十一話 お礼コンフレクト
いつもと同じように友人とお弁当を食べているが、内心クッキーをどう渡せばいいのかとばかり考えて始終上の空だった。
(歩いてたら先生に会えるでしょうか。もし会ったら場所を移動して……さすがに昼休みだったらいけますよね。職員室に行くのは最終手段にしたいです)
いつもより早めに食べ終わると、用事があると言って教室の外へと飛び出す。
「——マダラ姫。先生がどこにいるかわかりますか」
呼びかけに応じたのは蝶の羽を持つ人形サイズの女の子だった。顔は虫寄りで風流な着物を着こなし、美しい羽を優雅に振っている。彼女は触覚をピクピクと動かす秘密話をするように三葉に耳打ちをした。
「ありがとうございます」
マダラ姫が言うには辰野は購買へ向かっているとのこと。それならば偶然を装って会えるはず、とクッキーを入れた巾着袋を握りしめて早足で向かった。
角を曲がると賑やかな声が聞こえてくる。
「せんせー、俺の分も買ってくださーい」
「俺も俺も、先生のおごりで」
三年生の男子が楽しそうに辰野に絡んでいた。「お前らなぁ」と苦笑しながら自販機で冷たいお茶を買っている。
「つーか先生、飲み物なかったら俺らわけてやるのに。最近暑いからって親が二リットルくらい持たせるだぜ」
「そうそう、俺んとこも。毎日麦茶ばっかり重たいし飽きるし、たまにはコーラとか入れてほしい」
「わかるわー」
「毎朝準備してくれるなんて優しいじゃないか。俺だったら水道水飲んどけって言うかもしれん」
男子生徒たちがけらけらと笑う。先生と混じって軽口を言う彼らはとても楽しそうだった。三葉の足はぴたりと止まり、そんなやりとりを離れたところから眺める。さいわい、昼休みの購買は賑わっていたので三葉がぽつんと立っていても目立ちはしない。辰野は三葉に気付くことなく職員室へと戻っていき、その道中も他の生徒から話しかけられていた。
「今度みんなでお菓子作るんだけど、先生に持ってきていいですか?」
「持ってきたら全員反省文書かせるからな」
「えー、厳しい」
「校則に勉学に不必要なものは持ってくるなって書いてあるだろう。大事な生徒にそれを破らせるなんて先生にはできないね」
三葉はしゅんと肩を落とす。みんな楽しそうでとても間に入れないし、さっきの会話からして辰野がクッキーをもらってくれる事もなさそうだ。
(先生の神さまオーラをなめていました……)
購買に来たのに何も買わないのは不自然と思い、自販機で昨日と同じ紙パックのイチゴオレを買ってゆっくりと踵を返す。
「ごめんなさいマダラ姫。せっかくの情報を活かせませんでた」
うつむく三葉の頭をマダラ姫の小さな手が撫でる。その優しさに少しだけ目が潤んだ。だいたい、なんでクッキーを渡そうと思ったんだろう。もっと他にもあっただろうに。
(……『普通の女の子』っていうのに、憧れてたんでしょうか)
しょんぼりと肩を落とし中庭を通って教室に帰ろうとすると、途中にある茂みががさがさと揺れた。危険な感じはしないけれど、反射的に歩みを止めて様子を伺う。すると茂みの裏から人がぬっと現れた。
「み、みみみつ三葉さんっ!」
——野生の藁田が飛び出してきた。そんなナレーションがつきそうな登場に三葉は驚いた。
「藁田さん」
藁田は三葉との間をずんずんと詰めると鼻息あらく口を開く。
「昨日は、あ、ありがとう」
重くて長い前髪で表情はわからない。けれど耳は真っ赤で、なにより一生懸命話そうとしているのが伝わってきた。
「さっき文芸部からお礼に、って、もらったんだけど……多すぎるし、あなたに助けてもらったし、あげる」
押し付けられるように渡されたのは紙袋だった。持ち手がクシャクシャしていて、長時間持ち歩いたんだろうと察しがつく。
三葉は知っている。藁田へのお礼に文芸部のみんなでなにか買いに行くとイアンが言っていた。でもそれは今日の放課後だ。個人からならともかく、文芸部名義ならお礼を渡すのは早くて明日だろう。
「その、少しで悪い、ですけど」
つまりこれは藁田が三葉に渡そうと用意したものだ。三葉と同じようにいつ渡そうか迷って、持ち歩いて、それで紙袋がクシャクシャになったのだろう。
「あの、ありがとう」
「べつに……か、借りは、作らない主義なんで」
言い捨てると藁田はくるりと向きを変えて走り出した。三葉はその場から動けなかった。とても嬉しかったから。さっきまでうじうじしていたから余計に、藁田の行動に胸がいっぱいになる。勇気がいったと思う。緊張したと思う。でもそれを越えて藁田は自分のところへ来てくれた。涙でうるんだ目をこすり、三葉は持っていた巾着をぎゅっと握りしめる。
「マダラ姫。先生の場所、また教えてくれる?」
◇
いろんな生徒から話しかけられつつも辰野が職員室まであともう少しという時、廊下に元気な声が響いた。
「せんせー! 辰野せんせー!」
ぎょっとして振り向くと既視感のある光景が目に入った。ふわふわなボブヘアが可愛らしい女の子が廊下を全速力で走ってくる。スカートのひだが勢いよく舞っていて、思わずハラハラしてしまう。
近くにいた一年生が声をひそめた。
「あれって大吟醸先輩じゃねぇ?」
「辰野せんせに日本酒持ってきたっていうヤバめの二年生? え、かわいいやん」
「生徒指導室直行でしっかり説教されたらしい」
思いっきり耳に入ってきた会話に頭を痛めつつ、張本人をげんなりとした表情で見た。内容によってはまた生徒指導でお説教かと頭によぎる。
「おい三葉、廊下で騒ぐな」
「先生、さっき購買でこれ落としてましたよ!」
勢いに任せて三葉がなにかを手渡した。落としたとはおかしい事を言う。自分がさっき購買で買ったのはお茶のペットボトルだ。ずっと手に持っていたから落とすもなにも——
「なにかの間違いじゃ」
「それじゃ、わたし戻らなきゃなので失礼しますね!」
嵐のように来て、去っていった。いったい何だったんだと首を傾げながら渡されたものを見ると、それは紙パックのイチゴオレだった。ぬるくなっていて、やっぱり買った覚えがない。
「先生、まさか買ったのに落としたんですか?」
近くで見ていた一年生がおもしろそうに聞いてきた。
「いや……」
違う、と言いかけて止める。よく見ると紙パックにはマジックで文字が書いてあった。
『信じてくれて嬉しかったです』
辰野はそっと口元を手で押さえる。
「……うん、落としたみたいだ」
「えー先生おっちょこちょい」
「ほんとだな」
笑われながら紙パックを片手に辰野は職員室へ戻った。
当然だが、辰野のためにクッキーを焼いてきた事など彼は知らない。その日の夜に、渡しそびれたクッキーを三葉がひとりで食べたことも知らない。ほんの少し、悲しそうな顔をしていたことも知らない。
しかし三葉も、なんとなく飲むのがもったいないからと家に持ち帰り、冷蔵庫へ大事にしまった辰野のことを知らないだろう。




