出立の日
前回のあらすじ
スーディアと亜竜種が、亜竜自治区で火花を散らす。尻尾の不意打ちを受け、剣を弾き飛ばされるスーディア。咄嗟の一手で、亜竜種の技を盗み不意打ちを食らわせる。結果として敗北したが、亜竜種の戦士は「ちゃんと身につけろ」と彼を引き留め、スーディアは一人、亜竜自治区に留まった。
なお今回は主人公の回なので、あんまり覚えてなくても大丈夫です。
光陰は矢の如し。晴嵐がホラーソン村に来てから、一か月と少々の時が過ぎた。
稼ぎは十分、情報も十分、出発の日は決めていたし、体調も整えている。たったの一か月、されど一か月。馴染みの宿『黄昏亭』の人々と、最後のやりとりを交わした。
「亭主、世話になった」
「もうそんなに経ったか……早いもんだ」
「そうか? わしには長く感じたがな……」
人付き合いに関して、晴嵐はドライな方だと自負がある。普段なら鼻息を返事にするだろうが、この亭主に関しては多少情が湧いていた。
従業員のゴーレムが、白いボディの顔を晴嵐へ向ける。丁寧かつ事務的な口調で、機械音声めいた質問が飛んだ。
「任意の回答で構いませんが……感想をお聞かせください。今後のサービス向上のため、参考にさせて頂きます」
『悪くない』と危うく反射的に答えそうになり、口元に彼は手を添えた。そんな言葉一つでは、サービス向上に役立つことはあるまい。意見を脳裏でまとめる間、亭主は従業員に茶々を入れた。
「真面目だよなぁテレジアは……おかげで助かるけど」
「要求、特別手当の支給」
「オイコラ調子にのるな」
二人の軽口にも慣れたもので、晴嵐も肩を揺らしてしまう。最初こそ別種族の存在、『ゴーレム』にギョッとしたものの、このテレジアと言う従業員はユーモアを感じられる。亭主とのやりとりも慣れたもので、見ていて面映ゆい。
それも含めて、この宿の空気は嫌いじゃない。
「わしはこの村に来たのが初めてでな……比較できんから何とも。騒がしいのが玉に瑕かのぅ?」
「……コミュニケーションの一環です」
「酒で騒いだ馬鹿の事を言っておる。宿屋件酒場の宿命とは思うがな」
勘違いに顔を背けたロボットが、亭主の肘に小突かれる。ニヤニヤと笑う彼から目を背け、ちょっと怨めし気に晴嵐を睨んだ。
「……誘導尋問でしょうか?」
「はて? 至極真面目に答えたつもりだが? まぁ真剣に言うなら、上の階に防音が欲しいところよな」
「検討案件として保留します。記憶領域を検索中……同種の意見を三件発見」
「あー……やっぱそうだよなぁ……」
他の客からも、同じ指摘を受けているらしい。苦々しく笑うマスターを尻目に、階段からどてどてと足音が騒がしく響いた。
「あっ! 良かった! 間に合った!」
「……チッ」
あからさまな不機嫌を顔に出し、いつも明るいエルフのハーモニーも仰天する。
「なんで舌打ちしたんです!?」
「こっそり出る予定じゃったのに……もう暫し寝ておれば良いものを」
「えぇ!? なんで!?」
「湿っぽいのは好かん。それに必要な事柄は頭に入れた。別に顔を合わせ無くても良かろう」
「で、でも……」
申し訳なさそうに、そして酷く不安な瞳が晴嵐の顔をまっすぐに見る。……こういう邪気のない表情は苦手だ。終末の臭いが染みついている男には、余りに眩しすぎる。
(ハーモニー……お主の親の様子を見る話も、情報を仕入れるため利用しただけなのだぞ?)
ただの交換条件、ビジネスライクな関係のつもりなのに、女エルフはとことん湿っぽい。べたつく感情を振り払うべく、もう一度悪態をついて背を向けた。
「わしの身に何が起ころうとわしの責任じゃ、お主は何も気にすることはない。とりあえず『緑の国』内のポートに触れたら、すぐに連絡を入れる。時間は少しかかるはずじゃ。まぁ期待せず気長に待て」
「そうですよね……セイランさんにも都合がありますから」
そうだ。あくまで『緑の国』に行くのは、晴嵐個人の都合にある。
この世界ユニゾティア全体の歴史を探り、千年前に何があったのかを探す旅だ。
そのためには一か所に留まるのも、一つの国の中で探るようでは話にならぬ。複数の立場、複数の視点から網を狭め、徐々に真実をあぶりださねば拾い上げることは出来ない。
だからこの国、『聖歌公国』と対立する立場にある国……『緑の国』に行かねばならないのだ。保管されているであろう、千年前の別視点の記録を得るために。
目的を確かめる晴嵐の傍らで、黄昏亭のマスターの素行が崩れる。シリアスな空気をぶち壊す要求が、亭主の口から飛び出した。
「あ、緑の国に行くのか!? じゃあじゃあ、『黄昏の魔導士』に逢えたら是非サイン貰って来てくれ、言い値で買おう!」
「……わし如き平民が出会える相手か?」
「計測中……天文学的な確率と推定」
子供でも分かる予想に、子供のように駄々をこねてマスターは喚いた。
「んな事分かってる! でもいいだろ希望ぐらい持ったって!」
「生体知性に合わせて言うならば……『馬鹿も休み休み言え』です」
「ひでぇ!」
下らない。実に下らないやりとりに、周りから笑い声が溢れる。気がつけば男もつられて笑い、酒場に陽気な声を響かせていた。
「名残惜しいが……そろそろ行く。では、な」
軽く手を振って、黄昏亭の扉に手をかける。この宿に残る人々の声が、彼の背後から響いた。
「おう。じゃあな」
「ご利用ありがとうございました。またの機会をお待ちしています」
「セイランさん! お気をつけて!!」
邪気のない、人として自然な言葉たちに、晴嵐は不意に胸が熱くなった。
――いつだろうか? 最後誰かに見送られたのは。
崩壊前、家を出て寮暮らしを始めた時も、何もかも壊れた終末世界でも、基本晴嵐は孤独に生きてきた人間である。何気なく交わされる温かい言葉が、晴嵐には――毒にも思えた。冷え切った心には、ささやかな善意さえ火傷のように痛む。気恥ずかしいのか、それとも別の動機か、危うい足取りで外に飛び出す。
天気は晴れ、絶好の外出日和。新たな一歩を踏み出すに良い日だ。
(さぁ……行くぞ)
目指すは隣国、緑の国。エルフが主の国家に向けて……
終末から来た男は、歩き始めた。




