着火
前回のあらすじ
釣り餌にかかったのは、紫色の小さく不気味な生物だった。引きずられていた女兵士を助け、兎を捌いて火をおこすことに。
火を起こす際、まず必要なのは火種か、あるいは着火用の器具だ。
これがないとそもそも話にならないのだが、効率の悪い当てはある。しかし火種を作ったところで、薪に着火させなければ意味がない。
だが薪だけを集めても、案外焚き木はを起こせない。
現代では着火補助剤と新聞紙の組み合わせで、中型の薪や炭なら直接火をつけることも出来る。裏を返すと補助がないと、火種があっても薪に火をつけるのは難しい。
よってまずは木くずや紙、乾いた落ち葉などで火勢を育て、小枝で安定させた炎に薪をくべる。段階を飛ばす道具がない今この状況では、晴嵐が思い浮かぶのもこのプランだった。
木陰で女兵士を休めさせて、彼は周辺を回りながら使えるものを集める。
これもなかなか難しい事だ。腐った木や湿った落ち葉では、煙ばかりで火の点きが悪い。生木や青々と茂る葉も似たようなもので、森の中で焚き木する時は、現地調達は避けた方が良いのだ。
「……薪を集めているのか?」
「そうだ。血のにおいで獣が寄って来るからの。必要じゃろう?」
いちいち喋らされることを、うっとおしく感じる。単独行動に慣れ過ぎた弊害だ。誰にも気を許せない日々を過ごした彼は、つい冷たい口調で応じてしまう。女は眉根を寄せたが、炎の必要性は理解していたから、彼に合わせた。
「確かに……申し訳ないが、力になれそうなのは『ヒートナイフ』程度だ。薪材は君任せになってしまうだろう」
「……そうか」
聞きなれない単語が一つ。
現代には『ヒートナイフ』なる物品は存在しない。名称からして着火用の道具だろうか?本音を言えるなら、非常にありがたい。
「着火は任せるぞ」
「心得た」
手さぐりな現状が歯がゆく、しかしどこか懐かしくも感じる。試行錯誤を繰り返し、自分ひとりを快適に生かす。その模索をしていた時も、こんな気分だった。
だがこの女に自分の生きてきた世界を話して、果たして信じられるだろうか? 恐らく素直には受け入れまい。酒に酔っているか、頭を強く打ったか、あるいは酷い妄想癖と取られるか……甘ちゃんな兵士長は、懸念しながら信じる努力をする気がしなくもない。
下らない想像を、晴嵐は鼻で笑う。
文明が、世界が、人の集団が協調して生きていける。恵まれた世界で生きている連中に、自分の経験した世界を理解できるはずがない。何より晴嵐本人にも、現状は何が何だかわからないのだ。公にするのはまだまだ早い。
「……ところで、君は何者だ?」
舌打ちを何とか堪える晴嵐。今までは勢いでごまかせたが、女は彼の事を気にしだした。ひとまずの安全を確保したおかげで、理性が戻って来たのだろう。
「あまり見慣れない衣服だ。『欲深き者』の装具にも似ているが……こんなところで何を?」
「…………」
厳粛な、重苦しい無言で茶を濁す。正直に話すのは論外だが、彼は咄嗟の言い訳を用意していなかった。相手を甘いと侮っていたが、晴嵐も想定が温かったと自己を認める。一歩無防備に近寄りながら、女は迫る。
「……隠密か? 緑の国から干渉を」
「わしに根を下ろす国はない。壊れた」
「……っ」
かっとなって叩きつけた言葉は、少なからず晴嵐の本音を含んでいた。
腹の内を探られるのは良い気がしない。それが……それが敗退した人類史の、惨めな腐臭で満ちているのなら尚更である。
(貴様に何が分かる? 隣人を信じないのが当たり前の世界が。こんな腐った一人の人間に、ぬるい意識で接するな)
当然、晴嵐の考えは伝わっていない。けれども、苛立ちだけは理解したのか、女はそれ以上何も言わなかった。
以降、黙々と作業を続ける彼。兵士長はちらほら、俯いた視線を合わせてきたが、彼は一切取り合わない。女は沈黙が気まずいようだが、晴嵐は全く気にしなかった。
黙々と作業を続け、なんとか火おこしに必要な材木が集まった。湿った薪材もあるが、これは火の近場に置いて水分を抜けば使える。一晩程度ならば夜明けまで火勢が持つだろう。
「出来たぞ。火つけは任せる」
「……うむ」
神妙な面持ちで、女兵士がナイフを一つ取り出す。
見た目は晴嵐のナイフより小ぶりで小さい。彼女の体格に合わせた大きさなのだろうが、何の変哲の無いソレは……その先端から、小さく火の玉を発生させた。
何度目かの動揺。パーティーで用いるトリック品ではない。完全な実用品のナイフから炎が飛び出る光景は、晴嵐には信じられなかった。
用語解説
ヒートナイフ
実用品のナイフにしか見えなかったが……火の玉を出現させ、薪に火をつけたナイフ。こんな道具は、終末世界には存在しない。