面影の無い住処
前回のあらすじ
片手片目で軽トラを運転し、晴嵐はかつての拠点『豊橋農場』に向かう。風化の進んだ景色を眺めながら、朽ちかけた農場へ、久々に晴嵐は帰還した。
道中と比べれば元『交換屋』拠点こと、豊橋農場の荒れ方はマシだった。
経年劣化はある。が、その中に『何とか維持しよう』と努力の痕跡があった。錆を磨いて落とした痕や、やや強引に板金加工で持たせたような跡――畑の一部は無事で、何かの花を咲かせていた。この『豊橋農場』の跡地には……他の廃墟と異なり、生活のにおいが残っている。
「……酷い有様には、変わりないがな」
文明復興組は生存者に配慮し、豊橋農場への攻撃を控えたのだろう。だからこそより手前の領域で、戦火が激化したとも考えられる。この場合、討ち漏らしがいる危険もあるが……生存者の捜索も兼ねて、潜伏した敵の掃討も並行したと考えられる。警戒は必要だが、張り詰めずとも良さそうだ。
「…………変なのが立っておる。案山子代わりか?」
まず目についたのは、藁で編まれた人形だ。一本足で畑の各所に配置され、ボロボロのみすぼらしい服を纏っている。だが頭部を見て、晴嵐の表情が曇る。口には牙のような宝飾品が埋め込まれ、眼光は赤を主体にした、ガラス玉やら宝石やらが埋め込まれている……
すぐに分かった。奴らはどうも『吸血鬼』を模した案山子を、畑に立てていたらしい。御神体を兼ねた害獣対策とは恐れ入る。他にも各所に、地球のようなシンボルマーカーが描かれていた。
「…………すっかり侵略されちまったな」
面影が無い事は、一応知っていた。嫌々で取引に来た時も、ちらりと中を見る機会はあったが……意識は常に自分の身についてと、取引内容に注力していた。――本当は、変わっていく内情から、目を背けたかったのかもしれない。改めてみれば、面影があるようで全くない。もう何も……取り戻す事も、返ってくる物も無いのだろう。
深く一息、晴嵐がため息を吐いた。基本淡々としている男の背中から、隠しようのない哀愁が漂う。失った左手と右目が、ズキリと痛んだ。
――どこぞのお人よしなら、空気を読まず晴嵐を慰めるかもしれない。もし温い事を抜かしたら、老人は激しい怒りを露わにしただろう。
取り戻せない失敗はある。直せない喪失もある。代わりのモノで、簡単に埋まりはしない。死ぬまで古傷に悩まされながら、死ぬまで生きるしかない。拠点を失い、片目を失い、片手を失っても尚――命を落として、この世に何も出来なくなった者達よりは、まだ出来る事があるのだから。
心に吹く喪失の冷気を、加賀老人の哲学で振り払う。そして重い足を、文明復興組との取引のために進めた。
――向かう先は、晴嵐が寝泊りしていた宿舎。住み込みで暮らすための寮、と呼んだ方がしっくりくるだろう。ここも比較的外観は綺麗だが、中に入ってぞっとした。
宗教的な装飾に……ではない。文明復興組と比べるまでも無いが、化け物に抵抗しようと組んだ、バリケードの痕跡がある……
人間、追い込まれればなんだってやる。信仰の対象に襲撃され、おとなしく食われず抗戦を選択した。
感情がぐちゃぐちゃになる晴嵐。ツッコミどころしかない行動に、無意識に抑圧してきた『終末カルト』への悪意が溢れ出す。
――自らの教えを貫き通せず、情けないだとか。
――どうして自分たちだけは、安全だと思い込んでいた? とか。
――いざ対面し、敵対するハメになるのなら、どうしてこんなイかれた教えにのめり込んだ……? とか。
『終末カルト』への嫌悪と憎悪は、取引先だから抑えていたのだろう。自覚はあったが、どうも晴嵐自身が思う以上に感情を抑圧していたらしい。どうせ死ぬなら晴嵐の手でブチ殺せばよかった。本気で思い、若干後悔した。
「ま、無様な死に方じゃし、一応は納得してやる」
既に死体はない。救出に向かった者達が、死体を焼いたか埋葬したのだろう。飛び散った血痕の染みついた、バリケードに蹴りを入れて八つ当たり。不愉快を浮かべ、一度で満足できそうになかったが、やるべき事、より優先したい事を思い出し、振り切る。
荒れ方や内装は酷いが……建造物に手は入っていない。今更リフォームするぐらいなら、空き地に新しく建てる方が良い。
晴嵐が暮らしていた頃と変わらない間取りと、変わり果てた内部のギャップに気分が悪くなる。自分の生活圏だった場所に、別の誰かが暮らした痕跡がある。否、自分の領域を、誰かの生活で上書きされたようで不愉快だった。ましてや相手が、晴嵐の憎悪する人種ならば……その嫌悪感は生理的以上のモノ。終止不機嫌のまま、彼は迷わずその一室に辿りつく――
「クソが」
晴嵐が寝泊りしていた一室。そこには『横田司祭の私室』のネームプレートが掛かっている。そうだ。不覚にもあの男と、晴嵐は同じ部屋で寮生活だった。
……吸収した後も、横田派は『終末カルト』に属していた。ここを乗っ取った以上、部屋をそのまま使うのは予想できた事。苛立ちつつドアノブに手をかけるが、鍵かかかって開かない……
怒りに任せて、扉をブチ破ろうとも思った。けれど残った片手でのピッキングも、慣れていかねばならない。どろどろとした、真っ黒い悪意と憎しみを扉にぶつけるのを抑えて……彼は時間をかけて、かつての自室の鍵を開けた。




