次の世代へ
前回のあらすじ
自分の命を、自分だけのものではないとスーディアは主張した。晴嵐の考え方とは異なるソレは、先祖の世代、さらにその前、今を生きるまでの過去に、繋いできた先祖と血についての考え方だった。彼らが繋いだ生命の結果が、今を生きる生命に繋がる。ゆえに命は、自分一人の物ではない。どこか仰々しくなる言葉使いは、スーディアの中にいる『何か』の存在を晴嵐に知覚させた。
その感覚への合理的な説明は、難しい。
姿も、形も、何一つ唐突に変化した訳じゃない。もし初めてこの人物と相対したのなら、こちらを本性と思うだろう。人間なんだかんだで、第一印象に引きずられる生き物だ。今のスーディアの表情は……奇妙に達観した様子で、どこか遠くから『降りてきた』印象さえある。
ソイツはスーディアの口から、言葉を紡いでいく。
「誰かひとりが生き残れば、死んで散った者も……無意味ではなくなる。人は死しても、何かを成せば、いや『成そうとすれば』――その意思はほんの些細でも残る。ほんのかすかな名残でも、生きた誰かの胸に刻まれるなら――誰であろうと、どのような命であろうと、無意味ではない」
「――……お前」
「生まれて、死んで、生まれて、死ぬ。単調な繰り返しの中に、その場その場で生きる生命。悔いてなお残される者、志を果たせずして死んでいく者、次の世代へ託して死んでいく者、どこかで命が残る限り、生命の鎖は続く。
いずれ今を生きる命も……未来の誰かにとって、想像もできない過去になる。千年の月日が経とうとも、きっと変わらない。
我々の穢れた血も、いつか独立した命の鎖に――」
「――お前、誰だ?」
晴嵐は震えた。
スーディアは……あのスーディアは、こんな壮大で片っ苦しい話をする奴ではない。だから別人に見えるのだが……不思議なことに『完全な別人』とは思えなかった。
それが怖ろしい。と晴嵐は思った。
面影がないほどまったく別の表情で、彼が考えてもいないような事を語っているのに、スーディアが本心で話しているような、そんな妙な感触を覚える。今でさえ強く疑って、ようやく『違う』と認識できる状態だ。
一体全体、何が起こっているというのか。まるで質の悪い催眠術か、奇妙な魔法を使われたのだろうか?『疑うな』と上から命令されている感触がして、非常に気持ちが悪い。術に耐性があるのか、それとも目の前のコイツが下手なのかは知らないが、少なくとも晴嵐には、完全に術中にはまってはいないようだ。
スーディアの身に起きた現象。別人のような誰かが憑いているような現象に、背筋を震わせた晴嵐は肩を掴んだ。
「しっかりせんかスーディア! そんなポッと出の、訳の分からん何かに体を使わせるんじゃない!」
亡霊憑きなど冗談ではない。幽霊騒ぎは男の手元にある『写真の亡霊』で十分だ。寄りにもよって……この世界で一番気を許している相手を操作する誰かなんざ、ふざけるなだ。
スーディアの精神が消えてなくなった……とは考えたくない。いるはずだ。今すぐその体の主導権を持ち主に返しやがれと、ぎろりと睨みつけた目線は、終末を生き延びた老骨の眼光。喉に刃を当てるような……万人を凍てつかせる魔眼めいた威圧感を宿す。
けれど……ソイツは『スーディア本人と全く変わらない、気配さえ同一な感触で』晴嵐の肩に触れて、悟りや真理を説くようにささやいた。
「これは俺たちの、私たちオークの願い。作られた命が、真実の生命として始まるために……千年かけて、他の種族の母に許されながら――紡ぎ続けた願い。私と、俺と……いいや、オークすべてが魂の底で願う祈り。あと少し、あと少しでそこに手が届く」
「何を言っている……!?」
「我々は――この世界に望まれて生まれた命ではなかった。むしろ忌まわしい存在として生を持った。けれど世界に触れ、人に触れ、そして英雄たちに触れ……やっとここまで歩んでこれた。
どうか……どうかあなたは、自分の命を呪わないで欲しい。たとえ忌まわしい命であっても、未来に向けて歩き続ければ、世代を超え、今と向き合い、足を止めずに歩き続け、そうして少しずつ時を紡いでいけば……呪いさえ、祈りへと変えられる時代が来る」
言葉の意味は、今はさっぱり分からない。それが誰の言葉なのかも、晴嵐には判断しかねた。
その大仰な言い回しの中に、どこか……過去、スーディアが口にしていた言葉が、彼が表現しようとしていた意思がある。目の前で言葉を語るソイツは、体を乗っ取ったのとは違うのか?
スーディアより慈悲深く、彼のような……お人よしの優しさと、どこか遠くと繋がったソイツが、唐突に男の核心を突いた。
「私が思うに……あなたの苦しみの根源は『命を繋げなかった後悔』のように見える」
「……!」
「滅びた世界。滅んだ自種族。何千年、何万年と繋いできた生命の鎖が途絶える痛み……絶滅の苦痛は、おそらくあなたにしかわからない」
――何なのだ。こいつは。
突拍子もなく出てきて、なのに晴嵐の中に在った虚無の根源を言い当て、その挙句励ますような言葉まで……一体何様なのだ。
そんな反感を吐きたいのに、けれど体は動いてくれなかった。自分自身でさえ処理しきれなかった虚無にひびが入り、静かに心臓が鼓動するのを感じた。
最後まで生き足掻いた自分は、しかし誰にも『次』に繋げなかった。確かにその後悔はある。しかし心の底に何か、理屈を超えた反論が微かに浮かんだ。
一度目の死の間際、共に暮らしてきた命。完全な自分の一人遊びと思い込んでいた生命が、晴嵐との別れを惜しんだ瞬間が、確かにあった。
自分は、相手が人間でなくても――何かを次に繋げたのだろうか? 理屈を超えた問いかけと疑問。正体不明の何かと目を合わせ、もう一度何か語らおうとしたその時――
残酷な現実が、破裂音を響かせる。
千年前の悪魔たちの遺産が、日の落ちた聖歌公国軍の野営陣地近くで、何度も何度も、炸裂し始めた……




