罪の在処
前回のあらすじ
セイランは自らの過去を語り、その経験から来る信条を示した。
派手な流言に惑わされるのではなく、まずは自分の頭で考えて現実を噛み砕くこと。それを多くの人間が怠ったから、セイランの世界は滅びたのだと。
自らの思考を止める事を拒む彼に対し、スーディアはそれでも言葉を紡いだ。
セイランの過去は、想像していた物よりずっと重い。
脛に傷を持つ人間の気配、世捨て人の空気は察知していたが……別の世界とか、崩壊した文明とか、いきなりブチ込まれた内容に頭が割れそうだった。
それでも疑う気が起きないのは、彼の持つ廃れた空気が度を越している……だけではない。内容が、話せる相手が絞られている点だろう。
この世界でセイランが素性を明かせるのは……特殊な直感持ちの自分か、別世界を真実として知っている人間だけ。例えば生まれ変わりの経験がある、テティ・アルキエラのような特殊な事情がなければ、信用さえされない話だ。
全てわかったとは思えない。けれど、スーディアを信じた上で語ったであろう老人を、彼は無下にしたくなかった。
「あなたは……あなたのいた世界が、壊れた事を悔いていて……その一因は自分にもあると」
「そうだ」
「その時の失敗から……自分で思考する事を止めたくない。物事に対し、常に真剣でありたいと」
「そうだ」
迷いのない声。強い信念と経験が籠った声に、次に紡ぐ言葉が重くなる。それでも、未だに不要な自虐を続けるセイランを見ていられず、彼はこの世界の住人として声を掛け続けた。
「……一つ言わせて下さい、セイラン。あなたが……あなたがどれだけ悔いても、もう……取り戻せるものは、無いと思います」
「んなことは百も承知じゃよ。あの世界に戻る方法もさっぱりじゃし……戻ったところで、もう全部手遅れと知っておる」
「責める意味じゃないです。ただ……不毛だとも感じたんです。あなたの今の生き方は」
不愉快と眉を上げる彼。肌艶の良い顔が皺で歪み、老骨特有の凄みが作られる。下手な殺気より恐ろしい表情を見て、スーディアは……彼が酷く哀しい男と思えてならなかった。
「セイランから出てくるのは『しなれけばならない』って感触の……そう、自分の意思や感情を無理やり抑えているような……固い言葉ばかりですよ」
「それの何が悪い。自前の欲望ばかり優先する阿呆よりマシだ。どいつもこいつも、自制も自戒も忘れて……それで以前の世界は壊れた」
「『ユニゾティア』はそうじゃない」
返す刃のような、相手の胸に踏みこむ気概でスーディアが遮った。ぴたりと一瞬、呼吸を止めるセイラン。瞳の中の重圧と澱が増し、まるで世界を呪うかのような……憎しみと悔恨に淀んだ眼で睨んで来る。
スーディアにはそれが、涙が枯れ果てた哀しい瞳に見えた。
「この世界は……あなたが暮らしていた世界じゃない。あなたの世界の人類が、壊す要因を作った世界じゃない。だから……あなたは罪を背負ったと言っていますけど、もう……その罪を裁く人間も、あなた恨んでる人間も、この世界で生きていないじゃないですか」
「だから開き直っていいと? そしてまた繰り返せとでも?」
「そうは言いません。裁かれないから、咎める者がいないから、傍若無人に振舞っていいなんて理屈はない。でも自分の感情を殺していたら……なんで今自分が生きてるか、わからなくなりませんか?」
セイランの表情に変化はない。なんの琴線にも触れてないのか、それとも動揺を隠しているのか。彼の反応は小さな一言だけ。
「お前さんにはわかるのか? 自分が今生きてる理由が」
「……俺も良くはわかりません。でもあなたに再会できて、一緒に飯を食おうって顔出してくれて……俺、嬉しかったんですよ。
話す内容はちょっと重くなりましたけど、でも……あなたにまた会えて、知った顔にまた会えて……良かったって、思えたんです。些細な事かもしれないけど、あなたにはあなたの考えがあったかもしれないですけど、でも……ちょっとした良い事を、良かったって思える事を……生きがいにしてはダメですか?」
目をそらさずに、一口に考えを伝えた。
セイランは口惜しそうに、あるいは悔しそうに唇を曲げている。
「……そんな時代もあったさ。わしの世界にも」
「もう一度言います。ここはユニゾティアです。あなたの暮らしていた世界じゃない」
文明や文化、発展度合いが違っていたとしても、世界で生きて、自分の思考を持って活動しているのなら……きっと自分たちは変わらないはずだ。少なくとも今、目の前にいる男とは話が通じていると思う。だから……彼に通じる事を願って、スーディアは言葉を発し続ける。
「……あなたの苦しみや後悔を、すべて忘れろなんて言いません。過ちを悔いている事も、理解したつもりです」
失敗から目を背けて、同じ過ちを繰り返す人間よりは良い。セイランの考え方、信念の持ち方は、決して悪い性質ではないと思う。でも……
「でもあなたは……あなたの世界に、心が囚われたままに見えるんです。罪を犯したとか、許されないとか……それは今のあなたの経歴じゃない。あなたが過去の……俺から見た異世界の罪を背負っても、誰も見向きはしないし、信じる事もないでしょう」
「……なら、わしは永遠に許される事はあるまい」
「そうじゃない。俺が言いたいのは……その許す許さないを決めているのはセイラン、あなた自身の心なんです。だってユニゾティアの住人は、あなたの罪を知らないし、被害も受けてない。セイランの過去を裁くとしたら、セイランの世界の住人だ。
でもあなたは、自罰意識が強すぎる。『反省しなければならない』『過ちを正さなければならない』って……ずっと自虐を続けている。俺は……あなたは、やり過ぎだと感じるんです」
彼の過去の罪は、彼の世界で犯したもの。この世界で犯したものとは違う。
セイランは自分を、しきりに罪人と呼ぶけれど……それはもう、ユニゾティアで償えるものではないのだ。
不器用な言葉で伝えた、スーディアの意思は
確かにセイランに届いたのか、指先が細かく震えていた。




