燃え尽きた生命
前回のあらすじ
向こう側とこちら側について、比較してため息を吐く晴嵐。帰るべき場所を見失った彼は、その場所を探すべきと知りながら、胸の中にある虚無が邪魔をする……
祈った所で、誰も救ってはくれない。
行動した所で、現実は好転する事もない。
どれほど実力、実益を重ねた奴でも、ふとした拍子に現実が牙を剥く。不安は毎日胸の中にあるのに、希望は欠片程も見えやしない。もし、希望が目の前にチラついたとしても、それは誘いの釣り餌のようにも見えた。
少なくとも晴嵐は、そうした甘い希望やら願望やら、すべて虚無と言い切った。自らだけでなく、人類にさえ意味を見出さなかった。
生きることに苦しみしかない。
何のために生きているのか分からない。
自分には価値が無い。
あまねく虚無と絶望が、晴嵐の心に巣食っている。そんなクソッタレな状況の中でも、彼は生きる事だけはやめなかった。踏みにじった生命に、申し訳が立たないと言い張って。
けれど、今は違う。晴嵐の犯した罪と失敗を、糾弾する者はどこにもいない。スーディアは自由に生きて良いと言う。
しかし違う。違うのだ。
「スーディア……人間は自分からは逃げられんのだ」
信じていた当り前の足場が、常識が完全に砕け散る瞬間を知った者は、またいつか、同じことが起きるのではないかと気が気ではない。
それは『こちらの世界』でも、同じこと。
一見平和に見えていたとしても、こうやって戦争に身を投じている。
禁止された魔法だって、なんとか抜け道を見つけて出し抜こうとする。
人と人との激突は、生命として避けられぬ宿業なのだろう。それは不正か、あるいは進歩なのか。窮地に陥れば誰だって、なりふり構わぬようになる。何度も見て来た、生き残るためのやったもの勝ち。
――非難する気はない。その資格もない。晴嵐はやられた側でもあるし、やってきた側でもある。加害者でありながら、被害者面をする気はない。
「わしは……人がクソッタレになる場面を何度も見て来た。希望や夢を食い物にする人間がいる事を知っておる。そして騙される側の痴呆っぷりも……正直、飽き飽きしておる」
「人を騙す人間はいるでしょうけど……そういう人ばかりじゃない」
「……わしはな。どちらかと言えば『騙される側』が嫌いなんじゃよ」
「え?」
お人よしのスーディアには分かるまい。彼は人は好いが、愚か者やボンクラの類ではない。だからキツい言葉を吐いても、刺さらないと判断する。
「『騙される側が悪い』論調を、わしは好かん。そりゃ中には天才的な詐術もあるが、ほとんどの詐欺は自分で考える事を、やめた奴を狙ったモンじゃ。ちぃと用心深さがあれば、避けられるようなモンじゃよ
よく聞くような、手垢のついた定型文。楽して稼げるだの、まだこの方法を知らないだのとの、劣等感を煽るような文言。それにつられてホイホイと……地獄の窯に向かって、笑顔で飛び込んでいくのも阿呆なら、人を地獄に誘い込んで悦に浸るのも阿呆。
けどな……騙されんように常に用心して疑って、必死に考え続けるのは苦痛で……かといって何も考えずに突っ込む事も恐ろしい。わしはもう……『生きる』って事にうんざりしておったよ」
「人生に……絶望していたんですか?」
「疲れていた事は確かじゃ。希望を持ってもおらんかった。じゃが『何に』と言われると困るな。
祈った所で、誰も救ってくれない神様か。
クソッタレな人間の本性か。
努力を怠っていた自分の惨めさか。
あるいは――そうした所も全部ひっくるめた何もかもにか。原因が多すぎて、どれが一番の原因かわからん」
「じゃあなんで、セイランは生きていたんですか? これじゃあ生きる意味が……」
「んなモンわしには存在せんわ。人間に生きる意味なんざない。それでも死ななかったのは……義務感じゃな。散々人を殺して踏みにじっておいて、自分だけ生きるのが嫌になったから死ぬ? んなモン通るか」
晴嵐は、希望を持って生き延びていたのではない。好き好んで生きていたのではない。生命として、彼なりの道理として、責務として生存していたに過ぎない。
彼はこう続けた。
「生きたくもなかった。死ぬことは恐ろしさ半分、義務感半分じゃった。そんな具合に生き延びて……老いて死んだクソジジイじゃった。だがな、悔いは全くないとは言わんが、それでもあのまま死んで構わんかった」
「あなたに……未練は無かったと?」
「……全く無いとは言わんよ。じゃけど、満点な人生を送れる奴なんざおらん。大なり小なり不満はあるが、あのまま死んで二度と目を覚まさなくても、わしは構わなかった。それなのに……長い長い人生のマラソン終えて、ゴールテープ切ったと思ったら『もう一回』だ」
晴嵐は限界いっぱいまで、自らの命を使い切った。すべてに満足した訳ではないが『まぁこんなものか』と死に納得していた。
そんな燃え尽きた自分に『二回目』を与えた者は、いったい何を考えているんだろう? テティにも投げかけた質問を、晴嵐はスーディアにも投げかける。
「……見ての通りじゃよ。わしはもう、一度目の人生で燃え尽きちまった」
「もう一度、更生する事は難しいのですか?」
「……ここでいくらやり直そうが、それはこっちの世界を過去の代わりに見立てて、贖罪だの反省だのと称した自己満足でしかない。何かを今更愛そうと思っても……一度現実に裏切られた事が、どうしても頭にチラつく。
なぁスーディア……わしを若返らせてこの世界に送り込んだ奴は、何を考えておるのだと思う? わしにはどうも、人選をミスったとしか思えんのだが」
今もなお『死んだ後の続き』をやっている晴嵐。そこから抜け出すべきと、かつてスーディアは告げた。
真実だと思う。死ぬ前から『生きる目標を見失っていた』晴嵐は、未だにどこに向かえばよいのかわからない。偉そうに『緑の国』で若者に説教したが……その実、晴嵐も明日への指針を見失っていた。
歴史の真実を探る旅も……彼は過去の失態から、何もせず生きる事や、無関心の代償を思い知ったから。恐怖と反省から活動を続けているが、それは晴嵐が心からやりたい事ではない。ずっと『生きねばならぬ』『怠ける事を許さぬ』と、ただの義務感で生きている。
それは『生きるために生きている』状態にすぎない。晴嵐が『晴嵐でいる事』の意味を、一切排した状態で生きている。
――これではまるで、魂が抜けたまま生きているような物。
空虚を宿した晴嵐の瞳と
強い意思を持ち続ける、スーディアの瞳が交錯した。




