十四話 還された異邦者
水丸が嬉々として江古田へと向かっていく。動きは早いが、それを阻止しようと触手が標的を水丸へと変える。アレにやられたら水丸もタダじゃすまないだろう。
「オンキリキリ・バザラウンハッタ」
素早く印を結び触手に向けると、今にも水丸に食いかかりそうだった触手の先がぱぁんと破裂した。刹那、江古田が絶叫をあげた。自分の頭を掻きむしり、鼻からは真っ赤な血を垂れながす。白い制服にぼたっと血がついた。
水丸は妖怪でも悪霊でもなく、精霊に近い存在だ。太三郎のように食い荒らすわけでも、マダラ姫のように遠くを見渡すこともしないが、その代りに人の中へ潜り込むのが非常に上手い。はじめて水丸に出会ったときも彼は人の中にいて周囲に溶け込んでいた。相手の意識を完全に乗っ取り、成りすまして行動ができるのである意味悪霊よりもタチが悪い。
水丸がどぷんと音を立てて江古田の中に入った。その苦しさから彼女の体がぶるぶると震えだす。と言っても苦しいのは江古田自身ではなく、中に入り込んでいるほうだろう。力が強い云々ではなく、より浸透させた方が覇権を握る。
「ううっ……」
その隙に三葉は周囲へ視線を動かした。日の届かない暗い校舎裏。できればヤツを確実に仕留めるためにも結界がほしかった。自分を守る為ではなく、この空間から逃がさないためだ。しかし手持ちの札では難しい。確実にこの場で決着をつけるしかない。
げぼげぼと咳こみ、江古田の目から口から耳から、ずるずると黒いモノが這い出てきた。所有権争いは水丸が勝ったようだ。完全に支配した状態で内側からプロテクトをかければ、異物は外に出るしかない。
「 黒翔、来て」
右手を掲げると一匹の黒い鳥が腕にとまった。
三本の足を持ち、カラスのように艶々とした黒羽をまとっている。だがその雰囲気は禍々しい。辰野が光の属性だとしたら黒翔は闇だろう。かつて天皇を導いたという伝説をもつ八咫烏は神の使いと言われているが、黒翔が持つ雰囲気はそれとかけ離れている。
「現、幻、鎖」
言葉と共に黒翔の体が瞬く間に鎖へと変化する。太い金属輪をつなぎ合わせた頑丈なものだ。それはじゃらじゃらと音を立てながら、這いずる黒いナニカを拘束する。ギリギリと必要以上に締め上げるので三葉がたしなめる程だ。黒いナニカは苦しそうに抵抗しているが黒翔の抑える力は強い。これでしばらくは大丈夫だろう。
視界の端で江古田がこちらへ歩いてくる。鼻血を手で拭い、口に溜まった血を地面へ吐き出した。中にいるのは水丸なので捨て置いていい。
三葉はふっと息を吐き出し、手を動かして印を作る。その動作はゆっくりと丁寧だ。
「臨」
手印を結びながらひとつずつハッキリ発音をしていくと、
「兵」
その度に周りの空気が変わっていく。
「闘」
これは九字護身法と呼ばれるもので、術者の周りに護りの壁を築くものだ。
「者」
応用としてこの九字を相手へ強引にぶつけ攻撃とすることもできる。九字早切りともいう。
「皆」
だがやはり本来は守りとして使われるものだ。その仕組みは解明されていないけれども、一説には異なる次元とリンクさせ術者を外界と遮断するのだとある。ゆえに悪鬼は術者を見失い、手も届かない。
「陣」
つまり門の役割を果たすこともあるという事だ。
「烈」
人に入った水丸が三葉の隣に寄り添う。
「在」
帰れるといいね、と少女の口が動いた。
「前」
刀印を結び、宙に格子を描くとその模様は黒いナニカの上で煌々と輝いた。黒翔はその姿を消し、黒いナニカも逃げようとしたが、その光に見入ったように動かなくなった。
三葉が静かに言葉を紡ぐ。
「色は匂へと散りぬるを、我か世誰そ常ならむ。有為の奥山今日越えて、浅き夢見し酔ひもせすん」
四十八の文字でつづるいろは唄。技巧と神秘に満ちたはるか昔の言の葉遊び。ルーツを辿ればそこにいるのは鬼か仏か、それとも人か。言い終わると辺りが光り、三葉たちを白く照らす。
「……もとの世界に、お帰りください」
その言葉に一層強く光ったと思えば、次の瞬間にはいつもの景色が広がっていた。黒いナニカはもういなかった。
◇
水丸に入ってもらったまま江古田とふたり保健室へ向かう。鼻血の跡が痛々しいが、それ以外に目立った外傷はないので大事にならずよかったと胸を撫で下ろす。
水丸はひと懐っこいというか寂しがり屋の構ってもらいたがりなので、誰かに憑依した時は三葉にべっとり甘えてくる。今だって腕を絡ませて肩に寄り掛かるようにして歩いている。にこにこと機嫌よさそうにしているが、側からみると制服にべっとり血がついていて怖い。
「すみません、この子が鼻血出て具合悪いって」
保健室の扉を開けて江古田を診てもらう。保険医はベッドを進めてくれたので腰かけたところで水丸に出てもらった。あとは任せていいだろうか。
放課後の廊下は相変わらず人が少ない。自分の荷物を取りにクラスへ向かっていると、藁田から呼び止められた。とても慌てているようだ。
「あああ、あの、え、えこ、江古田さん、見ませんでしたか! 文芸部で、こないだコックリさんで、具合悪くなった人、なんですけど」
あちこち探し回っていたのか、額に汗をかいて肩で息をしている。
「それなら保健室ですよ。具合が悪そうだったので、声をかけてさっき連れっていった所なんです」
「え!? あ、ありがとう!!」
藁田は目を丸くしてすぐに踵を返し、そのまま走り出そうとしたところで動きを止めた。ぎぎぎっとカラクリ人形のように首を回し、三葉のほうを向く。藁田は基本コミュ症であるので相手の顔をまじまじ見るのはよっぽどの場合じゃないと無理だ。江古田という少女のためにこれだけなり振り構わず駆けまわって褒めて欲しいくらいの頑張りである。
「ねえ三葉さん……その、江古田さんに、なにか感じなかった、ですか。霊に取り憑かれてる、とか…………ってもういない!」
足が見えないと思ったら三葉はすたすたと歩いていて、もうその後ろ姿は小さい。大きな声で呼ぶなんてできるハズもなく、あうあうと口を動かしたあと、肩を落とす。
(くそ、今だけは陽キャのコミュニケーションスキルがうらやましい! つーかこないだから三葉さんの謎が深まるばかりなんだけど!!)
覚えてろよー! と三下悪役のようなセリフを内心吐きながら、藁田は保健室へ突撃に行くのだった。
「ねえあなた藁田さんだよね? あたし何で保健室いるんだろ。ってかなんか今日は記憶があいまいだし、やばいよね。知らないうちに制服に鼻血付けちゃったし……コレ落ちるかなぁ……」
そして現状に戸惑う江古田を見て、どうにか三葉と話す機会を作らねばと心に誓うのであった。




