十六話 張り詰めるは心地
翌朝。いつも通りに起きはしたが、渡瀬が行かないでくれと駄々をこねるものだから出発に手間取ってしまった。
「隆宗ぇ、俺を見捨てて行くなよぉ」
「くっつくな、離せ」
渡瀬ひとり残して行くことを申し訳なく思うが、さすがに仕事は休めない。せめて三葉には話をしようと決め、腰にすがりつく渡瀬を振り切り玄関の扉を開けた。そのわずかな隙間の先で誰かと目があった気がした。女、のように思えた。扉を開いてしまえば当たり前だが誰もおらず、がらんとした廊下があるだけだ。
「……なあ、今日まで休みだっけ」
「そうだけど」
あの声の主は渡瀬を探しているのだろうか。ここにいるとわかって待っているのだろうか。辰野は「あんまり出歩くなよ」とだけ言い、扉を閉めた。
やっぱり何かいる。でも自分には何もできない。匿ってはやれるが、ここにいるだけじゃ何の解決もしてやれないのだ。
(やっぱり三葉に聞いてみよう。彼女に危険なことはさせない、けど、詳しい人を紹介してくれるかもしれない)
◇
学校に到着して、辰野は頭を抱えた。
(どうやって話をすればいいんだ……)
数学を受け持つ以外、三葉とはほとんど関わりがない。先ほど二年C組へ行って授業をしてきたがどう声をかけていいか分からず、己の不甲斐なさを罵りながら職員室へと戻っていった。
昼休みはあちこちウロウロしてみたが他の生徒たちに捕まるだけで三葉はどこにもいない。偶然出会うのならそこで話ができると期待を抱くも、そう上手くはいかないようだ。きっと自分のクラスにいるのだろう。けどそのクラスへ赴き、他の生徒がいる前で「ちょっといいか」なんて声をかけようもんなら確実に注目を浴びる。平和な教師生活を目指す辰野にとって、それは非常に悪手に思えた。
それならば放課後にかけるしかない。ないのだけど、辰野は陸上部の副顧問をしているのであまり時間に余裕はない。ホームルームが終わり、生徒で賑わう廊下をあちこち歩くが三葉はいなかった。
そうこうしているうちに会議の時間となり、その後部活に顔出しをしていたらすっかり遅くなってしまった。校舎内はすっかり静まりかえっている。悪あがきでぐるりと歩き回ったが誰もいなかった。彼女はとっくに下校しているのだろう。
(……はあ、だめだ。何やってるんだ俺)
このまま三葉と話ができなかったらどうする。お寺や神社でも話くらいは聞いてくれるだろうか。でもそれで解決するのか。神社仏閣に与する全員に霊能力があって霊と対峙できるなんて思っていない。形ばかりの祈祷をされて、事態が好転するのかははなはだ疑問だ。
ふと、恐怖に顔を引きつらせた友人の顔が浮かぶ。渡瀬がアパートへやってきた時、普段の明るい彼からは想像できないほど怯えていた。非常識なくらいに朝早く、最低限の荷物を持って「入れてくれ」と泣きつかれた。それくらい怖い目にあったのだ。辰野がバケモノに襲われた時は運良く三葉が一緒にいてくれた。だから死なずにすんだ。
もし今回対応が遅れて渡瀬の身になにかあったら……自分はすごく後悔するんじゃないのか。
(保身に走ってる場合じゃない)
生徒の個人情報は取り扱いが厳しく、いくら教師だろうと担任でもない辰野には三葉の連絡先を知る術はない。つまり必ず面と向かって話をしなければいけないのだ。
(明日はもうなり振り構わない。見つけたら声をかけて、それで時間を作ってもらおう。昼休みでも放課後でも……三葉には迷惑をかけるかもしれないけど……)
それとは別に、できる限り調べよう。三葉から協力を得られなかったらどのみち自分たちでどうにかしないといけないのだ。ネットでもなんでも使って、助かる方法を探さないと。
明日の授業の準備をして、職員室を出る頃には夜の八時半を回っていた。最近は教員の長時間労働が問題になっているので昔ほど拘束時間は長くないらしい。自分のような独身男ならともかく、家庭を持つ人なら大変だ。最後は教頭が戸締まりをしてくれるので挨拶をして先に帰らせてもらう。
すっかり暗くなった職員用玄関へ行き、自分の下駄箱のロッカーを開けると、靴の上に折りたたまれた紙が入っていた。なんだろう。手に取り、ほんの少し緊張しながらその紙を広げる。
『もし怖いことに巻き込まれたら、ひどくなる前に相談してください。勘違いならすみません。その時はこのメモを捨ててください。三葉唯香』
名前の後には電話番号が書いてあった。
◇
三葉は自分の部屋でスマホとにらめっこをしていた。いろんな感情がごちゃ混ぜになり、顔色は青くなったり赤くなったり。時おりくる通知に大きく肩をビクつかせていた。
(なんであんな事しちゃったんだろう……)
下駄箱にメモはやり過ぎなのでは?
文面もあれでよかったのか?
というかアレを見て先生はどう思った?
帰り際にメモを入れてもう三時間以上経つ。もうメモは見ただろうし、連絡がないということは別に怪異に悩まされていないということだ。
(あああああ……過去に戻れるならあのメモを奪い取ってゴミ箱に捨てるのに……)
床にうずくまって頭を抱える。まるでラブレターみたいじゃないか。もし好きだと勘違いされたらどうしよう。もちろん嫌いじゃないし、人として好きだけど、それはもちろん恋ではない。それで先生に避けられたりしたら……変な考えがぐるぐると頭を回って沸騰しそうだ。もういい加減気持ちを切り替えようと、顔を上げて大きく息を吐く。だがタイミングがいいのか悪いのか、その時三葉のスマホに電話がかかってきた。ブーッブーッと机の上で震えている。
「わっ」
相手は知らない番号だ。まさかまさかまさか。
震える指でスマホを拾うと、意を決して通話ボタンを押す。
「も、もしもし……」
電話の相手は——
『あ、もしもし、辰野です。その、わかるかな、高校の数学の先生だけど』
はい、と返事をしたつもりだが実際はどうだろう。バクバクと跳ねる心臓を押さえつけるのに精一杯だった。まさか本当にかかってくるなんて。
しかしそこまで考えて少し冷静になれた。かかってきたという事は、辰野はまたなんらかの怪異に襲われているということだ。
『メモありがとう。困ってたから、ほんとに嬉しかった。……ごめんな、俺から話あるって言ったのに、こんなことさせちゃって』
「いえ。……それよりどうしたんですか? 先生は半分神さまみたいなものだから、そうそうおかしな事は起きないと思うんですが」
そして辰野が話し始めたのは、友人である渡瀬智也が霊に取り憑かれているかもしれないということだった。




