加賀老人の日記・2
前回のあらすじ
加賀老人の残した日記、そこには彼の人生の記録が残っていた。見た目から全く気が付かなかったが、加賀老人こと『加賀悠人』は、終戦直後に生まれた、アメリカ人とのハーフらしい。すぐにアメリカに移動したそうだが……
米軍に入隊し、訓練を始めて数か月が経過した。
正直に言う。滅茶苦茶辛かった。訓練の内容じゃない。見せびらかす日記じゃないから、堂々と表現する。結構露骨に差別用語使う奴、多かったよ。
予想して無かった訳じゃない。普通にアメリカで暮らしている間も、ずっと疎外されていたからな。軍隊に入った所で、人の中身は変わらない。一応父親が軍に属していたから、お情けで入隊させてもらった……周りの評価は、そんな感じ。
半分は正解だ。けど半分は違う。父は……俺の資質をよく見ていたらしい。顔や肌、体格は完全に日本人だが、それでも半分は父の血だ。幼いころから色々と手伝っている内に、父は俺の中に、兵士としてのセンスがあると評していた。母は微妙な顔してたっけ。でも、俺は積極的に父の教育を受けに行った。
どんな時代でも、暴力はナメられない為の担保になる。ましてや、この前書いた通りの時世だ。積極的に荒れる気はないけど、襲われた時の自衛手段は必要だろう。
黒人差別の現場は目にして来た。過激派の白人至上主義は『白人以外』を弾く思想だから、アジア系の人間だって差別の対象だし。そうした背景と環境を、幼いなりに知っていた。
だから俺は、入隊前に十分鍛えている。特に足回りを重点に置いて、父は鍛錬を施した。なんでかっつーと、純血の……と言っても移民の国だから『純血』って表現もどうかと思うが、ともかく現地アメリカ人と比較すると、俺の体格は『ちんちくりん』だ。周りは十センチ以上背が高くて当たり前。純粋なリーチとパワーじゃ勝ち目がない。なので、小柄な体に瞬発力で勝負する……これでもかなり厳しい勝ち筋だが、正面からやるよりはマシだ。
その立ち振る舞いは……どこまで良かったかは分かんねぇ。生意気な日本人のハーフ。実は密かに潜入して、軍を内部から腐らせに来た……なんて馬鹿馬鹿しい妄想を、本気で告げ口する奴もいたよ。上も上で神経質になって……はぁ、思い出したくもない。
一番ふざけていたのは、タケヤリだのトッコーだの、意味も知らずにやってみろと抜かす奴がいた事。あのな、それは俺の祖先の話だっつーの! 上官に言われるならまぁ、しょうがないかな……とは思うが、同年代や少し上に言われるのは理不尽極まる。――ちなみに、その場面を上官が一度目撃したんだが、一瞬で青ざめて米兵側を諫めてた。俺を庇ってるって言うより、本気で何か……怯えてるような気配があった。マジで特攻してくると思ってんのか? 偏見を持っているのは俺も同じだろうから、正直分からん。
そんな環境でも軍にしがみつくのは、他で働く事が難しい現状がある。白人至上主義蔓延るこの国じゃ、白人以外……と言うより、日本人の居場所は少ない。敗戦国の住人だし、理不尽とは思うが仕方ないとも思う。
何度も陰湿な奴から派手なのまで、ロクでもない目に遭った。いちいち細かく書かないのは、ここで女々しく書いた所で、読み返しても虚しくなるだけだ。それに、腫物扱いも慣れているし、いっそ笑い話にしちまえと、前向きな話を残した方がいいだろう。
どうも同年代の連中、日本軍の言葉は知っていても、意味までは知らないみたいだ。だから『タケヤリ』の意味を教えてやったら、目を丸くしていたよ。
なんてことない。『竹槍』はこっちの言葉だと『バンブーランス』つったら、相当な衝撃と困惑で俺を見つめて来た。それが本当なのか、武器になるのか、そして日本人は、本気で抵抗する気だったのか……ってな。
素直に俺は答えた。分からないと。
タケヤリで飛行機が落とせるとは思えないし、仮に落としたとして、その間に出る被害の方が大きいだろう。また、戦車がやってきたら装甲を貫けるとも思えない。勝ち目はゼロに見えるし、本気で信じるなんて馬鹿馬鹿しい……
冷静に一つ一つ、俺なりの考えを伝える。不思議なもので、時間をかけて話し、軽く投げつけていた言葉の意味を理解すると、言動の軽薄さを自覚したのか、嫌味で使う事は無くなった。ずっと軍の中で、しぶとく訓練と共同生活を続ける俺の根性に、向こうが折れたらしい。そりゃ必死になる。まともに生きていく方法は……多分、この時代の俺には選択肢が少ない。地位や立場の弱い人間の自覚がある。その中で、少しでもマシな……あるいは、適正のある職を俺は選んだ。それだけだ。
ただ、軍属の道に関しては、この時代、そんなに悪い選択じゃない。ベトナム戦争が想像より長引いていて、兵員が全然足りてないらしい。
母は……その兆しを見て『やめた方がいい』と、俺が軍人になる事を強く止めようとしてたっけ。見覚えがある気がする、嫌な予感がする……そう言っていた。
良く分からん。軍の発表だと、米軍優勢が続いているって話だ。もうすぐ戦争は終わり、ベトナムは無事民主主義になると。最後の一押しとして、俺達若い兵士が必要なのだと。
俺は別に、この国に愛国心なんてない。なんならクソとすら思う。
けど、生きていくためには、こうするしかないだろう? タダで飯は食っていけねぇ。殺しあいになり、俺が命を落とす危険があるのも分かってる。
――その分、待遇と金はそれなりに良い。異邦人の俺が、まともに働いていちゃ……この金額は稼げない。俺自身が生きていくにも必要だし……両親の生活も、きっとこれで楽になる。絶対に……俺は、ベトナムから生きて帰る。




