衝動
前回のあらすじ
シエラが晴嵐に話したのは、村を襲撃したオーク達への偵察依頼だった。時折カマをかけつつ、状況や内容を確かめる晴嵐。マーキング用の道具「共鳴石」を受け取り、晴嵐は非公式の依頼を受けることに。
協力とは言ったが、さほど大げさな事ではない。最低限シエラ個人は信用しても良いと考えた晴嵐は、必要な道具の購入を、彼女名義で行うことにしたのだ。
「どうしてまた面倒な……」
「お主らのためじゃド阿呆。軍としてはわしの行動を認知せんのじゃろ? じゃったら痕跡は残せんわい。シエラ名義で購入すればバレる危険も少ないし、大した問題にもならん」
「あー……悪いなセイラン。私から提案すべきだった」
中規模以上の組織とのやりとりは久々だったが、用心深い気質と以前の経験が生きた。逆にシエラは慣れていないのか、ばつが悪そうだ。
隙だらけな彼女を尻目に、用紙へ欲しい道具を書き込み、彼女へ手渡す。
「こんなもんじゃな。用意できそうか?」
「ん……ポーションの項目が妙だな。『最大五つまで、相場より高ければ個数を減らして』?」
「怪我人も出とるんじゃろ? 値段がつり上がっておったら、五個も買わんでいい。まぁないと思うが、安かったら最大五つまで頼む。そういう意味合いじゃ」
「そうだな……ここに来る途中でも話したが、今来ているのは、がめついやり方をしない商人だ。ただ……私達への供給も考えると、2~3個の融通が限度だろう」
一つでも手に入れば十分だと、晴嵐は考える。未知の道具とはいえ、ポーションの有用性は一度目にしているからだ。シエラが使った品は上物なことをほのめかしていたので、あれほど劇的ではないだろうが……何はともあれ、実物があれば自前で試せる。
シエラに尋ねることも考えたが、広く流通しているであろう物品では危険だ。文字を記録できる石ころへの反応も、アレックス軍団長に不審な目つきで睨まれた。これ以上、物を知らないと公表するのは危険と判断し、自分で使い勝手を試すことにする。
「出立の予定は……日のある内にしたい。調達は間に合うか?」
「間に合わせるよ。必ず」
「……ふん」
不機嫌な彼の本音を、兵士長は受け流して胸を逸らす。軽く視線を合わせてから、彼女は廃品保管室を去ろうとした。慌てて晴嵐は呼び止める。
「待て……もう一つ決めておきたい」
「何かな?」
「わしが使う予定のこの毛皮……出てる間、預かっておいてくれ」
唯一手元に残した狼の毛皮は、外套に加工する予定で残してある。シエラに渡した買い物リストの中には、下処理用の薬品や道具も含まれている。
「ある程度自前で処理しておく。どこまで手順を終わらせたかも書いておく。それで……もしわしが帰って来なければ、お主がソレも売ると良い。分かる奴にな」
「セイラン君……?」
不穏な言葉に、唇の端が震える女。甘い想定の彼女へ、首を横に振りつつ告げる。
「なぁシエラ。どうしてお前は、物事が上手く行く前提で話を進める? 敵に見つかってわしが殺される危険も、仕事ほっぽり投げて逃げ出すことも考えんのか?」
「……考えたくない」
「だからと言って、全く想定しないのは愚かじゃろ。はっきり言うがわしの扱いは、あの軍団長の判断が妥当と思う。余所者のわしから見てもな」
「……そうかもしれない。けれど私は、今の私の在り方を変えたくない」
「…………そうか」
「君は……どんな生を送って来たのかは知らない。けれどセイラン、たまには棘を抜いたらどうだ? 仕事が終わった後……この村で腰を据えて、考えてみて欲しい」
一瞬、殺気めいた衝動が暴れ、危うく晴嵐はそれを抑えた。睨む彼を悲しげな瞳で一瞥し、シエラは彼に背を向けて遠ざかる。
誰もいなくなってから、老人だった彼が大きく、肺に溜まった空気を吐きだした。
――晴嵐は、あの女が苦手だ。
あんな無防備な言動を見ていると、ついその背中にナイフを突き立てたくなる。最初こそ、獲物を見つけた狩人の本能と錯覚していたが……短いながらもやり取りを交わすうちに、原因は己の中に溜め込んだ澱みだと、否応なしに自覚させられた。
あんな温い意識のまま、生存することが許される世界。あんな甘い精神のまま、人と共に生きていける人間を見て、晴嵐は腹が立った。
否。そんな生易しいものじゃない。先ほどのはほとんど殺意、あるいは憎悪にも似ている衝動だった。別段恨みを抱く覚えもないのに、何故?
自問はすぐに解決した。自分にその生き方は許されなかったからだ。
生きるために元同族を殺し、敵対的な同族も罠に嵌め、他者との接触の際は常に気を張り、貶められぬよう警戒するのが当たり前。どれだけ気を払っても、運の悪さであっさり死に、どれほど運が良かったとしても、危うい順風満帆に増長した挙句、文明復興の蜃気楼に踊らされれば死ぬしかない。
晴嵐に選択肢など無かった。やりたくなど無かった。それでも生きていくためには、修羅道を進むしかなかった。なのに……眼前に平穏に暮らしている人間がいる。捨てたはずの、捨てるしかなかった生活が、目の前に広がっている。自分には許されなかった生活を、何食わぬ顔で続けている人々がいる。それが無性に我慢ならない。
(つまりは嫉妬しておるのか。なんとみっともない)
恵まれた生活を、どうやら妬いているらしい。全く無駄で意味のないことだと言い聞かせ、荒れる内心をどうにか抑え込むため、言い訳の代わりに、ずっと昔の事を思い出す。
――かつては晴嵐も……いや、現代で暮らす人間もこうだった。と。
物に溢れ、人に溢れ、清潔な寝床と安心できる住居。生まれた時からそこにある文明の恩寵は、決して当たり前ではなかった。先人の積み重ねた努力が、現代を形作っていたのだ。
胡坐をかいていることにさえ、誰も気が付けない。常にあると思い込んでいた世界が――壊れて崩れ去るその時まで……
もう一度、晴嵐は大きく息を吐いた。嫉妬は収まったが、苛立ちは増すばかりだった。
余計な事を考えている自分に、多少の状況把握で意識を緩め、油断している自分自身に無性に腹が立った。




