十二話 呼び出した混沌
厚い雲がかかる薄暗い空。むしむしとした暑さが不快指数をぐんと上げる。七月だというのに梅雨に逆戻りしたようだ。月曜がこれじゃ滅入るなあと思いながら、三葉は人気のない校舎裏を歩いていた。その後ろからひたひたともうひとつ足音が聞こえてくる。
それは三葉から十メートルほど後ろをずっとつけていた。曲がっても止まっても外に出ても、それはずっとついてきている。三葉は何も言わずに歩き続け、そしてついにその歩みを止めた。それに倣って足音もぴたりと止まる。
「……ご用件はなんですか」
薄い笑顔を浮かべて振り返ると、そこに立っていたのは文芸部の江古田だった。じっと俯いているので表情は見えず、三葉が近づいてもその場から動こうとはしない。ふたりの距離が五メートルに縮まったとき、間にある空気が禍々しく揺れた。
江古田はなにも言わない。夏服の白い半袖からのぞく腕はだらりと垂れて、外にも関わらず上履きのままアスファルトを踏みしめている。
蝉のけたたましい鳴き声が遠く聞こえるようだった。三葉はにこやかな顔をしつつも冷たく相手を見据える。
「……先生の神気に充てられても離れないだなんて、なかなかガッツがありますね」
江古田の頭がゆらりと傾く。焦点の合わない瞳、だらしなく開いた口。先ほどまではかろうじて江古田の体を保っていたが、相手はそれもやめるようだ。江古田の背中から触手のようなものが何本も飛び出し、三葉に襲いかかってきた。
◇
時はさかのぼり昼休み、藁田みよは文芸部の山淵に連れられて廊下を歩いていた。つい先週も見た状況になんとなく悪い想像が頭をよぎる。着いたのは特別教室がある棟の廊下で人通りは少ない。待っていた人物にも見覚えがある。文芸部員の田代だった。
「藁田さんごめんね、また呼び出して」
「……い、いえ。なにか、ありましたか」
その問に山淵と田代はお互いを見合わせ、小さく頷いた。晴れやかとは言えない雰囲気にますます嫌な予感がする。
「あのね、エコちゃんがおかしいの」
田代が悲痛な面持ちでそう告げた。
エコちゃんとは江古田のことだろう。ひとりコックリさんで異様な現象を目の当たりにした彼女だが、それで体調を悪くしているのだろうか。
「具合が悪い、とか?」
「ううん、そんなんじゃない! 何かに取り憑かれてるっぽいんだよ。いつものエコちゃんじゃないの」
朝からまったく喋らず、ぼーっとしていて何を考えているかわからない。いつも明るくておしゃべりが好きで、いつも友だちと一緒に楽しそうにしているのに、今日は全然違う。先日の件があった以上、無関係と思えない。田代はそうまくし立てた。
「……コ、コックリさんをきっかけに、情緒が不安定になって精神的な疾患が発露したとか、そういう可能性もあります」
そうなった場合、助けることができるのは心療内科の専門家だ。キツネ憑きだと言われている豹変現象も、実は脳の疾患だったという事例もある。何でもかんでも霊の仕業にしちゃいけない。
仮に霊が乗り移っていたとしても、藁田には何もできないだろう。自分は少し詳しいだけ。その場合も専門家に相談しなければいけない。
「でもお願い藁田さん、エコちゃんのこと見てよ。もし悪いものに取り憑かれてないんだったら、私たちそれで安心できるから」
厄介なことになったと内心盛大にため息を吐いているが、見捨てることはできなかった。
「わ、私はそんなに力が強くないので、見てもわからないかもです……それでいいなら」
「それでもいい」
きっと彼女たちは不安なのだ。目の前にある不安を打ち消したくて、足掻いているのだ。占い師や霊媒師が「相談屋さん」として人々に必要とされているのは、こういった不安を一緒に考えて道を示してくれるからだと藁田は思っている。例え占いが当たらなくても、相談者の目線に立って寄りそうことで彼らの心は救われる。
(だけど、これはガチでやばそうな気がするんだよね)
田代と山淵に連れられて江古田を見に行った結果、やっぱりただ事ではない雰囲気を感じた。昼休みの教室でぽつんとひとり座っている。周りの様子など一切気にしないふうで、膝の上に拳を置きじっと机の上を見ている。昼ご飯を食べてもいないようだった。確かに気味が悪い。
教室へ一歩足を踏み入れた。他のクラスってなぜだか入りづらいけど、今は気持ちが重いので余計に歩みが遅い。江古田へゆっくりと近づいても、彼女は何の反応も示さなかった。真横に立ってみる。
「え、江古田さん」
彼女の体がぴくりと揺れた。姿勢はそのままで眼球だけが動き、藁田を見つける。……正直言って怖いと思ってしまった。本能が危ないと告げている。
江古田は何も言わず、視線を机に戻してしまったので藁田もそばを離れた。出入りから見守っていた田代たちの所へ戻りながら考える。
(あの時の怖いヤツが江古田さんの中にいる? コックリさんから引き剥がしたあとは怖がってたけど普通に見えた。でも私よりも長い時間触れていたんだから中に入っててもおかしくないのかも)
藁田は自分の腕に絡みつく蛇を思い出して身震いをした。あの時は間一髪助けられたけれど、もしあれが江古田の中に入り込んだとしたら、相手は霊とかそういうモノじゃない気がする。
でもそれを彼女たちに伝えることが正解なのかわからなかった。なので藁田は少しだけ答えを濁すことにした。
「……やっぱり、よくわからないです。知り合いに相談してみますけど、まずは様子を見るべきです。親だって変だと思ってるだろうし」
自分も含めて、できることは少ない。その事実を突きつけて不安と焦燥を煽るよりも、できることに注力した方が心理的負荷は少ないだろう。
「あまり刺激を与えず、普段通りに話しかけて、返事がないならそれで終わり、くらいがいいと思います」
わかった、と田代たちは声を揃えた。表情は硬いが少し肩の力が抜けたようだった。あまり無責任なことは言えないし、ひとまずこの場はこれで終わらせて二人と別れた。
昼休みの残り時間を確認して、どこか電話ができそうなところを考える。屋上は入れないようになっているけど、そこへ行く階段なら先生もあまりこないはずだ。キョロキョロと辺りを見回してスマホを取り出した。相手は親戚のおじさんだ。藁田と同様に霊感があり、たまにお祓いを頼まれると聞いたことがある。優しくて人のいいおじさんだった。
コールオンが数回。スマホを握る手に汗がにじむ。
『はい、もしもし』
ひとまず電話が通じたことに、藁田はほっと息を吐いた。




