兵士長シエラ
前回のあらすじ
素性の探り合いをする二人。若干もめながらも、火の玉を発生させるナイフ『ヒートナイフ』によって、焚き木を起こす事に成功した。
薪の爆ぜる音が、暗く沈んだ森を照らし出している。
手ごろな丸太に腰を下ろし、ホラーソン村の兵士長、シエラ・ベンジャミンは息を吐いた。
魔術式のヒートナイフのおかげで、無事に火を起こすことができた。ほとんどの獣は火を恐れる性質があり、これなら一晩明かすことが出来るはずだ。
ゴブリンに不意を突かれ、あのままなら死んでいた自分を救ったのは、通りすがりの若い青年。素性の知れない彼は協力的だが……シエラは彼の事を不審に思いつつも、気の毒に思っていた。
油断のない鋭い眼差し、容赦なく敵を屠る業、そして……「国は壊れた」の発言。
滅びたではなく、壊れた。奇妙な表現ではあるが、彼の荒んだ気迫を受ければ納得がいく。修羅を感じさせる背中は、余人に近寄るなと無言で威圧しているようだ。
だからこそ、シエラは彼が気になってしまう。
同年代であろう彼は、その若さに似合わぬ影を心身に宿している。そのアンバランスな構えが、興味を強く引き立てられた。
とはいえ、詮索して答えるはずもない。その挙動は暗部に通ずる部分もあるが、だったら自分は殺されている筈だ。辺境の兵士長に取り入るとも思えず、彼の素性を深くは考えないよう努める。だがそれも、彼が一つの肉塊を眼前に突き出すまでのことだった。
むわ、と立ち上る獣血の匂いに、思わず鼻を覆う。ナイフに乗せられた肉ごしに、表情の読めない眼差しがあった。
「な、なんだこれは!?」
「肝臓じゃよ。ちと血抜きが甘かったが、喰えなくはない」
「……!? ま、待て待て! 生で!?」
頬を引きつらせ、目が飛び出るほど瞼を開けてシエラは驚嘆している。一方彼は、さも不思議そうにこちらを見ていた。
「鮮度が良い肝臓は生に限るわい。滋養がつく」
「え……えぇ……すまないが、軽く火を通してもらえるか?」
「……まぁ、そうじゃな。素人が食うには臭気が酷い」
そういう問題ではない。赤々としたグロテスクな肉塊を見て、食欲のわく神経が理解不能だ。手ごろな枝を火にあぶってから、適当に切った肝臓を炙る。他にも彼の手元には、自分で食べる分が置かれていた。遠巻きにしばらく眺めていると、血の滴る内臓を彼は生で咀嚼していく。シエラは引きつった表情のまま、しかし視線は外せなかった。
狩人は食すことがあると聞いたこともあるが……適切に処理をしていない彼のは、食用に向いていないだろう。事実「不味い」とぼやきながら、その肉塊を胃袋に収めた。
「よく食えるな……」
口周りを適当に拭いながら、彼はシエラの方を向いた。
「次食えるのがいつかわからん。贅沢言って食事をとらず、後々空腹で動けなければ干物になるしかない。あるいは……獣に襲われそいつの腹の中か。何でもいいから食っておけば、危篤までの猶予を増やせる。美味いメシなぞ贅沢じゃよ」
「……そういうものか」
不思議なことに彼の言葉は、経験を積んだ老人めいた説得力を含んでいた。研ぎ澄まされた気迫と重ねてきた経験が、鋭い姿勢として所作に反映されている。若いのは見た目だけではないかと勘ぐってしまう。
長寿な種族もいるが、彼らとて年老いれば老化する。人間の老人が魔法で偽装していたとしても、それほどの術者が過酷な環境に身を置くか?
(……ありえないな)
結局、彼の正体は謎のまま。それでも心強い味方に違いない。命を助けられた借りもあるし、頼りにさせてもらうとしよう。ちらと表情を窺うと、彼は焚き木を見つめている。真剣なようにも、呆然としているようにも映るその顔は、やはり若者の顔つきには見えなかった。
人物紹介
シエラ・ベンジャミン
茶色の髪の、ホラーソン村の兵士長。
作戦行動中、ゴブリンに不意打ちを受け死にかけたものの、晴嵐によって運よく救われた。色々と気まずい空気だが、主人公の事は気の毒に思っている様子。