十八話 頼りにするは神業
渡瀬が霊に付きまとわれる原因を探る。その為に最近の行動をひとつひとつ洗っていくことにした。相手を女の霊と仮定し、まずは辰野のアパートへ来てからの事を簡単にまとめる。
土曜:朝七時頃に辰野のアパートへ逃げこむ
日曜:特に異常なし
月曜:昼間は異常なかったが夜中に声が聞こえる
火曜:昼間でも声が聞こえてきた
これらを見るに、女の霊は逃げた渡瀬を追いかけてきたと思われる。辰野が部屋から出ていっても女の霊はそこから離れなかったし、完全に標的を渡瀬に定めているようだ。
「俺のアパートに来る前はどうだったんだ。家の中に入ってきたって言ってたけど」
「えーっと……まず、金曜の夜がまじで怖かったんだよ。あいつ、俺の布団のすぐ横にいて、笑うんだ。暗かったしハッキリ見えたわけじゃないけど、そんなふうに感じた」
金縛りで動けず、心底怖がる渡瀬のとなりにずっと寄り添っていたという。いつの間にか眠っていて、目が覚めるやいなや荷物をまとめて辰野のアパートへ来たということだ。辰野はひとつ疑問に思った。
「なんで笑ったんだろな。ここでは泣いてるのに」
そりゃあ、と言いかけて渡瀬も考え込む。
「……笑うってことは、楽しいとかうれしい? うーん、わからんけど、泣いてるのは部屋に入れないからじゃないかな。締め出されて悲しいとか。悔しいはめっちゃ怖いから考えたくない」
「ここは考えても仕方ないか。じゃあその前の日はどうだった」
「昼間に仕事してたら、ふとした時に視線を感じるんだよ。その方向を見ても何もないんだけど。んで、仕事終わって家に帰ったらさ、誰もいないのに人の気配があるんだ。床を歩く音とか、水道の蛇口を捻る音とか聞こえたりして」
ぴちょん、ぴちょん、と蛇口から水が滴る音が聞こえてくると思ったら、突然キュッと蛇口が閉まる音がする。もちろんそこには誰もいない。
「気のせいだと思いたかったけど、もうこの時は完全にビビってた。隆宗のとこ行こうと思ったよ。でもおまえ先生だから忙しそうだし、迷惑かけたら嫌だなと思って耐えた」
さらに前日もそんな感じだったという。ただ、気のせいだろうという思いが強かった。ではいつからこうなったのだろう。
「……あ、火曜日の夜からかも。俺の好きな動画配信者が毎週火曜にライブやってるんだよ。それ聞きながら『今台所から音がした?』って考えてたもん。うん、そうだよ、月曜まではふつうに過ごしてた。俺が気づいてないだけかもしれないけど、認識したのは火曜だ」
そこまで話していると、ふと女のすすり泣く声が聞こえてきた。壁を隔てているようにくぐもった声だ。昨夜よりも距離を遠く感じ、テレビをつけていたら分からないくらいのごく小さな声だった。
「やっぱり、この部屋には入ってこれないみたいだな」
辰野の言葉に渡瀬がかたい表情で頷いた。入ってこないが、ずっと執着している。どうにかしてそれを解かなければ、渡瀬の平穏は戻ってこないだろう。その日はもうすすり泣く声が聞こえることはなかった。
翌朝、辰野は出かける直前に慌てて渡瀬に声をかけた。
「智也。昨日も言ったけど、おまえの持ち物を貸してくれ。ハンカチとかでいいから」
「そうだった忘れてた。ちょい待ち」
「もう行かなきゃだから急いで」
渡瀬が自分のリュックをがさがさと漁っていると「こんなもん入れたっけ」と小さくつぶやいた。
「智也?」
「あ、ごめんごめん。——ほい、よろしくお願いします」
手渡されたのはタオル生地の小さなハンカチだった。全体が紺色でワンポイントにロゴが入っている、ごく普通のハンカチ。三葉に持ってくるように言われたが、これをどうするのだろう。辰野はそれをバッグにしまうと玄関の扉を開けた。
「じゃあ俺は先に行くぞ。外に出るときはお守り忘れるなよ。何かあったら電話していいから」
見送る渡瀬は不安そうな顔をしていた。けれど無理やり笑顔を作って「おう、行ってらっしゃい!」と元気な声で辰野を送り出してくれた。
◇
前日に打ち合わせた通り、辰野は自分の下駄箱に渡瀬のハンカチを置いていた。小さな紙袋に入れてあるので、三葉はそれを狸の太三郎に取りに行ってもらった。式神のお使いである。
『なんでこの俺がこんな子どもの使いみたいなこと……』と不服そうだったのでビーフジャーキーの欠片でご機嫌を直してもらう。
「さて、これをあの人へ届けにいかないと」
『俺は嫌だぞ。アイツきらい』
「ちゃんと自分でやりますから、太三郎はゆっくりしててください。ありがとうございました」
小さな頭をなでなですると太三郎は満足そうに目を閉じ、そしてすっと姿を消した。三葉は自分の手にあるハンカチを確認して気合を入れる。正直今から会いにいく人物は三葉も苦手なのだ。しかしこれは辰野からの頼み。どうにか力になりたい。
「よし」
待ち合わせは学校が終わってから駅近くのコーヒーショップでだった。先に着いたので飲み物を注文すると空いた席で待つ。空調が効いていて気持ちがよく、ベタついていた肌もさらっと乾いた。そしてこの店の甘いキャラメルラテは三葉のお気に入りだ。上に乗った生クリームをストローでつつきながら昨日辰野から聞いた話を思い出していた。
(先生の家に匿われた時点で諦めてもいいはずなのに、それでも追ってくるということはよっぽど事情がありそうです。渡瀬さんに強い思い入れがあるか、誰かが放った呪いか……)
ぼーっと考えていると目の前に影が差す。顔を上げると、エリートと有名な私立高校の制服を着た男子生徒がにっこりとほほ笑み立っていた。
「やあ唯香。久しぶり」
「……雅人くん」
この男こそ三葉の待ち人である。三葉よりひとつ年上で今は高校三年生。有名人の子どもや芸能人が多く通うと有名な学校の制服は汚れひとつなくパリッとノリがきいている。本人も涼やかな顔をしており同世代からは羨望の眼差しを受けるだろう。今だって少し離れた場所にいる女の子たちの視線を一身に浴びている。
ただひとつ彼の出立ちで異様なのは、その手にずっとピタリとした黒い手袋を身につけていることだった。生地も薄手で多少は通気性もよいのだろうが、夏の室内でもそれを外すことはない。雅人は口の端を吊り上げてにやりと笑った。
「僕に見てほしいものがあるんだって? だったらそれなりの報酬を覚悟してもらわないとね」
なぜなら彼はサイコメトリスト。触れた物から思念を読み取る、超感覚の持ち主である。




