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終末から来た男  作者: 北田 龍一
幕章 終末世界編

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加賀老人の日記・7

前回のあらすじ


日本へ移住した加賀さんを出迎えたのは、同じく敗戦国の兵士である祖父母だった。お互いに空気を察し、深くは聞かず必要な事だけを話し、教えていく加賀さんの祖父。いつか来る終わりが見え始めた頃、加賀さんは初めて内面に踏み込む。

 日本に移住してから数年後、爺さんは咳き込む事が多くなった。

 幸い、俺もこっちで免許を取ることが出来た。思ったより時間を食ったが、身内の推薦もあるからか、通常の手続きより早いらしい。爺さんに感謝しつつも、その命の灯に陰りが見え始めた。

 なのに……未だに爺さんは猟を続けている。急斜面、根っこだらけの足場の悪い地形、歩き慣れているとはいえ、森の怖さは爺さんが何より知っている筈だ。心配でしょうがない婆さんだけど、流石に同行させられない。ほとんど付き添いのように、俺も隣で森の中に入った。暇な時に俺が、ちょくちょく爺さんを止めようとするんだけど、反応はいつも同じ。


「……爺さん、もう森に行くのはやめた方が」

「ダメだ。そうやって甘えていたら、二度と立ち上がる事も出来なくなる。後は暇になった頭が腐って、自分自身で亡くなってお終いだ。身体より先に、心が先に死んじまう」

「アンタの身体はガタが来てるだろ。自然の中で死ぬのが望みか? 婆さんはどうなるよ? 夫に先立たれて」

「戦時中じゃ珍しくない。後の事はお前に任せる」

「……そりゃ面倒は見るよ。見るけどさ……いくら何でも、その割り切り方は何なんだよ。少しでも婆さんのために、長生きしたいとか思わねぇのかよ」

「思わん。俺は運悪く、ここまで長生きしちまった人間だからな」

「何だよそれ。本当は死にたかった訳?」

「そうだ」


 一瞬の間もない、完全な即答だった。けど俺は、その心情を否定できない。ベトナム戦争帰りの兵士の中で、自分の頭をブチ抜いた奴は珍しくない。日本の古い考え方にも……恥をさらすくらいなら、自分の腹を切るって文化もあった。


「むしろ逆に聞きたいがな。敗戦の兵や将で、自殺の二文字が頭に浮かばない奴、いるか?」

「……いないね。絶対に。俺だってチラ付いた」

「あぁ。いるとしたら……そこまで追い詰められていないか、他に背負ってる物があるか、逆に何も考えない、感じないような奴ぐらいだよ」

「だったらなんで爺さんは生きている。婆さんのためか?」

「いいや」

「何だよ冷たいな。俺には仕方ないかもしれねぇけど……婆さんにそれは」

許嫁いいなずけだよ。親に決められた結婚だ。好きだとか、愛しているとかどうかは、わからん」

「………………なんだよそれ、よくわかんねぇ」

「だろうな」


 最初から理解を拒むような態度。もしかしたら爺さん本人も、よく理解していないのかもしれない。俺の両親のように、劇的な恋愛とは違う関係性……

 アメリカじゃ恋愛結婚が普通だから、どうも決められた婚姻ってのは良く分からん。難しい顔をしていると、爺さんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「どうでも良いだろ。人様の人生の話なんざ、聞いてる奴は退屈だろう」

「いや……俺は孫だし、興味はあるよ」

「どうだか。むしろ身内な分逃げれなくて、面倒って思う事はないか?」

「全く思わないわけじゃねぇけど……だけどよ、俺も爺さんもクソみたいな人生送ってるのは事実だろ」


 育った国は違う、時代も時世も違う。血のつながりだって、最近になってようやく少し意識できる、そんな程度の関係でも、互いにその一点は通じている筈だ。

『敗戦を喫した兵士』の烙印に悩まされたのは、俺も爺さんも同じだと。――多分、国の中まで侵入されてない分、俺の方がマシまであるが……けど、その苦しみの質は俺と同じの筈だ。和解を求めるかのような、不愛想な俺にしちゃ珍しい態度に、一瞬だけ目を丸くして――バッサリと爺さんは吐き捨てた。


「それがどうした? 俺やお前がいくら絶望しようが、他人からしたら退屈な話だよ。他人がどれだけ苦痛を負った所で、んなモン知ったこっちゃない」

「……人間って、残酷だな」

「そうだ。そのくせ、その残酷さを、出来るだけ自覚したくない。目を逸らしたい。だから必死に平和だ善良だ平等だって、叶える気も無い理想を大声で言いたがる。――美談の方が、悲劇よりずっと少ない現実から目を逸らして……」


 俺たちは目を合わせた。

 敗戦兵の俺たちは、多くの人間が目を逸らした外側にいる。誰にも見向きもされない場所にいる。そこまでは俺にも分かるが、なんで『自殺』を選択しなかったのか……? 俺の無言の問いに、爺さんは鋭い眼差しで言う。


「だがな……それでも人は、いやすべての生き物は、死ぬまで生きねばならん」

「どうして?」

「で無ければ――生まれる事さえ出来なかった者に、生きるために踏みにじった命に、申し訳が立たん」

「……どういう事だ」

「お前は生まれてくる前に、同胞を蹴落としている」

「えっ?」


 意味が分からない。困惑する俺に対して、真っ直ぐに爺さんは言う。


「ほとんどの命ってのはな……命になる前に、競争がある」

「……なんの話?」

「すべての生命の話じゃよ。命が命になるには、男と女がいるだろう。だが、一つの命が生まれるまでに……精子同士で競争があるだろう。誰が一番最初に、卵子に辿りつくまでの間にな。この世に生まれてくる命ってのは……その競争に勝って、この世に生まれてきている」

「んな事誰も覚えてねぇよ。気にしてもいない」

「そりゃそうだ。生まれてくる前の事なんて、覚えている訳が無い。だが分かるだろ。お前は……一度競争に勝っている。生まれる前の競争に勝って、この世に生まれてくる」

「……生まれた後だって競争だらけだろ」

「そうだ。生きるって事は、争う事だ。植物だって例外じゃない。上を見ろ」

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