二十九話 高空は青なり
一方。三葉は藁田と別れたあと、しょんぼりした顔で歩いていた。彼女と話していた時は楽しかったけれど、ひとりになると、どうしても辰野の困り顔が頭にチラついて落ち着かない。
(どうしよう……)
出雲の「見張っていたのか」という言葉は半分当たっていた。マダラ姫が教えてくれたのだ、あのふたりが会っていると。出雲が辰野と接触を持とうとしているのは知っていたが、あんなに直接的だとは思わなかった。コーヒーショップでふたりを見た瞬間カッとなって割り込んでしまうし、思い返してはため息が止まらない。
辰野は助かったと言っていたが、本心はどうだろう。
(なんであんなことしちゃったんでしょう。しかも、藁田さんまで巻き込んで)
はあ、とひときわ大きなため息を吐きながら三葉は帰り道を歩んだ。自宅への最寄り駅で降りると、近くにあったベンチに腰を下ろす。ぽつぽつと通り過ぎていく人たちを無心で眺めているうちに、少しずつ調子が戻ってくる気がした。
(……うん、先生にあやまりましょう)
そして唐突にことは起こった。
第六感が異変を察知して、頭を上げ周囲を見回す。肌がぴりっとするような強い気配。ただごとではない。
異変の先に立っていたのは辰野だった。
その距離、約三メートル。先ほど会った時と寸分たがわず同じ格好をしているのに、どこか雰囲気が異なる。親しみやすさはどこか遠く、凛とした佇まいは辰野を知らない人に見せた。
「唯香」
そう言って辰野は三葉を静かに見つめる。周りには人が行き交っているはずなのに、人も景色も全てがボヤけて、辰野の存在だけが強烈にある。
「……雨竜彦」
三葉はすぐに悟った。あれは若宇加能売雨竜彦だ。辰野の中にいる神が、表に出ている。なんの為にそうしているかわからない。けれど、はっきりとした意識を持って雨竜彦は三葉へと語りかけていた。ぞくりと背が冷える。
「ヤツが動いている」
雨竜彦の肉声は不思議な響きを持ち、遠くで聞こえるような、あるいは脳に直接聞こえるような、現実味のないものだった。
「……ヤツをこの手で八つ裂きにすることをずっと夢見ていた。だから唯香。膳立てをたのみたい」
にいっと笑う雨竜彦。
全身に鳥肌がたった。
◇
その日の夜、三葉は『葛の葉』から本部への招集を受けた。向かった先は明治時代に建てられたというレトロで優美な洋館だ。名を「紅文館」といい、表向きは本家所有の迎賓館なのだが、実際はこうして怪しげな集会に使われている。陰陽寮と呼ばれるにはまったくそぐわないが、三葉個人は気に入っていた。足先が沈む紅色の絨毯は今日も美しい。
「やあ、そろってるね」
三葉が着席すると、扉から現れたのは品の良い男だった。グレーのサマースーツを粋に着こなし、艶のある革靴はイギリスのハイブランド。歳は五十半ばになる彼は、三葉の伯父にあたる葛葉要だ。母の兄であり、そして幾多の術師を抱える『葛の葉』の総取締役でもあった。
葛葉要の後ろにもうひとり男がいた。三十代後半に見える。険しい表情に黒いスーツは妙に迫力があり、警察だと言われなければ裏世界の人間だと思ったかもしれない。
「警察からの要請だ。最近、S市を中心に行方不明者が出ていて、その裏に怪異が潜んでいるのではとの疑いが浮上している」
怪異がらみの事件であることは、ここにいる全員が予想していたことなので大した驚きもない。しかし彼らの表情は硬い。
要の後ろに控えていた男が一歩前に出た。
「捜査一課の神谷だ。この三週間、S市内で出た失踪者三名に奇妙な共通点があった。家族や友人らの証言だが、失踪する直前、首筋に五百円玉ほどの赤い痣ができていたという」
配られた資料には三人の顔写真と氏名や年齢、身体的特徴などが記してある。住んでいる場所も離れており、三人にこれといった共通点はないらしい。ただ十七歳、十二歳、二十三歳と全員が比較的若い年代なので、怪異が好みそうな年齢だなと三葉は内心思う。
「警察はあらゆる可能性を視野に捜査をすすめている。怪異はそのひとつであり、断定しているわけではない」
しかし、と神谷は続けた。
「事件であれば被害者の救出が急がれる。一刻も早い解決のため、あなたたちの協力がほしい」
頭を下げた神谷に、葛の葉の面々は気持ちを引き締めた。怪異がからむ行方不明の代表格といえば神隠しだ。この世の人間を綺麗さっぱり消せてしまう存在はなかなかに厄介であるだろう。食べたのか、別の次元に連れ込んだのか、何にしても失踪者が危険に晒されているのは間違いない。
警察が把握できているのが三人であって、氷山の一角という可能性も大いにある。今後増える可能性も。
葛葉要は今いるこの牡丹の間をしばし捜査室として開けておくと言った。準士という陰陽師の下位である人材を常駐させること、資料は基本的に持ち出し厳禁であること、連絡を密に取りあい事件解決に向けて足並みを揃えること。そんなことを急足で説明し、それぞれに動き方を指示するとこの場は解散となった。
陰陽師といっても、その能力はてんでバラバラだ。探知に長けた人間もいれば、結界をはるのが上手い人間もいる。
三葉が頭の中でこれからのことを考えていると、頭上に影がさした。
「唯香ちゃん、この前はクッキーをありがとう」
「葵兄さん」
従兄弟の葛葉葵である。
父は総取締役であるあの要で、よく似た面持ちとモデルのような背格好は世の女性をくらりとさせるだろう。三葉の初恋のお兄さんでもある。
「唯香ちゃんはまだ高校生だ。無理しなくていいからね」
ぽんぽんと頭を撫でる彼に色恋のような気持ちは一切ない。幼い子どもにやるのと同じだと三葉もよくわかっている。
「はい。でも私がお役に立てる場面があれば、全力で頑張ります」
言葉に力を込めてそう言えば、葵は困ったように笑った。
「すっかり大きくなったんだね」
「もう十七歳ですから」
自分の得意なことで役立てられたら嬉しい。
式神の扱いを含め、三葉の実力は陰陽師のなかでもトップクラスを誇る。その力の性質上、重用される場面はおのずと撃退や戦闘という荒事になる。
ふと、辰野の顔が頭にちらついた。心配そうな表情で、何か言いたげな目をしている。
(辰野先生は、きっと反対するんだろうな)
だけど、そうもいかない。
手元にある資料へ目を落とす。
「事件、早く解決したいですね」
「そうだね」
同世代の人たちが恐ろしい目にあっている。コレが怪異の仕業なら、それを解決できるのは自分たちのような人間だけ。やらねばならない。
生者は生者の理で生きていく。死霊や神妖がそれをねじ曲げてはいけないのだ。理の歪みが大きくなると世界のバランスが崩れ、次元の境界があいまいになる。そうなればそこかしこに魑魅魍魎があふれる修羅の地になるだろう。そのためにも陰陽師という存在は必要だ。
(みなさんがどうか無事でありますように)
胸のうちで強く願って、紅文館をあとにする。
藁田みよの情報がもたらされたのは、次の日のことであった。




