その少女
前回のあらすじ
脱出を図るテティと晴嵐。一方スーディアの決闘も終盤を迎えていた。長に弄ばれながらも、戦うことをやめないスーディア。がむしゃらに振るった剣が何らかの力を帯び『レイピアが大剣を切断する』という異常事態が発生。
憤懣を吐きながらも、目的を達したスーディアは……必要以上に嬲りはしない。群れに背を向け、彼と友人のラングレーは、群れの中から抜け出した。
一通り身体を動かしてから、少女は泉で肢体を拭いた。
囚われの身でなまった身体をほぐし、戦いの呼吸を“前世”から取り戻す。毎日鍛えてなじませた技術は、昔の自分をとっくに超えていた。
かつて暮らした世界と異なる箇所も多いが、基礎部分は腐ることが少ない。いま生きるこの世界『ユニゾティア』でも有用な格闘術だった。
(ありがとう。私の愛しい人)
愛する夫が護身用にと、授けてくれた技術だった。過保護だったかつての夫は、名前だけが思い出せない。彼を残して逝ってしまった事は、今でも申し訳なく感じていた。
穢れを落とし終えた少女は、一般的な防具を着込む。皮製鎧に『鎧の腕甲』、そして取り戻した愛用の武器を手に取った。いつでも歩き出せるように、樹木へ寄りかかりぼんやり視線を巡らせる。
救出者の男は『戻らなければ自分で村に行け』と言い残した。最低限の準備はさせてくれたが、心細さは胸に残る。もう少しだけ待ってから、少女は歩き出そうと決意した。
草がざわめく、森が揺れる。少女の身近に存在する森林は、いつもと違う表情を見せていた。『禁域』近くのグラドーの森は、生気に満ちながらも影が深い。ひんやりとした風は水蒸気を多く含み、森林の匂いも濃密だ。自然に覆われた森の中で耳を澄ますと、ふと調和を乱す音が聞こえる。
枯れ葉を踏む音、不規則に揺れる草葉。影と影の間で、おぼろげに結ばれる人の輪郭。武器を構え、警戒を顕わにする少女は……姿をはっきり視認すると、一つ息をついて緊張を解いた。救出者の男が事務的に言う。
「戻ったぞ。調子は?」
「まぁまぁね。あの二人は?」
男の顔を窺うと、不愛想な固い顔つきのまま答える。
「勝ちおったぞ。一応合図も送った。少しここで待つとしよう」
「嘘、勝ったの!? ならなんでそんな顔……あぁ、あなたにとっては敵だから?」
「いや……ちぃと妙な事があってな。わしもあ奴ら二人に、何が起きたか尋ねねばならん」
「それって?」
「……細身の剣で、鉄の塊を引き裂いたようでな。多分、あの時の光が関わっとると思うが……」
自信のない、疑念を含んだ言葉だった。洞窟から抜け出した時に見た光だろう。となれば彼も、決定的な瞬間は見ていない? 歯切れの悪い言い回しも当然か。逆に彼が問いかける。
「そういう性質の武器を知っておるか?」
少女は首を横に振った。
「現実には聞いたことないわ。おとぎ話や、作り話ならあったような……」
「事実は小説より奇なりと言うが……その可能性は?」
「わかんないけど……でも一般的なものじゃないわ」
「……当人に吐かせるか」
「乱暴はダメよ」
愛想無しに顔を背け、森側を注視する救出者。やがて彼が見つめる先から、二人のオークがやってくる。息を荒くし、精魂を賭けた戦いに勝利し……自分を救ってくれた彼が、少女の前で膝をついた。
「テティ……良かった。本当に良かった」
喉を震わせ、涙ぐむオークの青年。命を張った男に対し、少女――テティ・アルキエラは彼の肩に手を触れた。
「あなたも……よく生きて……」
湿った空気を嫌い、救出者が遠ざかろうとした。その彼にもう一人駆けよって、軽く背を叩く。
「何をする」
「いやいや、素直に喜ぼうぜ? アンタも完璧な仕事だった。信じた甲斐があったぜ」
「ふん……お主らも悪運が強い」
「ホントにな!」
「気安くするな。それともまたナイフを当てられたいか?」
「ちょっ!? 勘弁してくれ!」
慣れ合いを嫌うのか、ひたすら救出者は間を置きたがる。とことん冷たい男へと、スーディアが声をかけた。
「すぐに移動しましょう。まだ洞窟から距離を開けてません」
「……お主動けるのか?」
「本当は休みたいです。が、ここで止まったら動けなくなる。休息するにしても、群れから離れないと」
一度腰を下ろしてしまえば、再び動き出すには力がいる。辛くともここが踏ん張り時だと、彼には歩みを進める気概があった。感心したのか、じっと男はオークの若者を見つめている。水筒を取り出すと、スーディアの胸にぐっと押しつけた。
「補給はしておけ。あの様子ならすぐには追ってこない。歩きで十分じゃろう」
「そうですね……頂きます」
よほど渇いていたのか、勢いよく水を飲み干すスーディア。彼を尻目に救出者が視線を送り、移動を促す。少女はライフストーンを宙にかざした。
「こっちよ」
「あいよー」
もう一人のオークが気安い返事をする。彼もちらりと救出者に目くばせした。皮肉を含んだ顔つきで、ラングレーにも水筒を投げて渡す。軽い礼を言ってから、ラングレーも水を飲み始めた。
「くーっ! 仕事後の一杯はたまらんぜ」
「ちょっと、ただの水でしょ?」
「労働の後なら何だってウマイ! な、相棒?」
「勝手に相棒にするな……言ってる事はわかるがのぅ」
救出者の彼も水筒を取り出し、液体を口に含む。まだすべて終わっていないが、山場を越えた事は事実だ。目的を無事に達成した四人の間には、連帯感が生まれつつある。軽い調子でラングレーが聞いた。
「アンタの名前は?」
「……セイランと呼べ。職業は猟師。つい先日村に来た」
「えぇ!? つい先日って……じゃ何? テティとも初対面?」
少女が嫌味を交えて答えた。
「間違いないわ。こんな人なら絶対記憶に残るもの」
「こんなので悪かったの」
「あ、あはははは……あ、あのさセイラン。『お姫様』の話……アレは冗談だから。な? な?」
「ちょっとラングレー? アレを真に受けたの?」
テティはトーンを下げて、軽い調子の彼を睨みつける。うっかり漏らした少女も迂闊だが、あまり言いふらして欲しくない。まず信じないであろう内容だが……しかしセイランの目は剣呑だった。
「……冗談では困る」
「え?」
ぼそりと呟いた言葉は、少女の耳に妙に残った。刃のような鋭い瞳で見つめられた少女は、彼の眼差しの奥に……年老いた誰かの息遣いを聞く。
まさか――まさか彼も? そんな馬鹿なと囁く理性に反し、男の目つきは真剣そのもの。逆にこちらを見定めようと、テティを探る視線に思える。
どう答えたものか……少女は言い澱み、悩んだ。
簡単に明かせる事柄ではない。しかし近い苦悩を抱えているのなら、少女と同じように思い悩んでいるはずだ。助けられた借りもある。
折を見て話すべきと心に決め、オークの二人と別れてから明かそう。二人は悪い男ではないが……言いふらされても困る。特にラングレーは前科アリだ。
言葉を慎重に練り、セイランに答えようとしたその時。
オークの若者、スーディアがセイランに飛びかかった。
用語解説
テティ
過去『お姫様』として過ごした記憶を持つ少女。軍属なのは前世の夫に、戦闘技術を仕込んでもらったのが動機のようだ。詳しい過去は不明だが、今でも夫には感謝している模様。
『ユニゾティア』
『この世界』の名称。テティの前世の世界とも異なるらしい。
スーディア
オークの群れに反逆した、一人のオークの若者。決闘は、彼の生存の見込みが低い賭けだった。彼が剣を取った理由は、テティを救うためらしい。無事を目の当たりにし、感極まってしまった模様
ラングレー
スーディアの友人。晴嵐がナイフで脅したオークでもある。すっかり水に流して、今は気さくな軽口を叩く。




