目的を求めない
前回のあらすじ
スーディアと晴嵐が酒場で飲むころ、話題に上がった共通の知人、オークのラングレーは働いていた。輝金属を運ぶ商隊の護衛として雇われ、野宿の準備に入る。ついでに商人の兄ちゃんとも親し気に声をかけ、次は亜竜自治区に入ると予定を告げた。
木製の床の宿屋で、晴嵐はだるそうに体を起こした。
あの後、長いことスーディアと会話を楽しんでいた。目的のない雑談は久々で、所々上手く喋れなかったが……対面の彼は気にせず声を掛け続けてくれたと思う。
こちらに来てからも、ほとんどが情報収集とか、最低限のマナーとか、周辺になじむためとか……ともかく必要に駆られて、会話を重ねる事が多かった。スーディアの言葉を借りるなら『しなければならないから』人と話していたと思う。例外はドブネズミ仲間ぐらいだろう。
何気ない雑談。気の抜ける間柄の関係。
滅びる世界で失われた……もしかしたら、世界が終わる前も貴重な物になっていたかもしれない。信用のおける誰かと肩の力を抜いた交流は、本当に久々で……正直、とても楽しかった。
ただ、代償は翌日支払うことになってしまった。慣れない事は何であれ、翌日に疲労として現れる。酒はグビグビ呑むわ、ダラダラ軽食を胃袋に詰め込んだのも良くなかった。目を覚まして窓を見ると、既に太陽は高く昇り、この世界の日常が健全に活動していた。
(はっはっは……寝坊も久しぶりじゃのぅ……)
無駄な時間も、無駄な睡眠も、無駄な休息も……本当に久々だった。
いつ何時、突然日常が壊れる経験した晴嵐は『必要な事』『合理的な行動』以外を、避ける傾向が出来ていた。
暢気にのほほんと生きていては、いざという時に役に立たない。生きるために、死なない為に身を削ったけれど、スーディアの指摘で一つ気が付いたことがある。
生き残る為に研ぎ澄ました精神は、ただ生きる事を優先しすぎて……晴嵐本人から個性を、個人を、削っていった。
――ほとんどの人間が絶滅しても、自分一人生き残れたのだから、この技能はある種の個性と呼べるかもしれない。けれど……晴嵐の中に残ったのは虚しさだった。
自分一人生き延びても、何も生きる甲斐がなかったから。
周辺から人間が消えても、晴嵐の活動は変わらない。念のため罠を作り、警戒しながら食料と物資を漁る。活動する人型を見なくなったと悟り、彼はその内自由である事に気が付いた。
誰も存在しないのだから、何をしても咎められる事はない。
守るべき秩序やシステムはとうに破壊され、他者に気を遣う事もない。人様の元住居に土足で上がり込もうが、道端の物を壊してまわろうが、晴嵐を縛るものは何もなかった。
けれどその自由は、孤独な一人遊びと何が違うのだろう?
誰も何も反応しない。予想外な事も特に起こらない。自分一人の行動だけが、朽ちた世界をわずかに変化させるだけ。
何も与えられる事もなく。
何も発展する事もない。
それは朽ちかけてボロボロの機械が、無理にキリキリと軋む音を立てて……部品を壊しながら動くような動作。
生きる事の意味を、自分自身であることの意味を考えた事は無かった。
(いや……違うな。考えたくなんざ、無かったんだ)
意味のない自分。生きる価値のない自分。その真実から目を背けたかった。世界を変えられず、ただ寿命が尽きる事を待つしかない、誰とも心を通わせられない、孤独な暮らし。
その生命に意味を見出す? その人生に意味を見出す? どうやって?
どれだけ泣き喚き叫んでも、答える人間はいない。
真実、孤独ほど精神を蝕む毒は無いだろう。
(何か正解だったのか……そもそも、正解が存在したのかもわからんが……)
すべき事、やるべき事、為すべき事から目を背け、楽に生きようとして脳みそを腐らせる事も
逆に義務感のみで生きて、自らのしたい事を封じ込めてしまう事も……どっちに偏っても、人としては不健康なのだろう。
今更生きる理由を探すのは、酷く骨が折れる事だが……自らの意思を強く持ち、現実の行動として反復して、体や意識に染み込ませなければならない。容易に習慣は変えられないが、最初から諦めていたら、永遠に変わらないままだ。
何をしようか大雑把に決め、晴嵐は最低限身なりを整える。表情筋をぎこちなく動かし、彼は宿屋の戸を開く。
(今日は――特に用も決めず、目的無くうろついてみるかのぅ)
思えば――この異世界、ユニゾティアに来てから
ずっと何かを目指して、目的をもって動き続けていた。
それは悪ではないのだろうけど……常に何かの成果、何か良い結果だけを求めて活動していた。結果至上主義とでも言えばいいのか……無価値な事を遠ざける節が見られる。
(スーディアと話して感じたが……この結果のみ求める癖は、改めた方が良いのかもしれん)
ずっとそうだった。多分、世界が崩壊する前から。
何かにつけて数字で表現し、そうして生じた結果のみが正義となる世界。過程や工程を顧みる事を忘れ、まるで舞台装置かのように他人を扱う。
一人一人が、相手も生きているのだと、意思や感情を持っている事を、忘れてしまった。どれだけ努力し、熟考を巡らせようとも……何かしら上位の存在に至れなければ、まるでゴミクズの如く罵倒する。それは事実の一部だろうけど……数値と結果だけで判定するなら、審判者は機械で良い。感情の酌量があってこそ……人同士の世界を、時に厳しく辛い人生を、慰める物となるのだろう。晴嵐に対し、スーディアがそうしたように。
(……向き合ってみるか。わしの望み、わしの感情、わしの……生き甲斐って奴を探しに)
すっと広がる青空を見上げ、しばらくその青さに見入る晴嵐。
それはきっと、意味のない時間だったけれど
意味を持たない事に、意味があった。




