願望の是非
前回のあらすじ
晴嵐は……自らの内側に広がっている、虚無の怪物を正面から見てしまった。
明確な目的を、生きる望みを、自分が自分である意味を失ったまま、彼は今まで生きていた。絶望に染まりながらも、自殺を選ばなかったのは『踏みにじった他者の命に対し、自殺しては申し訳が立たない』という、義務感と責務で生を繋いでいたのだ。
スーディアは悟った。人が良識として持っている『当たり前』や『正論』『常識』が、何もかも消え去った世界を彼は目の当たりにしてきたのだと。今更こんな言葉一つで消せるほど、彼の持つ『虚無』は浅くないのだと。
(どうして急に、セイランはこんなことを……?)
突然の変わりよう。唐突な自分語り。前話した時は、ここまで深い虚無を開け放しにしなかった。過去の話は聞いていたが、内側に抱えた物を吐き出しはしなかった。
恐らく、スーディアの『自由に生きて良い』『過去を引きずり過ぎるな』と投げかけた言葉が、逆に呼び水になってしまったのだろう。なんとなくだが、スーディアはそう直感した。
しかしそれでも、少しばかり疑問がある。彼の虚無は何故、以前話したタイミングでは、明かされなかったのだろうか?
(セイランなりに……空気を読んだのかもしれない)
この前再会し、色々と話した時は『スーディアの武人祭予選突破祝い』だった。そのタイミングで、こんな暗い自分語りは相応しくあるまい。
――あの時から少し時間も経過している。彼なりに思案を深める時間や、今回の戦争で感じる事もあったのだろう。
一つだけはっきり言える事は――セイランは、スーディアに何かを求めている。それは変化のきっかけか、言葉か、救済か……『何か』はわからない。ともかく変化を求めている。でなければ自分の内にしまった本音を、誰かに無防備に明かしはしない。
過去に救われた借りもある。あの森の中で、成り行きとはいえ手を貸してくれた。それは自分のためを優先した、彼の性格や思想、立場からの行動だとも分かっている。
けれど、それでも。
彼は、スーディアの現実を変える手伝いをしてくれた。
彼は、スーディアの言葉を聞き、自分を変えようと思索した。右も左も、すべてを把握したとはいえない世界で……せめて自分一人は生き残るために。
けど、その結果行き詰った。自分の心に巣食っていた『虚無の怪物』と対面する事になってしまった。恐らくセイラン本人も、深くは自覚していなかったのだろう。『自分が自分として生きる理由が無い』事に。ただ、生きなければならないと、責務だけで命を繋いでいた事に。
だから――彼は突然手にした自由に戸惑ってしまった。そして自由になった時、セイランは自由を持て余し、腐らせてしまう人種だと理解してしまった。願望を、希望を、目的を見失った彼の魂は、自分自身の目標を見失った迷子になってしまったのだ。
「セイラン……あなた本当は……『生きたくない』のですか?」
「……疲れた、とは思うよ」
そうして彷徨い歩くうちに、彼は無数の落とし穴を知る。
他人は、他人を出し抜こうとするのが当たり前。他人をどうでも良く思って当たり前。表向きの美徳より、人の持つ汚らわしさを信じるようになっていった。
「夢や希望を、持って生きてはいけないのですか?」
「んなモン、持っててたまるか。ウンザリなんじゃよ」
「何故?」
「夢? 希望? 成功者になりたい? ふざけるな。そんな願望を腹の中に飼ってみろ? 一体どれだけの、ルールに則ってマトモなフリした悪党が……キラキラとした疑似餌を垂らしていると思っておる?」
「……なんの話です?」
「願望を持てば、未来に希望を持てば、その欲求をエサに釣り上げられちまう。お前の欲望を満たしてやる。お前に夢を見させてやる。代償に……自分で考える頭と、与えられた時間を支払って。そして欲望の快楽に溺れた結果、ますます時間と脳みそを腐らせていく。最後は骨までしゃぶりつくされて……『お前の人生は、お前の意味は、悪党の養分だった』でお終いじゃよ」
それが、彼が希望を持つことをやめた理由か。それが、彼が強い願望を持つことをやめた理由か。スーディアは、深くため息を吐く事しかできない。
――恐らく彼は、他人がそうなる場面を見て来たのだろう。彼の言動の端々を見れば、彼が『悪党側』だった事も想像がつく。
「だから……わしは自分の希望を持つことをやめた。未来に夢を見る事をやめた。他人に食われないように生きるために。頭空っぽになって、何が悪いかもマトモに判断できず……自分以外の何かが悪いと、言い訳しながら死んでいくような生き様は、我慢ならなかった。そうやって人の欲と浅ましさを低く見て、自分の欲望を削ぎ落した結果がこれだ」
「………………」
綺麗に言えば『夢』
醜く語れば『欲望』
セイランが見たのはコインの裏側。そちらばかりに気を取られた結果『願望』を完全に失ってしまった。世界がままならないと知り、人の願望を利用する者を知り、自分が何をしたいかを失ってしまった。
そうして弱って迷った者を、騙す者がいる事を知ったセイランは……何にも期待する事が無くなった。彼の暮らした壊れた世界を生きるには、自衛のために他者を疑うのは必要な事だったのかもしれない。
しかし彼はやり過ぎた。
だから彼は忘れてしまった。
何を目的として、この世界で生きればよいのかを。彼が『歴史を探る』と言った活動に『らしくない』と思ったが……それはセイランが『心から望んで』あるいは『楽しんで』ユニゾティアの歴史を調査していなかったから……かもしれない。
けれど、それでも。
「――セイラン。俺はそれでも、あなたに死んで欲しくない。今は苦しくても……あなたの目線で、何もできなかったと思っていても……あなたのしてきた事、あなたの言葉、あなたの意思は俺の一部になっている。そこが欠ける事は……悲しい」
「……お主は何故生きれる。前も少し聞いたが、祖先云々の事はよくわからなかった。じゃがそれが何であれ、前向きに生きようと思える事は、わしには羨ましいと思える」
ここまで追い込まれながら、やっぱりセイランは素直じゃない。
『参考までに生きがいを聞かせてくれ』と、隠された彼の本音にスーディアは付き合った。




