狂気との共通点
前回のあらすじ
地下礼拝堂に宝のにおいを嗅ぎ付け、同時に危険も感じながらも……晴嵐は鍵を手に地下に降りる。化け物の死体と裸体の死体、そして大型の檻が配置された地下。吐き気の催す光景に、早くも帰りたくなっていた。
冒涜の跡地を調べる晴嵐。淀んだ空気といい、黄緑色の発光する魔法陣といい、長居はしたくない。生き物の気配は全く無く、外部にも吸血鬼はいない。だから晴嵐に危険は無いのだ。
なのに……なのに彼は、無数の化け物に囲まれた時よりも、ずっとずっと恐怖していた。悪寒と吐き気が止まらない。この地下に広がる『礼拝堂』とやらは、人間がどれだけ残酷になれるか、どれだけ悍ましい発想や儀式を行えるかを、克明に残していた。
中央は檻と裸体の男女……なら良かった。問題は、女の方が明らかに『吸血鬼』であり、口は完全に厚手の布で封じられている。男の方は普通の……少々老いている事を除けば、普通の男性だ。――何をしようとしたのかは、想像できるがしたくない。
本当は今すぐ立ち去りたいが……本質はドブネズミ根性だからか? 何も手に入れる事無く、ここから逃げる選択を取れない。冒涜的な地下礼拝堂を見渡すと、豪華な宝飾を施した武具が、いくつか配置されている。最初こそ欲目で見つめたし、直接触れて品質を確かめた。柄部分の宝石を取ろうとしたが……深くため息をついて、元に戻した。
「使える物もあるが……これはのぅ……」
物質は物質。意味を与えるのは人間側。不吉な曰くを感じるとしたら、この場を見た晴嵐の主観だ。
が、それで割り切れるなら苦労はしない。晴嵐は儀礼用の武具を放置。さっさと去りたい本能と、何か持ち帰りたい欲がせめぎ合う中……中央の台座に歩を進めると、豪奢な外装の本が目についた。
奴らなりの聖書のつもりか? 触りたくもないが、妙に視線を引き付ける。未確認のままも嫌なので、とりあえず数ページめくり閲覧した。
その途端、ぐらりと意識が揺らぎ、視線が泳いだ。文字列の意味は不明ながら、胃の奥がせり上がって来る。指でなぞると、芋虫が蠢くように文字が歪み、頭の奥がぐるぐると回る。理解してはいけない、これは危険だ。ブン投げて捨ててやりたいが、それはそれで恐ろしい。不吉過ぎるその本を戻し、くらくらと歪む頭で目線を落とす。
「い、意味も分からんのに、頭がおかしくなりそうじゃ……」
内臓の臭いなんぞ嗅ぎ慣れた。そんな自負を持っていた晴嵐を、根本からぶっ飛ばしかねない状況。コレを大真面目に取り組める神経が分からず、今は預けた『終末カルト』の二人組が気になる。彼らはどこまで知っていた?
不安は膨れるが、今更引き取る勇気も持てない。必死に意識を逸らして探索を続けると、中央の台座の間に何かが挟まっている。
「ノートパソコンか……ん!?」
手にした電子機器は、ホコリや塵はほとんどない。目立つ損傷もなく、試しに電源ボタンに触れる。すると内部の円盤が回るような音から、液晶に光がともった。パスワード設定も無いのか、すぐにブラウザ画面が表示される。試しにタッチパネルやキーボードも触れると、何の問題も無く操作を反映する。試しにメモ帳ダブルクリックし、起動したアプリケーションは正常に作動。片手で不器用にローマ字をタイピングすると、ちゃんと文字も入力できた。
「バッテリーの充電は……61%か。これなら近くに……」
電源をそのままに、周辺に目を向ける。一分かからずにケーブルと充電器が見つかった。どこかで発電設備も生きている……のだろう。ここに来て初めて、彼の表情が弛緩した。
この国に、この時代に、無事な電子機器は貴重品だ。まだ稼働するノートパソコン。しかもパスワードのロックも無し。これならすぐに引き渡しも可能だ。それも高い価値で。
来た甲斐はあった。さっさと立ち去ろうとする直前、はらりと一枚の写真が落ちる。何故か引き寄せられる目線。そっと手を伸ばし裏側の文字を読む。
「なんだ……?『Crossroad Ghost』……?」
心霊写真か何かか? その文字列は、開いたメモ帳と同じタイトルをしている。恐る恐る裏返し、表面を見つめる晴嵐。しかし撮影されているのは、心霊写真とは程遠い。
「海中の写真か? 中央のスクラップは……これはいったい?」
錆びた茶色の船体
ぽっかりと空いた空洞
密集する歪な珊瑚
辛うじて水面から伸びる光
唯一魚だけが、人工的な魚礁を優雅に泳いでいる。
初めて見る写真。一体何なのだ、これは? わざわざこんな所にしまって、亡霊などと呼ぶコレの正体は?
裏面の文字と同じメモ帳を思い出し、試しにタッチパネルを使って文字を読もうとする。しかし羅列は……本のモノよりマシだが、どことなく晴嵐の正気を蝕む。
「っく……まるで呪いか何かか!?」
狂気を理解する事は、心を狂気に近づける事。物質的なグロテスクは馴れたものの、文章や言動で直接精神を削られるのは不慣れだ。辛うじて理解できたのは、これが遥か昔の核実験――『クロスロード作戦』によって沈んだ、船の残骸だと言う事。
「こんなものが、一体何の……」
と、つぶやいた矢先……書かれた一文に絶句した。
――この写真は『終末カルト』にとって神秘の一つだと言う。人々の夢枕に立っては、どうして核の惨劇を防がなかったと……悍ましい風貌で訴えるのだ。
その姿や証言の内容は……信じられない事に、晴嵐にも身に覚えがある。忘れかけていた事を思い出し、ぎゅっと胃が縮んだ。
赤錆びた錆に覆われ
体の中央に穴が開き
朽ちたサンゴと貝を体から生やして
ケロイド状に爛れた金属の皮膚を持つソレ。
――すべての始まりの日、世界に核弾頭が落ちたあの日、晴嵐の枕元にも囁いた……あの奇妙な亡霊の特徴と合致している。奴らはその亡霊を『地球の使者』と呼び、人類に償いを求めている。この怪物を見れる者は、即刻入団の資格と、何らかの役職を与えると明言されていた。
「ふざけるな」
自分がこんな……イかれ野郎と仲間になるなんざ御免だ。そして奴らの主張する『神秘的な』体験をしているのも我慢ならず、反射的に吐き捨てる。
ふざけるな。化け物と交わり、滅亡を加速させ、頭を教義で空っぽにした狂人共と一緒なんざ、まっぴらゴメンだ。加速する怖気。走る生理的嫌悪。即刻PCの電源を落とし、急いで抱えて出ようとする。
……だから、彼は気が付かなかった。
晴嵐のポケットの中に、その写真が『まるで吸い込まれるように』入った事を。




