二十八話 小波は白なり
そのあとしばらくして二人は解散した。まだまだ話したいことはたくさんあったのだが、また今度と約束をしてお互いに別れを告げる。
(やばいやばい、修介おじさんもう来てるかな)
藁田は叔父である修介と会う約束があるのだ。ここから近くの駅前で待ち合わせなので足早に向かう。
(……三葉さんと話すの楽しかったな。最初見た時は絶対に相容れないタイプだと思ってたけど)
そんなことを考えていると、すれ違う人混みの中で一瞬、嫌な気配がした。立ち止まって辺りを見回すけれど特に変わったことはない。よーく目を凝らしても、悪い霊がいる感じはしなかった。
(気のせい……?)
向きなおってふたたび足を踏み出すが、さっきの気配が気になって前をあまり見ていなかった。正面から衝撃を受けて思わず「わっ」と声が出る。誰かとぶつかったのはすぐに分かったが、反射的に目をつぶったので相手がどういう人なのかわからない。
「あ、わりぃわりぃ」
悪いとも思ってなさそうな軽薄な声にギクリと体が硬直した。怖い。何か言われるかもと思い構えたが、その気配は人混みにまぎれてすぐに消えていっった。もし相手がヤクザで因縁つけられたらと気が気じゃなかった藁田は、相手がいなくなった事にホッと息をついた。
何事もなかったかのように歩き出す。おかげで先ほど感じた嫌な気配のことはもう頭から飛んでしまった。
(あ、おじさんからメッセージ来てる。急がなきゃ)
慌てて走り出した藁田。その細い首筋に、何かがうっすらと浮き出てくる。次第にはっきりとその形を成し、その姿はまるで何かのさなぎのようだ。だが色は血のように赤黒い。
その痣が、もぞりと蠢いた。
◇
藁田の叔父はひょろりとした三十代半ばの男だ。母の弟であり、小さい頃から知っている兄のような存在である。面倒見がよく物静か。しかしおしゃれとは無縁の人生を歩んできたのか、着ている服はもっぱらグレー。男性にしては髪は長めで、かき集めたら後ろで結べるかもしれない。
快活とは言いづらい性格だが、藁田はそんな叔父を好ましく思っていた。なんてったって、霊が見えてお祓いができるのだ。少しばかり猫背で、覇気もない痩せたアラサー男だが、ここぞという時に頼りになる。
駅前で修介と合流する。今日は一緒に買い物をする約束をしていたのだ。
「……みよ、その首の所どうしたの」
「え?」
顔を見るなり、修介が怪訝な表情で聞いてくる。とくに心当たりもなく、首をさすってみたけれど痛くも痒くもない。強いて言えば、左耳の下あたりが少し熱を持っていた。
「見せて」
いくら叔父とはいえ、間近で肌を覗かれるのは嫌なものだ。藁田は「えー」と文句を言うが、叔父の異様な様子に黙って従った。修介は首をまじまじと見つめると、ズボンのポケットからスマホを取り出してどこかに電話をかけはじめる。
「今からそっちへ行っていいかな。見てもらいたい子がいるんだ」
普段はあまり聞かないような硬い声音だった。
何が起こっているんだろう。藁田の胸に不安が広がっていく。
「お、おじさん……?」
「急にごめんな。でも大丈夫だよ」
修介に連れられるがまま、とあるお店へ入っていった。パワーストーンを扱っているようで、中には小瓶に入れられた様々な石が陳列されている。その石を使った首飾りやブレスレット、指輪なんかも所狭しと並べてあった。香の匂いに混じってツンとした木材の匂いがする。
「店長さんと約束したんだけど、いる?」
「はい、奥にいますよ」
アジアンテイストな服を着た店員がにこやかに答えた。修介に続くように藁田はあとを着いていく。扉を開けた先はスタッフルームよりは応接室といった感じだ。内装は店と同じ雰囲気でローテーブルをはさみソファーが置いてあった。そのソファーの中央に座る謎の男がひとり。
「よお修介。元気そうだな」
ビビットな黄色いTシャツに深緑色のターバンが目に鮮やかな、もじゃもじゃ頭の男が迎えてくれた。
「久しぶり。灰人くんも元気そうで何よりだ」
「そちらがさっき言ってた子?」
修介は「そう」と言いながら藁田ににこやかな視線を向けた。挨拶をしなきゃと思ったら全身が緊張で硬直してしまう。
「わ、わら、た、みよです」
ギクシャクしながら頭を下げる。修介が苦笑を交えて「姪だよ。シャイな子なんだ」とフォローしてくれた。
「俺は柏木灰人だよ。名前だけはカッコいいって言われるんだよね」
「歳は修介とタメ」とへらっと笑った灰人は、見た目だけならゆるい感じの個性的なおじさんに見えた。整えてあるのか適当かいまいち分からないひげと足元のゴムサンダルが余計にそう思わせる。レゲエが似合いそうな男だった。
「灰人くん、首のところなんだけど」
挨拶もそこそこに修介が藁田の首を指差す。ひとこと断りを入れると藁田の三つ編みおさげを持ち上げた。
「……うわ」
「呪いの類いだと思ったんだけど、どう思う」
呪い、という単語を聞いた瞬間に背筋が冷えた。修介を見上げるがその表情は硬く、冗談じゃないのだと悟る。
「みよちゃん、どこか具合悪いところある?」
「……いえ、特には」
「今日何してた?」
灰人の問いに、藁田は四苦八苦しながら答えた。三葉という友人と会ったこと、その友人とカフェでいろいろ話をしたこと、それから修介と落ち合ったこと。
(三葉さんが陰陽師だってこと、言わなかった。大丈夫、だよね? 人には言わないって約束したし)
ドキドキと速まる鼓動で全身が熱を帯びていく。だからだろうか、少し頭がぼんやりしてきた。
「……そう言えば、修介おじさんと会う前に、イヤな気配を感じたかも」
突然ぬかるみに足を踏み入れてしまったような、そんな不快感を感じたのだ。それがどうしたと言われたらそれまでなのだが。
「ほかに心当たりはある? 今日だけじゃなくて、前のことでもいい」
ぽつぽつと思い浮かんだことを話す。しかしどれも決め手になりそうなものはなかった。無意識に首へ手を伸ばすと、一部分が妙に熱を持っている。そこに呪いがあるのだろうか。しかし相変わらず痛くもかゆくもない。
「修介おじさん、ほんとに呪いなの?」
「呪いと確定したわけじゃない。俺は霊が視えるだけで、こういうのには全く精通してない。だから灰人の所まで来たんだよ」
「いやいや俺も詳しくないよ。でも、そうだな。『葛の葉』の人らに聞いてみよう。呪術関連は彼らがピカイチだ。……それでいいか、修介」
こくりと修介が頷いた。その隣で藁田は『葛の葉』という単語に首を傾げる。呪術に詳しい、ということはその道のスペシャリストなのかもしれないが、ネット上では聞いたことがない。
それを察してか、灰人が説明をしてくれた。
「『葛の葉』ってのはスゲー人が集まるヤベーところでね。昔々あった陰陽寮って組織が時代と共に名を変え仕事を変えて、今日にいたっているんだよ」
陰陽寮といえば平安時代に実際にあったお役所だ。物語や映画では安倍晴明や蘆屋道満が呪術を使って超能力バトルなんかをしているものの、実際の仕事は暦を定めたり吉日を占ったりと平和なものらしい。
「彼らの実力は国も認めてる。企業や公的機関からの要請もあるくらいなんだよ。怪異に対して俺や修介がやってるのはバットぶんまわして威嚇してるくらいのもんだけど、それで言うならあの人たちは訓練された特殊部隊だ。武器だってアサルトライフルやロケットランチャーさ」
ふと藁田の脳裏によぎったのは、三葉唯香という少女。
「葛の葉は今でも陰陽寮と呼ばれるんだ。だから、そこに在籍する術師のことを『陰陽師』と呼ぶ。畏敬の念を込めてね」




