預けられた刃物
前回のあらすじ
老人は若者たちに、自らの判断を促す。この豊橋農場に留まるも、外に出るも自由。加賀老人は、いずれ自分も耄碌して死ぬと言い、いつまでも頼れはしないのだと事実を並べる。そしてこの世に、ノーリスクの事柄もない。理不尽に死ぬにしても、せめて自分の望む方に向かって死んだ方がいい。すべて話し終えた後、農場の面々は自分の頭で考え始める……
大平 晴嵐 は荷造りを始めていた。大き目のバックパックにいくつかの私物を詰め込んでいく。演説の後すぐに、彼は出立準備を進めていた。
横田など、そこそこの仲の相手に決意を伝えてある。互いに話し合ったが、横田含む多くの者達は「この場に残る」方針のようだ。
なるほど……確かにここは防衛線が敷けているし、食料生産の体制もある。納屋には工具も十分にあり、生き延びるには良い環境だろう。よほどの理由が無ければ、飛び出す理由は見当たらない。
正直晴嵐も……あまり遠出する理由は無いが、彼には一つ気がかりがある。歩いて二十分でたどり着ける距離に気を遣うのも、ここ最近の激動故か。淡々と準備を進める中で、彼に与えられた個室の扉にノック音が響いた。
「ん……誰です?」
「わしじゃよ」
しわがれた声に振り向く男。わざわざやって来た老人に驚き、一旦は作業を止める。向き合う両者、ゆらりと腰を下ろす加賀老人。その目つきに険しさはなく、やや名残惜しそうに晴嵐に話しかけた。
「……行くのか、大平」
「行く……と言っても、少しの間だけです。一週間も使わず、帰ってくるつもりですよ」
「一体どこに?」
「近くのニュータウンです。そこに学生時代の友人がいます。様子を見に行きたい。無事だといいんですけど……」
共に燻製器を製造した三島家の事だ。何せ混乱の中で、一度も連絡を取れていない。嫌な想像も出来てしまうが、老人が皮肉を口にしたのは「自分たちの範囲」に留めていた。……若干だが、彼に気を使ったのかもしれない。
「ふん……帰って来れるかもわからんし、そもそもここが残っているかもわからんじゃろ」
「それを言ったら、明日隕石でも落ちて全滅するかもですし」
「はっ……確かに。好きに生きろと煽ったのも、わしじゃからな」
何が起こるか分からない――はっきりと告げられ気持ちが揺らぐが、晴嵐は冗談を交えて返した。ふと彼は加賀老人に尋ねる。
「……そう言えば、どうして煽ったのです?」
「あん?」
「『自分の道を選べ』なんて、みんなの前で言う必要ありました? 嫌なら適当な所で、それこそ個人の意思で出ていけばいい。なんて言えばいいのかな……加賀さんらしくない気がして」
「わしらしいて……貴様、わしの何を知っておると言うに」
「少なくとも、親切でお節介な人ではないですよ。俺の所に来たのだって違和感あります」
「ケッ」
嫌味めいた言葉だけれど、軽口を許せる程度の仲にはなっていた。悪態の後に本音を話す。
「ただのポーズじゃよ。一度自由に選択させんと、独裁者とか言い出しかねん。勝手にぶら下がっておいて、不満が出たら『わしのせい』……なんてのはたまらん」
「……つまり『ここに残ったのはお前の判断だ』って形にしたいんですか」
「形も何も、事実そうじゃろ。わしが演説せずとも、好きに抜け出す事も出来た。いくつか物を拝借して、こっそり逃げ出す事も難しくない。罠の配置は分かっているから、内から抜けるなら簡単だ」
「残った人は困るでしょ、それ」
「あぁ。人手が減るのは痛手じゃ。食い物を腐らせるくらいなら、誰かの腹に突っ込んだ方が労力に出来るからの」
今から抜ける晴嵐に対し、少し棘のある言い方に聞こえた。むっとする若造に対して「それが『自由と責任』じゃよ」と、老骨が説く。
「貴様がここを出るから、人手が減る。だからこちらはあまり良い気分ではない」
「……でも、このまま閉じこもっているのも、俺の望みじゃありません」
「そうだ。どちらも取る事は出来ん。だから貴様は、自由意志で『一旦はここを出る』選択をした。結果としてわしらの悪感情は甘んじて受け取れ」
行動と結果
自由と責任
いいとこどりは出来ない。ままならない世界の中で、自らの望みを叶えるには代償が要る。それは誰かとの関係悪化なり、安全の外側へ行くなり、一見ローリスクな見でさえ「時間」と言う対価が必要だ。
事実に言い訳しても、現実は良い方向に転んでくれない。だから勇気と決断は必要なのだ。その結果生じる、責任を負う覚悟が必要なのだ。
この言葉は……晴嵐だけでなく、老人にも刺さっていた。
「ま……わしが『好きにしろ』と言ったから、お主もここを出る決断をした。これがわしの行動の結果なら、甘んじて受けるわい」
「……」
一瞬、謝りそうになった。けれどそれが筋違いだと気付いた。
互いに自由を行使した結果がこれだ。そこに貸し借りは無い。行動と決断によって生じた現実を、お互いに受け止め、割り切るしかないのだ。
けれど……完全に割り切るには、晴嵐は若かった。どう言葉をかけるべきか、このまま黙って去る事も出来ない。迷い悩む彼の背中を押すように、老人は一本のサバイバルナイフを差し出した。
「……預けておく」
「えっ?」
「わしの愛用のナイフじゃ。貴様に預ける。必ず返せ」
目を合わせない憎まれ口。が、本心は間違いなく別にある。ちゃんと生きて帰ってこい……暗に込められた思いに胸が熱くなり、数回頷き、返事は若干喉が震えていた。老人は……流石と言うか、感情にブレはない。ケッと悪態を漏らすと、ぼそりと個人的な事を漏らした。
「えぇい! いちいち湿っぽくなるな! こんなの、あのジャングルに比べれば――」
「ジャングル……?」
「……生きて、帰ってこい。そしたら少しだけ、話してやる」
「……はい!」
こんな言葉で、現実も未来も変わりはしない。なのになぜだろう。不思議と胸の奥にこみ上げる活力が、全身を力強く押してくれる気がした。




