逃げ出した二人
前回のあらすじ
草むらから飛び出したのは、立派な牙を持つ猪だった。興奮状態のそれに襲われる二人。ハーモニーの弓と、晴嵐の煙幕を駆使し、何とか仕留めることに成功する。安堵するのもつかの間、晴嵐は「熊が来るかもしれない」と言い、大急ぎで撤収の準備に入った。
危険を察した二人の行動は早かった。
ハーモニーが丸太を見繕い、速攻で晴嵐が括り付ける。途中から彼女も固定を手伝いつつ、石ころで村の方角を確かめるのも忘れない。
「急ぎましょう!」
「あぁ!」
二人でぶら下げても、成体の猪は相当な重量。だが危険を感じた肉体が、アドレナリンを沸騰させ、火事場の馬鹿力を呼び起こしていた。
悪路も構わず全速力で村へと逃げる。森を抜けだし、街道に出ても二人の足は止まらない。せめて村の入口まで行かなくては。獣の恐ろしさを知る狩人が、大慌てで門番のところまで逃げて来た。
「どうした!?」
息絶え絶えに門まで来ると、猟師達は安心し深く息を吐いた。獲物を一旦脇に置いて、地面に座り込む。
「「はぁーっ!」」
力を使った反動と、恐怖から解放された両足が震える。十分に休息をとったとはいえ、命の危険にさらされ、仕留めた猪を抱えたまま全力疾走。息が上がらないわけがない。
二人の切迫した空気が緩むのを待ち、もう一度門番が質問した。
「ど、どうしました? 二人とも?」
「ちぃと、熊の気配がしてな……」
「熊!?」
恐ろしさを知っているなら、誰だって遭遇したくはないだろう。必死に逃げて来た彼らは、続けざまにこう言った。
「しかも……人食い熊ですよ! オークが森の中で喰われた後があって……そうだ、森の中で誰かの悲鳴も聞こえました!」
「その方の安否は?」
「ハーモニーが行こうとした所で、この猪がわしらの前に来てな……こっちの応対で手一杯じゃった。……悲鳴の主のその後は、あまり想像したくないな」
「……残念です」
門番は静かに黙祷を捧げた。つられて女エルフも目を閉じる。晴嵐も小さく首を振り、運がない奴と呟いた。
鎮魂の静寂がしばらく続く。森の中で亡くなった誰かを偲び、乾いた風が悲しかった。
休息もそこそこにして、ハーモニーが門番に忠告を残す。
「ボクたちはこれから、猪を処理するんですけど……これから来る人に、森に近づかないよう言ってください。狩りや採取なんてもってのほかです!」
「分かりました……二人とも、お疲れ様です」
話と休憩を終え、もう一度二人が猪を持ちあげる。去り際に門番が彼に耳打ちした。
「初対面の時、すいませんでした」
もう一度門番を見直すと、その顔に見覚えがある。確かシエラを助けた時、色々と質問して来た人物だ。自然に浮かんだ言葉が、口から零れる。
「いや……初見の人間を疑うのも仕事じゃろう。気にしておらんよ」
――不思議な気分だった。声に出してから驚いた。打算を含まない気遣いが、まさか咄嗟に出てくるとは。まだ村に入って数日なのに、どうも自分が鈍っている気がする。
(足元を掬われんといいが……)
まだ数日暮らしただけなのに、日に日に温くなっていく気がする。関係を築く必要性はあるが……ここまで気を抜くと、誰かに裏切られそうで怖い。
それが普通だった。それで当然だった。不安と恐怖と、死臭が隣人の世界に慣れて過ぎた。
もはや半分病気だ。誰かを信用することが、不安でしょうがない。
「? どうしました?」
「考え事をな。取り分はどうする?」
常識的な己の言動に、ますます晴嵐は戸惑う。こんなに自分は甘ちゃんだったか? 悩む彼につられて、若い女エルフも「あ」と間抜けな声を出す。
とはいえ、いつか考えねばならない事でもある。その場を凌ぐ行動に頭がいっぱいで、今の今まで気を回せなかったが、村まで逃げれば余裕も生じる。
とりあえずで、晴嵐は要求を示してみた。
「割合は……お主が七割でどうじゃ?」
「えっ!? ダメですよ!!」
まぁ、そうだろうな。老練な頭脳が冷徹に計算を巡らせる。
確かに獣の誘導もした、援護や荷物運びもした。しかし猪に致命傷を与えたのは、ハーモニーの弓矢だ。彼女がいなければ、逃げる以外の選択肢は存在しなかった。彼もハナから要求が通ると思っていない。ここまま交渉に持ち込み、最後は折れる形で二割懐に入れば十分――
「ちゃんと折半じゃないと! でしょ?」
「えっ……えぇ?」
……いやいやいや。どうしてこう、こちらの打算を壊してくるのか。
どう考えても半分は多い。晴嵐が逆の立場でこの要求をされたら、冷笑を浮かべ心の中でブチ切れる。本気らしいハーモニーへ、苦言を呈した。
「明らかに多いじゃろ……」
「ボクは気にしてないですよ!」
「周りが気にするわい! ……ったく、どうしてこうもやりづらい……」
「???」
シエラも、ハーモニーも、なんでこんなに無防備なのか。自分の基準が通じないと理解しても、感性がまだ合わせられない。文明社会とは、こんなに生きづらい物だったか?
頭をわしゃわしゃとかき乱す彼は、ぶっきらぼうな表情を作る。すっかり相方扱いする彼女は、無邪気な子供のような……いや事実「子供」として、朗らかに笑っている。
「じゃあじゃあ! 取り分はセイランさんの言う通りでいいですから……晩御飯は黄昏亭に来て下さい! マスターに言っておきますから!」
「? 言われんでもそうする気じゃったが……」
「決まりですね! ふふふ……楽しみにしておいてください!」
他意がないのに、最後の言葉で身構えてしまう。「楽しみにしておけ」というフレーズは、終末世界では脅し文句の常套句だ。
(やっぱり……やりづらいのぅ……)
こちらは他人を頼りにしやすい。なのに生き辛いったらありゃしない。
孤独に慣れ過ぎた己を、異物である己を、彼は静かに、冷たく嗤った。




