思考を鈍らせる感情
前回のあらすじ
敵のエルフ達の憎しみを受け止めるように……前線に躍り出るオーク、スーディア・イクス。怒りと憎しみを受け止めながら、じっと粘り強く戦い、敵の目を引き付ける。後方の隊が持ち直したところで交代。改めてエルフの憎悪を認知したスーディアは、疲れた体を休ませた。
「おい中央! 突出しているぞ! このままでは支援が出来ない! 後退しろ!!」
緑の国軍本陣――主戦場から距離を置いた陣地内で、立体旗からの情報を軍師達が統合していた。
映像での情報共有は出来ない。しかし立体旗を通した通信や、各部隊の会話内容はすべて本部の立体旗にも流れてくる。一歩引いた視点で戦場を聞く彼らは、必死に中央部隊に警告を飛ばしていた。
だが、中央からまともな応答がない。実地の異様な熱気――あるいは狂気に包まれている状態は、本陣からは確認しにくい。聞こえてくるのは怨み節と戦闘の喧騒ばかりで、本陣の軍師達は苛立たしく叫んだ。
「旗持が冷静さを失ってどうする! 状況報告を――」
『殺せ! 殺せ! オーク共だ……! 生かして帰すな!』
「馬鹿者! 全体と足並みを揃えろ! 無闇な損耗は……ダメだ、まるで聞いちゃいない……! あの隊を率いている阿呆は誰だ!?」
「フラクタル将軍です。ラーク議員推薦派閥の」
「政治屋共が……おままごとを戦場に持ち込みやがって……」
ガン! と軍師の一人がテーブルを殴りつけた。
ラーク議員は、オークへの憎しみが根強い。そして同じ思いを抱く世代や派閥からの支持もある。恐らくは自民族至上主義――いやこの場合、オークへの憎悪が強い人物を、将として派遣していたのだろう。それはまぁ、よくある事だし別にいい。
個人の思想に、全くの問題がない方が珍しい。誰しも完璧でない以上、多少の欠点には目をつむろう。政治屋の意向で、何人かの将が配属されるのも仕方ない。
が、それはそれとして……私情を戦場に持ち込むのような人物は最悪だ。部隊単位で命を預かっている将が理性を失ってどうする。個人が憎悪の手綱を握れなかった結果、振り回されて死ぬ兵の命を何とする?
(お前一人の感情のせいで……軍全体が揺らぐのだぞ……!?)
会った事もない、怨みに取りつかれた阿呆の顔を思い浮かべると腸が煮えくり返る。本音を言えば今すぐブチ転がしたい気分だが、今こちらまで理性を失う訳にはいかなかった。
ここで損耗すれば、危険は中央のみにとどまらない。一度戦力差が出来れば、相手側の攻め手は止まらないだろう。それは他の隊の兵員への負荷となり、じりじりと後退を余儀なくされ、結果初戦で大勢が決してしまう――
「……仕方ない。おい旗持、敵勢力に突撃をかけろ。好きなだけオークを殺してこい」
『了解!!』
「…………」
自分に都合のいい事は聞こえるらしい。もう一度悪態を吐いた本部の軍師は、同僚と顔を合わせて今後の協議に入った。
「……あの隊には痛い目を見てもらう。運良く……いや、運悪くフラクタル将軍が死ぬかどうかで、手を変えなければ」
「いえ、どちらにしても失態を犯した将軍殿には、後方に下がっていただきましょう。中央の旗持が倒れた後は、両翼にいる『蜃気楼』使いに支援させます」
「それで追撃を防げるか?」
相手は亜竜種を要する聖歌公国だ。一部が崩れた好機に食らいついてくる可能性は高い。他の軍師も唸りながら、本部の外側に目線を移しつつ言った。
「溶岩投石器も投入します。立体旗の効果が切れても戦う馬鹿の事など知りません。通信が途切れている以上、やむなしです。全力を投入したとなれば、政治屋共も文句は言えないでしょう」
「……本当は、このタイミングで切りたくなかったが」
「中央軍が完全に壊走するよりマシです。多少は冷静に判断できる者なら、旗持が潰された時点で撤退を選択できる筈。その程度の判断も出来ないのなら、兵としても使えません」
「……既にこちらの統制も無視しているからな」
軍隊において、スタンドプレーは厳禁である。
中央の指示を無視しての行動は、軍全体への不利益に繋がってしまう。多数の人の群れを、一つの肉体のように連動させられなければ、一体何のための集団、何のための軍隊なのか分からない。
今回の問題は……指示を聞かぬ兵もそうなら、兵を引き締める将にも問題がある。
――少し前のゴタゴタで、議員の一人『レリー・バキスタギス』が死亡する事件が起きた。絶対に空白にならないであろう椅子が、何の偶然か空いた。空いてしまった。
レリーは千年前の戦争の経験者で、軍閥に余計な圧力や将を送り込む事は無かった。異動があるにしても『軍としての』都合を優先していた。
ところが、その人物が亡くなった事で、他の政治屋が割り込んできたのだ。これが厄介なもので……不慣れなソイツは、空いていた将軍職に身内を配置したのである。
平和な時の軍属は、政治屋には名誉職のように見えるらしい。おかげさまで現場は苦労する羽目になった訳だ。暗い感情を溢れさせながら、不意にぐにゃりと笑みを見せて、軍師の一人が声を出す。
「例の部隊――いや『不幸な横槍』の準備を進めさせろ。次戦で仕掛ける」
「まだ早いのでは? それにアレは、下手をすれば他の国から政治的に圧力を――」
反論の最中に、その軍師が嗤った意味を悟った。
――『アレ』は運用すれば、政治的に詰められる事柄に繋がりかねない。国際上禁止された魔法を用いた『アレ』は、戦時に有用な立体旗の効果を、極端に先鋭化させたモノ。
ただ『効果があり過ぎて』問題になった。故に国家間同士での戦争では禁止された技術の一つである。一応、不幸な横槍の形をとっているが、絶対に後々追及されるだろう。
これでいいのか、と一瞬よぎった反論は感情に飲み込まれた。先に向こうがこちらに負担をかけたのだ。やり返しても文句は言わせない。
現場にいる者同士で、無言ですべての面々が共犯者になる。そのためにも一度、突出した中央部隊を躾けつつ撤退させなければ。
複雑に絡み合う感情。何割か理性を蝕まれつつあるが、緑の国所属の軍師達は、勝算は捨てていなかった。




