放し飼いの怪物
前回のあらすじ
愚か者共が『吸血鬼』を解放したその時、晴嵐は取引中だった。運悪く巻き込まれた彼は、たまたま近くにいたカルト教団員を荷台に乗せ、脱出を試みる。
軽トラックを走らせる晴嵐。『終末カルト』拠点から脱出したが、何が起きたか分からない。距離を取り、朽ちた街中を走っていたが、いきずりの同乗者が何度か叩く。周囲を軽く見渡し、安全を確保してから軽トラを止めた。
ゆっくり車両を停止させる。後ろの荷台に、人を乗せたのは初めてだ。慣性を殺して道の端に止めると、不安と恐怖に染まった『終末カルト』の生き残りの表情があった。混乱を隠しはしないが、最初の発言は素直だった。
「今更だけど……助かった。ありがとう」
「……気にするな。お互い、運が良かっただけだよ」
「そうかもな……そうだ、隣いいか? 後ろだと」
「振り落とされそうか? ……仕方ない」
顔見知りだが、隣を許すのは怖い。運転中に横から刺される危険を感じたが、荷台では『終末カルトメンバー』も不安だろう。車両から降りたロープの男を助手席に乗せ、再び晴嵐は軽トラを走らせた。
隣の男は顔色が良くないが、やるべき事、伝えるべき事は分かっているらしい。晴嵐に「急いでくれ」と、走行音に負けない声で指示を出した。
「この辺りは滅びの使者が……えぇと『吸血鬼』放し飼いにしている地域なんだ」
「おいおい……そんな危険なマネをしていたのか?」
「私たちなら……心から地球女神を信奉している人間なら、今まで襲われる事は無かったんだ。吸血鬼が、神の意思が、私たち守ってくれる。私たちはそう解釈していた……そのはず、なのに」
晴嵐は直接、その場面を目にしていない。『終末カルト』メンバーはともかく、それ以外の人間にとって、吸血鬼は怖ろしい怪物でしかない。放し飼いなど狂気の沙汰だが、彼らにとって日常だった。
「一体何が原因で、変わってしまったんだ……?」
「『終末カルト』の外側は、何も変化なしじゃよ。わしに言われても分からん」
「…………そうか」
深く深く落ち込むロープの男。信じた現実に裏切られ、崩れた日常を想起する。身に覚えのある状況だが、かつて晴嵐を追い込んだのは……
いや止そう。ざまぁみろと煽るのは後でいい。今は目の前に迫る危機について、考えるべきだ。そしてこの後、どうするかも。
「そのまま真っ直ぐ。右は絶対にダメだ。日陰が多い」
「分かった。この後は?」
「三つ交差点を超えた先を左、そこから先は分からない」
「オイオイ……」
心の底から呆れた。あまりに雑な管理だ。よくもまぁ、今まで身を守れたと思うが……彼ら終末カルトは、極めて特殊な環境下にいたらしい。
「ほとんど放置しても、問題なかったんだ。信者以外が迂闊に侵入すれば……勝手に吸血鬼が敵を駆除してくれる。そして私たちには無害で、何もしなくても見張りや兵隊になってくれた……」
「オイ、わしが来る時はどうする気だ? 一歩間違えたらわしが襲われるだろう」
「来客の日は、あらかじめ紫外線ライトで遠ざけていたよ。配慮していたさ」
知らなかった相手の都合に、晴嵐は顔をしかめた。今までは何の問題も起きていなかったが、一歩間違えれば噛まれていた危険がある。抗議しようとした刹那、道路の前から二名ほど、ふらふらと危うい足取りの人影が見える……
遠巻きにもロープを纏っている姿だ。隣のカルト出身者が声を上げたが、晴嵐の表情は険しい……
「もしかして、生き残りか!? 車を停め――」
「馬鹿野郎逆だ! 突っ込むぞ! 手すりに掴まれ!!」
グンっ! とアクセルを踏み込み、軽トラックのエンジンが唸りを上げた。ホイールの甲高い空転音が響くと、虚ろな眼光がこちらを睨む。鋼鉄の質量弾が直進してきたのに、奴らはむしろ突進を仕掛けて来た。
激しい衝撃。ぐらりと揺れる車体フレーム。何かが砕ける音。ひしゃげるボンネット。ひび割れたフロントガラスには返り血が付着し、跳ね飛ばした二体が道路に転がった。
なんて事を……と抗議する前に、ゆらゆらと奴らは立ち上がろうとする。痛みを訴える事も忘れて、血に飢えた牙を剥き睨みつけてくる……
「しぶとい奴……!」
「ま、待て! 無理にトドメを刺さなくていい! 今は逃げよう!」
「……そうだな」
怪物に構う余裕は無い。流石に走って追いかける事も出来ないようで、晴嵐は脇を素通りした。しかしその直後、サイドミラーを見てぎょっとする。
――周囲の物陰から、人型の怪物がこちらの様子を見ている……日陰にいるしかない奴らは向かって来ないが、ロープを着用した奴は日中でも平気だ。追いつかれる前に、逃げ切るしかない。下手に敵対するより逃げるが勝ち。アクセル全開で道を走らせる。
「何とか撒くしかないか……!」
「大丈夫なのか!?」
「燃料は平気だ! メンテもしている! 後は祈れ!」
「祈っても無駄だろ!」
「だったら覚悟を決めやがれ!」
周囲から迫る化け物の影。生き残りの男たちを獲物にしようと、軽トラックの背後に狙い迫りくる。エンジン音をかき消して迫る獣の影に、二人は顔を青ざめつつも逃避行を続けるが、物陰の気配は消えそうにない。
「くそっ! 多すぎるぞ! 少しは間引きしなかったのか!?」
「どれだけ増えようと無害だったんだよ、今まで!」
「それじゃあ数を把握していないのか!?」
「そうだよ! ともかく遠方まで走ってくれ!」
「クソが!」
激しく悪態を吐き捨てて、車両を走らせる。
ひたすら逃げ続けた先に、たどり着く皮肉な運命も知らずに。




