血を啜る者
前回のあらすじ
世界が崩壊直後、晴嵐がどう活動したのかを話し始める。奇妙な夢に押され、混乱を隠れてやり過ごし……壊れた後に彼は、物々交換屋としてやりくりしていたという。金の価値が崩落した世界で、物資を回していた晴嵐だが……誰もが予測しない存在が、彼らの世界を崩壊させたという。
「そいつらは……いつ生まれ、どこからやって来たのかはわからない。分裂した人の集落同士で、にらみ合いはしていたが……本格的な戦闘の気配はなかった。だが奴らが……急激に状況を悪化させた。気が付いた時は、各所が大混乱に陥った。確かそうだ……政府が完全に止まってから、十年前後だったかのぅ……」
「……」
瞳を閉じる少女は、セイランを疑う気持ちを起こさない。『突然やって来た』存在は、千年前の話、『欲深き者ども』と被って見えた。
以前テティが話した『この世界』の事を、彼は意外とすんなり受け入れた。それは突如として現れたイレギュラーに、共感を覚えていたから……かもしれない。
「そいつらの名前は『吸血鬼』……人間を襲って、干からびるまで相手の血を啜る化け物じゃ。夜行性で、運動能力は人間よりずっと高い。最悪な特徴として……そいつらに血を吸われ尽くした人間は、新しい吸血鬼として蘇る」
「………………何よそれ。元の人格があるでしょ? 交渉して何とか」
「それが出来るなら苦労せんわ。奴らはまさしく飢えた獣。人間を捕食することしか考えておらん。元の人間の精神が残ってるかは……確かめようがない。人の言葉も話せんからな。もう一度殺すしかない」
強い語調を受け……テティは口を噤んだ。
顔を合わせず伏せた目の底には、吸血鬼に対する憎悪が溢れている。もし彼が視線をテーブルに向けていなければ、少女の方から目を逸らしただろう。
もう気配だけで、相手を殺せるのではないだろうか。自分が対象でもないのに、少女の体に悪寒が這いあがる。ちらと見えた眼光と表情は、鬼も逃げ出す修羅の顔だ。
「例えばだけど……知り合いが『吸血鬼』に殺されたら、その人も……」
「当然『吸血鬼』として蘇る。化け物になった自分の子供を殺すの躊躇して、親が襲われて仲良く彷徨うなんて珍しくなかった。逆も然りじゃ」
……母親と良好な関係を築くテティには、辛すぎる表現だった。
親が子を、子が親を殺す。そうしなければ生き残れない世界。ただでさえ政府と世界が崩壊した時期に、現れた化け物。
弱り目に祟り目……吸血鬼のせいで、壊れかけた世界が粉々に砕け散ってしまったのだろう。もしかしたらそれは……千年前のこの世界でも、起きていた事かもしれない。
けれどふと、テティは不思議に思った。何故セイランはそこまで知っている?
「妙に詳しいわね。あなたの世界って分断されてたんじゃ? それに、信用できる情報元なんて……」
「自分で確かめた。ボンクラを利用してな。それだけじゃよ」
確かめた? 人が……化け物になる法則を? 絶句するテティに、地獄の底から呼ぶような声で……いや、事実地獄を生きて来た男が、その世界を淡々と語る。
「……当初の混乱は酷かった。だがその混乱を助長させたのは……わしの世界の人間の脆さにもある。
わしの世界は進んでおった。それは間違いない。人間一人ひとりが考えんでも、代行してくれる演算装置。こちら以上に発達した相互通信システムに、大量の情報を保存できる記憶媒体。じゃが……こうした便利な道具や発展した文明が、結果としてあの世界の人間を弱くした。代行してくれる道具に依存したせいで……一人ひとりが、己を鍛えることを忘れて生きていた。それで生きていける世界だった」
「……それで?」
「だから……自分で物を考える能力が、かなり疎かになっていた。噂やデマを確かめずに信じたり、既に証明済みの法則を、直感と称した手前勝手な印象で歪めたり……
あともう一つ悪い材料があっての。平和だったころの創作物で、『人が生ける屍になって世界が終わる』いう作品が、そこそこ人気があってな。大体の傾向として……『一度でも噛まれたら助からない。時間が経つと生ける屍の仲間入り』という設定が主での……」
論証をせず、印象で物を決めるようになった人々が、創作物に近い環境に置かれた時――どんな行動をとるのか想像できてしまった。良い展開を期待せずに、少女は一応反論してみる。
「その創作物の世界観と、実際にあなたが……あなたの置かれた世界は違う。因果関係なんてないでしょ」
「はっはっは……地獄に落ちた馬鹿どもに聞かせてやりたい台詞だ」
怨み、侮蔑、憎悪、憤怒。彼の両目は、その馬鹿どもに対する不の感情に満ちていた。
「『噛まれたらそれで終わりだ、殺してしまおう』とか……逆に『噛まれても平気だから、この人間には免疫がある』だとか……各々が勝手な憶測と、感情任せにがーがーぎゃーぎゃー喚いておったわ。
創作物通りなのか、それとも別のルールがあるのか……気になるならちゃんと論証、自前で調べれば良いのに、自分でやるのは『面倒くさい』と人任せにする。考えるのは嫌だ疲れるといって、分かりやすい話に飛び乗る。だからまぁそんな、ガチョウみたいな奴らを使って検証した……人様に迷惑をかける前に、わしが使い潰しただけじゃ」
「…………」
テティは彼を責めなかった。セイランの言い分に理を認めていた。
残念だが……彼の言うような人物は『こちらにも』いる。余裕のない環境下に置かれて、他人の足を引っ張る人間を切り捨てた……そのついでに、検証を行ったのだろう。
「……怖いことするのね」
「ああいう輩はどっちにしろ生き残れんよ。滅びゆく世界に足掻いてすらいない。わしのように耐えれるとも思えんな」
「……足掻いた? 誰が?」
彼女が差し込んだ疑問に、ぴくりとセイランの指が震えた。手ごたえに合わせ、じっと彼の顔を覗きこみ、引き出そうとする。
「誰の事を話しているの? 一体誰の事を……私、あなたと付き合い短いけど、あなたは積極的に人と群れるタイプじゃない。それぐらいは分かる。
……いたのね? 何とか世界を立て直そうとした人たちが。でもその様子だと……」
「止めとくれ」
遮る声は小さい。小さく……弱弱しい声だった。
表情筋が歪み、額に手を置いて、苦悶の呻き声がセイランの口から溢れた。
初めて見せる後悔。冷徹な彼の顔に亀裂が入り……テティは彼のトラウマを踏んでしまった。その事に気づいた。
「……ごめん」
「…………いや。話す。その代わりに最後……お主の率直な意見を聞かせてくれ」
不意に映る老人の顔。皺と傷だらけの彼の顔。
――冷徹にしか見えなかった彼の顔が、テティには一人静かに、泣いているように見えた。
用語解説
吸血鬼
政府が壊れてから十年後、世界に突然出現した化け物ども。理性がなく獰猛で、夜行性で、身体能力が高く、人間に噛みついて生き血を啜る。さらに犠牲者は吸血鬼として蘇るが……吸血鬼化の条件がやや特殊。
それは「吸血鬼に血を吸い尽されて殺される事」
なので実は「噛まれただけならセーフ」なのだが……様々な終末世界物に出てくるゾンビ系は、「軽く噛まれただけでもアウト」な物が多い。そのため住人の多くは、現実と創作物との違いを検証せずに、印象と恐怖のまま混乱を広げてしまった。




