人が陰陽師の方とはつゆ知らず。この度は、ご迷惑をおかけしますが……どうか、姪をよろしくお願いします」
胸に訴える、切実な声だった。
藁田のことを大事に思っているのだろう。
それぞれから事情を聞き、知人を通して葛の葉に連絡をとったことを知る。連絡を受けたのは準士のひとりだったのだが、もしやと思いこちらへ知らせてくれたようだ。
「アザの部分から強い気配を感じます」
その赤いアザは幼虫のような形で、不気味なことに時おり動いている。三葉はアザを見て静かに息を吐き出した。実物を見るのははじめてだが、過去に解決した怪異事件の報告書に似たものがあった。その時の印は怪異が贄と決めた人間につけたもので、巣穴にしていた場所からは十数人の遺体が見つかっている。
「森ノ宮さん、なにかわかりますか」
陰陽師のなかでも特に呪術に詳しいのがこの森ノ宮という女性だ。痩身で年はもうすぐ四十、全体的に陰険な雰囲気をかもしている。
「……あまり、人間の意思を感じない。恨みとか、怒りとか、そういう理由でつけられているのではないと思う」
三葉の問いに森ノ宮はぼそぼそと不明瞭に答える。
「目印に近いのかもしれない」
「解けますか?」
「根本がわからないから難しい。山内さんなら多少はごまかせるかもしれない」
印をつけた存在がどういうものか現時点ではわからない。まだまだ解決には遠いことを感じていると、重たい木の扉が控えめにノックされた。館の管理をしている松山夫人がカートでお茶のセットを持ってきてくれたのだ。慣れた手つきで人数分お茶を淹れてくれると、その香りで少しだけ気持ちが落ち着く。
それから十五分ほど経っただろうか、この件の指揮をとる葛葉要と神谷、さらにもうひとりを連れて牡丹の間へやって来た。見覚えのある顔に三葉は少しばかり驚いた。彼が関わるということは警察も相当本気だ。
「知っている者もいるだろうが紹介する。宮内雅人くんだ」
細身のジーンズに大きめの白いTシャツという、今どきでラフな格好の雅人だが、相変わらずその手にはぴったりとした黒い手袋をしていた。雅人は三葉を見つけると上機嫌に口元をほころばせる。
要は続ける。
「藁田さんと言ったね。彼はサイコメトリという非常に特殊な能力を持っている。触れたものの記憶を読み取ることができるんだ」
「サイコメトリ……」とつぶやく藁田の目が輝いた。緊張しているので視線は明後日の方向を向いているが、強く興味をもっているようだ。
「彼は警察に所属していてその力は確かだ。アザを見れば何か分かるかもしれない。触れることになるけれど、了承してくれるかな」
柔らかく笑いかける要に、藁田はこくこくと頷いてみせた。じゃあ頼むよ、と要は一歩引いて成り行きを見守る。
牡丹の間には三葉たちを含めた十二名がいた。藁田は窓辺にあるソファーに腰掛けており、その後ろには叔父の修介と三葉。藁田と向かいあう雅人は上等なカーペットに膝をついていた。他のメンバーは邪魔にならないよう少し離れた所から注視している。
「目を閉じて、気持ちを落ち着けて」
雅人にいわれるがまま目を閉じると、藁田は鼻から大きく吸ってゆっくりと息を吐いた。それを数回繰り返すと少しだけ肩の力が抜けたようだ。
雅人はその首すじの赤いアザをじっと見る。なにか考えているようで、顔をあげると三葉を呼んだ。「ここにいて」と指差したのは雅人の隣である。よくわからない指示であるが、三葉は言われるがまま雅人のとなりへ移動した。
「じゃあ始めます」
雅人が装着していた手袋をとると、形のいい長い指先が藁田の首すじへ伸びる。触れられた瞬間はぴくりと肩を震わせたが、藁田はじっと耐えた。
「……」
しばらく無言が続いたが、雅人の表情が苦しそうに歪んだ。あきらかに様子がおかしくなり、空調が効いた快適な空間にもかかわらず顔から大量の汗を流し、苦悶に堪えるようギュッと拳をにぎっている。三葉は彼の豹変に胸騒ぎがした。
「雅人くん!」
呼びかけるのと同時に雅人の鼻から血がつうっと垂れる。
赤い液体がぽたりぽたりと白いTシャツを汚した。
藁田から手がはなれ、雅人の体が大きくふらついた。床に顔をぶつける直前に三葉が抱きかかえるが、すでに雅人に意識はない。
「雅人くん、雅人くん!」
それから牡丹の間はあわただしくなった。刑事である神谷があれこれと指示して、すぐさま雅人の体が長椅子に寝かせられる。おそらくサイコメトリで脳に相当な負担がかかったのだろう。神谷はそう言ってどこかへ電話をかけていた。藁田はこの事態に顔を青ざめさせ、修介が守るように抱きとめている。
心音は異常なし、呼吸もちゃんとしている。しかし目を覚ます気配はなく、三葉はずっと雅人の手を握りしめていた。雅人がサイコメトリをして倒れることは初めてではない。それでも不安が消えることはなく、三葉は彼の回復を心から願った。
駆けつけた救急隊員に運ばれる直前、意識を取りもどした雅人は側にいた三葉へひとつだけ手がかりを残してくれた。
『釘ピアスの男』
去りゆく救急車のサイレンを聞きながら、三葉の瞳に決意がこもる。まっさらだった捜査線上にひとりの人間が浮かびあがった。雅人が命を張って得た情報だ。絶対に探し出すと心に決めた。
◇
同時刻。
OCRの日本支部にて、出雲はとある報告を受けていた。プリントアウトされた資料を読みながら目の前の男へ耳を傾ける。
「発信元は彼でまちがいないようです。しかし、彼がどこからそれを知ったのかまでは特定できていません」
「そう、ご苦労さま」
資料に書いてある男の名は『荒川誠二』。塾の講師をしていたが、ひと月前に姿を消しており、生死が不明となっている。詳しい話を聞こうにも本人がいないのではどうしようもない。
報告をした研究員が退室すると出雲は怪しげな笑みを浮かべた。長い足を艶めかしく組みかえ、ポケットからスマートフォンを取りだす。すいすいと指先を動かし、ひとりの名前を見つけてそこで止める。
『辰野隆宗』
赤い唇が淫靡にゆがむ。
「……さて、どうやって釣り上げようかしら」
それはそれは楽しそうに笑いをこらえていた。




