十話 お礼プリパレイション
「そうだ。みつばちゃん、帰りにボクんちに寄っていってよ。今日のお礼に……なるかわかんないけど、渡したいのあるから」
「わ、もしかしてお菓子作りました?」
「昨日の夜にガトーショコラ作ったの。たぶん食べごろ」
イアンの作るお菓子はいつも美味しいので三葉は大好きだ。
『なぁ、俺も食っていいだろう? 蛇だけじゃ腹壊しそうだぜ』
いつのまにか太三郎がイアンの肩にいた。式神である狸のあやかしだ。目をきゅるんとさせて上目使いでおねだりをしている。ふだんは慇懃な態度なくせに、イアンのお菓子がからむと猫をかぶるのだからいい性格をしている。
「お行儀悪いですよ太三郎」
「ボクはこのままでいいよ、太三郎かわいいし。ふふ、きみのぶんも包むね」
『聞いたか唯香、俺かわいいってよ』
ご機嫌な狸が太い尻尾をぶんぶん振る。
昔ながらの付き合いだからか、イアンが怪異に好かれるからか、三葉の式神を知りコミュニケーションがとれる唯一の友人だ。
「でも、いいんですか?」
「怖いことが起こって専門家の人に来てもらったらたくさん金かかるんでしょ? でもそれは難しいから、ボクなりのお礼」
「頑張ったのは藁田さんで、わたしは大して役に立ってないですよ」
文芸部での怪現象を治めたのはほぼ彼女で、しかも三葉はイアンを伝言係として走らせた。お礼をいうのはこちらの方だ。そう言って困ったように笑う三葉にイアンは口をとがらせる。
「藁田さんには部のみんなでお礼しようって話が出てるんだ。だからボクはみつばちゃんにあげたいの。辰野先生呼びに行くのだって、あの場から離れられてホッとしたもん」
かわいらしく拗ねるイアンに心があったかくなる。そう言ってくれるのならありがたく頂戴しよう。
(お礼かあ……)
辰野の顔がぱっと浮かんだ。自分もお礼を渡したい。神様を崇めるのとは別に、三葉の言葉に応えてくれて嬉しかったし、その分先生の時間をもらってしまった。イアンみたいにお菓子作りが上手だったらぱぱっと作って可愛いラッピングをして渡せるんだろうけど、あいにく料理は家庭科の調理実習くらいしかしたことがない。でももし作って渡すことができたら……辰野は喜んでくれるだろうか。
「あの」
なぜか緊張してしまって声が震えた。
「今度クッキー作ってみたいんですけど、イアン、教えてくれますか」
イアンは色素の薄い瞳をぱちぱちと瞬かせた。三葉がこういうことを言い出すなんて珍しいと思っているのだろう。でもイアンはそんなことおくびにも出さず、優しくほほ笑む。
「じゃあボクんちに寄ったついでに作っていく? クッキーの材料なら常備してるし、抜型もいろいろあるよ」
とてもありがたい申し出に三葉はこくこくと頷いた。家にはオーブンくらいはあるだろうがお菓子を作るための道具はない。作り方なんて調べればすぐに出てくるけれど、イアンに教えてもらえばまず間違いない。材料代もろもろも受け取ってもらえたし、三葉は気合いをいれる。
『よっしゃ、クッキーも食えるぜぇ』
食いしん坊な太三郎がけけっと笑う。
そしてイアン指導のもと、見た目も美味しそうなクッキーができた。サイズは小さくして量を多めに。上手だと褒めてくれたので気分はるんるんだ。持って帰るときはまだ熱かったのでタッパーにいれてもらい、熱が完全に冷めてからラッピング用の小さな袋に詰めていく。
ひとつは家族に、ひとつは従兄弟のお兄さんに。式神たちにもひとつぶん取り分けて、歪な形は自分用。そして残るは——
(……先生、迷惑じゃないかな)
手作りを受け付けない人がいるけれど安全や衛生面を考えたらさもありなん。でも辰野は苦手そうな感じも受けなかったし、受け取ってくれる気がする。もし手作りは嫌だと言われたら既製品を買って渡せばいい。
(あーでも学校にそういうの持ってくるなって怒られたらどうしましょう)
以前日本酒を渡した女が何を言っているのかとあきれられそうだが、三葉はもじもじとクッキーの袋をいじった。期待と不安が入り混じってその日はあまり眠れなかった。
◇
次の日は金曜日で三葉はどきどきしながら学校へ向かった。辰野は数学の教師で顔を合わせるのはその授業の時だけだ。違う学年の担任をしているので授業以外で顔を合わせることはほぼない。
(あれ、いつ渡せばいいんですか……?)
授業中はもちろん、前後の時間も他の生徒がいるし堂々とは渡せない。焦りはつのるに時間はすぐに過ぎていき、せっかくの数学もあわあわしているうちに終わってしまった。
(おかしいです。もっとこう、颯爽と渡すつもりだったのに)
バッグの中には先生へのクッキーがある。ついに昼休みを迎えたが、いまだに渡せる気がしなかった。




