城壁の抜け道
前回のあらすじ
傭兵……と言うより雑用係として登録した晴嵐の仕事は、違法に国を脱出する人間の取り締まりだった。同僚の亜竜種と駄弁りつつ、彼らは城壁都市レジスの事を思い浮かべる……
「へへっ、そんじゃこっちについて来な。ここは俺たちの縄張りだけど、念のため周りに気を付けておけよ」
「と言われても、この体ですと……」
「……こっちも危ない橋渡ってるんだ。慎重に素早く頼む。ま、簡単には見捨てないよ。たんまり貰うもの貰ってるし」
緑の国、城壁都市レジスの暗黒街で……路地裏で密やかに会話する影がある。日中でも光の差さないこの場所は、日頃から饐えた臭いが漂う。緑の国内部もやれ戦争だと息巻いている中、ドブネズミたちは商売に励んでいた。
今回のお客様は、陸上生活に不便のあるお方。正規の方法で出国を断られ、このままでは確実に巻き込まれ『聖歌公国』の奥地、海側へ帰る事が不可能になってしまう。
「こんな事になるなら、来るんじゃなかった」
「人魚族の体じゃ不便だよなぁ……なんでこんな陸地に?」
「緑の国の奥側に、森と湖が混在している地域があるのです。そちらに暮らす友人と会いに来た結果がコレで」
「ご愁傷様」
「気持ちが入ってないです」
「返事があるだけありがたいだろ?」
控えめに言って態度はクソガキ。ついでに言えば年相応の可愛げもない。代わりに染み付いているのは、裏の住人特有の物騒な物腰。どう見ても幼い子供なのに、大人の『人魚族』相手に全く物怖じしない。悲しい顔で見上げた男性は、石の積まれた通路の上を、イルカのような下半身で滑っていた。
ここ『城壁都市レジス』は内陸だが、緑の国はさらに奥地に広がっている。レジス大森林のその先に、人魚族とエルフが混在して暮らす地域があり、そちらに用があったのだろう。
「はぁ……せっかく陸路を使ってきたのに」
「川を通るルートなんてあるのか?」
「一応は……泳ぎっぱなしで疲れます」
「そっちになら見張りがいないんじゃないの?」
「普通にいます。即バレですよ」
「ふぅん」
灰色の尾ひれのついた下半身を迷わせ、上半身をがっくりと落とす。着衣は他の種族に見られない、光沢のある特殊な繊維の衣服で編まれている。エナメル質の黒スーツに、青色のラインが美しい。しっかりとした生地なのに、人魚族の男性の筋肉は、服越しにも強調されていた。
だがドブネズミの少年にはどうでも良い事。大事なのは相手の種族や事情ではなく、これから法を犯して脱出の手引きをするという事……
「一応もう一度釘を刺しておくぜ? ここで見た事は他言不要。アンタも俺たちも危なくなる。これっきりにして、すっぱり忘れちまうのが一番いい」
「……分かっています」
「それと、外に出た後の事は保証外。上手い事ゴーレム車拾うなり、どっかの商隊に乗り上げるなり……自前で何とかしてくれ」
「大丈夫、用意があります……内容は聞かないで下さい」
「詮索不要はお互い様さ」
お互いに相手の事情に興味を持たない、考えない。必要なのは行動と結果。既に処世術を身に着けている餓鬼に、人魚族は動きを止めそうになる。
でも他に、この『緑の国』から抜け出す方法はない。今はアウトローの子供に……小さくもどこかたくましい少年に、未来の一部を委ねるしかなかった。
薄汚れた少年が、何の変哲もない行き止まりに案内すると、人魚族の男は呆然と立ち尽くした。……まさか騙されたのだろうか? 衣服の下に嫌な汗を流すが、少年は壁に静かに手を添えた。
壁の一部を押し込むと、軽い音と共に城壁の一部がパズルのように開いていく。驚く人魚族の男性に、ヒューマンの少年が顎で示した。
「壁の中に入ってくれ。足元の材質が違うから、人魚族だと違和感あるかもな」
「自分で調整します。大丈夫」
壁の中に入る手前で、人魚族は自分の下半身を見つめる。スーツが仄かに発光し、イルカの下半身に魔法の膜が張られる。人魚族が陸上を移動する時は、下半身を魔法で作った潤滑膜を使い、滑るように移動する。材質の違いに警戒し、膜の性質を変えたらしい。少年は人魚族のペースに合わせ、慎重に先導した。
「このまま壁の中を通って緑の国から出れる。周りは暗い森だ。出たら壁に沿って左側に移動すれば、正規の入口に出る。近場に行けばすぐわかるだろう」
「わかりました……こんな道があるなんて……」
「繰り返すが、口外するなよ?」
「……はい」
……この裏路地の少年は、他の人間の逃亡も助けているのだろう。自分も違法な手段を使っていると、人魚族の男にも自覚がある。彼は素直にここを忘れ、戦争寸前のこの国を脱出した。
***
「……よし。これでいいか? テグラット」
「うん」
陰で見守っていた獣人少女、かつてこの裏路地で暮らしていた少女が顔を出した。静かに見つめるその姿は、ここ数か月で表情を大きく変えている。すっかり大人びてしまった彼女の恰好は、昔より小綺麗になっていた。
「ムンクスは最近どうよ?」
「相変わらずだけど……今は戦争前で忙しいよ」
「俺たちを使って、人を脱出させるのもか?」
「うん」
城壁都市レジスには、隠し通路が大量に存在している。
過去の戦争で多大な被害を受け、その反動で城壁都市をエルフの人々は作り上げた。大量の隠し通路や空間も、非常時用に建造されたものだ。
ただ、そのほとんどはデットスペースと化し、暗黒街の形成を手伝っている節がある。そして貧民街の住人は、隠し通路の構成を完璧に把握していた。
どこにも抜け道のなさそうな城壁都市の、秘密の通路。そのいくつかは『城壁の外と内を行き来できるルートも存在している』――裏の住人にとって今回の動乱は、一つのビジネスとして成立していた。
中には悪質なやり口もあるが……少年はテグラットから、そしてテグラットの背後にいる人物から信用を得ていた。今回の脱出の手引きは、言動も見た目の少年にしか見えない、ある重鎮の差し金だ。
「ムンクス君が信用できるの、あなたぐらいだから……ごめんね?」
「ふん。信用なんかしてねぇよ。ただ……この前助けられた借りを返してないだけだ」
「あいかわらずだなぁ……おじさんみたい」
「あのおっさんにも借りを返してねぇや」
ドブネズミ根性丸出しの会話は、ここで暮らした者特有の物。二人は一瞬だけ関わった旅人の顔を思い浮かべる。
「おじさんは……多分平気だよね」
「そういう奴に限って、案外ぽっくり死ぬんだよなぁ」
「私たちも人事じゃない。上手い事生き残ろうね」
「いつも通りってこった」
饐えた臭いの路地裏で、たくましく生きる子供達。
一方……ホラーソン村で暮らすエルフの子供たちは、決断と苦難の時を迎えていた。
用語解説
城壁都市レジス内の隠し通路
複雑な城壁都市。一見アリの子一匹通れないように思えるが、隠し通路の中には外部への脱出口が存在している。今はほとんど忘れ去られ、暗黒街の住人が違法な出国を手引きするために使われていた。
ただ、中には政府関係者が裏で糸を引いているケースもある。……心が子供な吸血種のとある人物に、恐らく裏の意図はないのだろう。
人魚族
下半身がイルカ系の、海洋哺乳類系の形状をしている種族。上半身はエナメル質のスーツで身を覆っている。陸上生活は不向きで不便だが、魔法で下半身に膜を張る事で、滑るように移動できる。それでも水中を好むようで、滅多な事では内陸に現れる事は無い。




