薄氷一枚の抑止論
前回のあらすじ
テティの家に上がり込み、晴嵐と二人きりになる。適当に水を注いで、互いの素性を了承し合い、晴嵐は己のいた世界の話を始めた。
外では雨が降り始めた。ざぁざぁと鳴り響く水滴の雨。不思議とその音に、頭がさえていくような晴嵐。
あの世界の臭い。希望が失せた世界の臭い、煤けた灰色の世界の臭いを思い出しながら、終末世界を生き抜いた老人は、ゆっくりと語り始める。
何故世界が壊れたのかを。彼自身が、知りうる範囲で。
「トンデモ兵器の話は頭に入ったか?」
「……星の半分が射程で、一発で街三つ四つ消し飛ばして、それをいくつも持っていた世界。それで平和を維持していた世界……よね。この平和のとこ、さっぱりわからないのだけど」
元の兵器の名前を話しても仕方ない。ざっくりとした形で、彼女に教えた。
「このトンデモ兵器じゃが……使ってから効果が出るまで時間がかかる。攻撃箇所に落ちるまで、移動時間があるんじゃ」
「まぁ、そうでしょうね」
「で、こういう過程と理論が、世界を平和にしていた。
トンデモ兵器持ってる者同士が対立していて、片方がコレを使ったとする。すると使われた側は攻撃を察知して、トンデモ兵器を撃ち返す。
わかるか? トンデモ兵器は作ったが、絶対に使わない兵器となった。何故なら使えば、相手に使われてしまう。敵の複数の都市を破壊した後、こちらの複数の都市を破壊されてしまう……だから、向けあったままお互いに使わない」
言葉はないが、紫の目が細く据わり、唇がきつく結ばれる。非常識な点と、あまりに危うい平和の在り方に、頬の筋肉が引きつっていた。
「薄氷一枚よ、それは! 一歩間違えれば滅茶苦茶に……」
口に出す最中に、少女は彼を責めるのをやめた。言葉に変える内に……彼女は状況を察して見せたのである。
「あなたの言ってた崩壊って……一歩間違えたってこと?」
「……あぁ。薄氷を薄氷と思わず、安泰だと胡坐かいて、砕け散ってから慌てふためく愚か者ども。それがわしら地球人じゃ」
「…………」
痛烈な自虐を披露し、自らの文明を嘲り、晴嵐は凄絶に嗤った。
『今にして思えば』本当に……地球人は何をしていたのだろうと思う。自分たちは、何をしていたのだろうと思う。結果や結論からしか物を語れないが、どう考えても、あの世界の人間は……晴嵐含めて、一人残らず大馬鹿者だ。
黒い嗤い声を低く響かせ、家の天井を仰ぐ彼。……テティには一瞬だが、彼が必死に何かを堪えているように思えた。
「あなたの国は? そのトンデモ兵器の攻撃にさらされたの?」
彼が崩れてしまう前に、話を急ごうとテティは問う。嘆きを含んだ嘲りをやめ、数度息ついてから語りを再開した。
「数発飛んできたが、全部防いだらしい」
「そうなの?」
「あぁ……わしの国は、そのトンデモ兵器が最初に投下……いや、使われた国でな。プロトタイプだったとはいえ、二か所に使われ、二つの都市が消し飛んだ。そういう歴史もあって、このトンデモ兵器を使わないし持たないと、世界に公言しておった」
「そっか、さっきの話だと……『撃たれたから撃ち返す』理論だものね。持ってないところは、優先して攻撃しない」
やはりテティは、話の飲み込みが早い。落ち着きを取り戻した彼は、出来るだけ感情を殺して、事実の羅列に努めた。
「ただ、トンデモ兵器を持った国と、同盟は組んでいた。だから数発は飛んできたが……わしの国は持たない代わりに、防御手段は研究を進めていた」
「それが機能したおかげで、あなたの国は助かった」
「もっとも……それが幸運だったかどうかは知らんがな。いっそ全滅していた方が、楽だったかもしれん」
再び彼は嗤い始めた。
「わしの国は島国だった。国土は狭く、山岳が多くてあまり農耕には向かん。資源も種類は揃うが、数は取れない。だから、外国からの輸入で資源を頼っていた。
ところが、外側の国と連絡が途絶え、世界が壊れてからは自前で対応せねばならん。だが突然状況が変われば、賄え切れなくなるのも道理。じわじわと不安と混乱が浸透し、国としての体裁が保てなくなるまで、そんなに時間はかからんかったよ。
決定的なのは、国を支える役人どもが、ある日突然雲隠れしたことじゃな。山奥なり別荘なり、自分の事のみ考えて隠居した。外の世界に逃げたなんて話も聞くが、まぁデマじゃろうな。あの世界に逃げ場なんてない。
ともかく……一番上が秩序を捨て、保身と自衛に走った。それを知った人民もまた、自分のために動く時代がやって来た……これが、わしが二十代後半に起きた混乱じゃ」
世界の崩壊が起こったのは、晴嵐が二十歳の時。約五年の猶予を考えると、一応政府は粘った方だとは思う。後の大混乱を考えれば、だが。
一息にまくしたてると、コップの水を一気に飲み干す。自前で不愛想に水差しに手を伸ばし、場末の酒場で酔うようにガブ飲みを続けた。
……いくら飲んでも、その際口をゆすいでも、腹の奥から出てくる腐臭は消えない。
自分が穢れているという自覚。洗っても落ちない血とドブの臭い。歯茎の間がグズグズに、腐ったトマトのように歪んでいる気がする。生臭さは血だけじゃない。不潔で深いな腐敗臭が、常に晴嵐の鼻を苛んでいる気がした。
いくら叫ぼうが喚こうが祈ろうが、魂に憑いた汚物の臭いは、永遠に濯がれる気配がない。あんな世界を招いたのも、あんな世界で生き抜いたことも、すべて……あの時代を作ってしまった、全ての人間の、途方もない汚点と罪科の結果だ。
幾度となく繰り返した後悔。他人に語るうちに、封印していた感情が荒れ狂い、彼の心を責め立てる。
外でなり始める雷。おいおいこんなのは序の口だ。ぎゃあぎゃあと喚きたてるには早い。急かすなよと小さく呟く声は、一体誰に向けたものなのか……
晴嵐が落ち着くのを待つ傍ら、彼女は水差しを持って台所に消えていた。己の闇に沈む彼は、テティが水差しを戻すまで、気が付かなかった。
疲れた彼に水をやり、渇いた声で訴える。
「……もうやめたら?」
あなたの過去を話すことを。やつれを見せる晴嵐に向けて、彼はそれでも語りをやめない。
「……まだプロローグだ。今日中に最後まで話させろ。お主の与太話は、また今度でいい」
「……そう」
目を閉じて、首を振って、しぶしぶ彼の前に座り直す。
滅びと絶望に至る地球人の終わりは、まだまだ序の口でしかないのだから……




