解放された者
前回のあらすじ
テグラットと再会した晴嵐は、彼女から危うさを感じ取った。
慣れない環境に揉まれて……などど生易しい話ではない。裏に浸かった彼女の感性は、日の当たる世界に拒否反応を引き起こしていた。
自分の情を引き合いに出し、何とか彼女にヤケを起こすなと伝える。そっと少女に背を向けて、二人は別れた。
レリー・バキスタギス暗殺の報は、既に民間にも下っていた。合わせて、彼が影で何をしていたのかも。
超有名人のスキャンダルに、井戸端よろしく盛り上がり、ポート周辺には人だかりが出来ていた。
ポート……遠隔でメッセージを送りあい、ライフストーンが指し示す黄色水晶の要石。そこに緑の石ころを持った人々がごった返している。
――政府関係者が民衆に情報を下す際、ポートが使われることがある。
メッセージを送りあう機能を持つポートだが、国か村か、ともかく地域の住人に通知を行う際「地域のポート」に情報を仕込む。後は誰かが触れれば、自動的に通達が緑の石、ライフストーンに表示される仕組みだ。ポートとライフストーンは、掲示板の役割も担っている。
老若男女問わずごちゃまぜになる中……エルフの若者の一人、カーチスは一歩引いていた。隣に立つ同年代の女エルフに気を使って。
「ちょっと間が悪かったか……どうする? 後に回す?」
「…………ごめん、この空気は無理」
「だよな……」
顔つきは憔悴の色が濃い。青ざめた肌色は文字通り「血を抜かれた」様相で、髪も肌も色素が薄くなってしまっている。かつて艶のあった金の髪も、今はやや銀や灰色に近い金色だ。
彼女は、数年前から行方が分からなかった、つるんでいたエルフの一人だ。法を憚らずに言うなら、カツアゲ仲間の一人だった。
この地域、緑の国内部では珍しくもない。いわゆる非行少年少女グループに属する顔だが、同時に彼らの繋がりは脆かった。互いの事情は詮索せず、去る者は追わず、ただ気が合い、不満を八つ当たりする相手を探すだけ……そんな仲だ。
だから、今隣にいる若いエルフが、突然集会に顔を出さなくなったのも……別段珍しい事じゃない。わざわざ顔を出して、集団から抜ける抜けないで揉めるぐらいなら、ふらっと消えて関係を自然消滅させる方法は、傷を残しにくいやり方だった。
そう、思い込んでいた。彼女から話を聞くまでは。
「あいつが……マスティーが言ってたよ。裏路地の噂を派手に流すと、消されることがあるって。でも、それがレリーの仕業だったなんてな」
「……彼は?」
「今日も誘ったけどダメだった。ヤナンよりは前向きな気もするけど……」
かつてつるんだ仲間たちの名前に、エルフの少女は唇を閉ざす。こうして会話するのも久々で、懐かしいより『誰だったか』と記憶から掘り起こさねば、顔も浮かんでこない様子だ。
それがますます、もの悲しい。
「……ダメ、なのかな。私って」
「あんなイカレた場所にいて、壊れない方がどうかしてる」
はっきりと怒りを滲ませて、カーチスはかつての仲間を庇った。
それきり何も言えず、沈黙を守る他ない。
――このエルフの少女の正体は『レリー一派に囚われ、血を吸われていた人物』の一人。
身元もはっきり証明できる、城壁都市レジスの住人である。
裏路地で異種族のカモを探している最中……彼女は攫われたらしい。例の『人が消える噂』を撒きすぎた結果、彼女は地獄の窯に投げ込まれたと言う。
必死に口元を歪めて……何とか笑みを作って、彼女は口を開いた。
「庇ってくれるのは嬉しいけど……これでも私は、壊れてない方だよ」
「は?」
「本当に壊れた人は……今も、施設の外に出れない。何もかもが怖くて、信用もできないから」
事実だった。最初から『人狩』の対象であり、多少なりとも人の闇に慣れた裏路地の住人と比べて、偶然人狩と出くわしたり、機密保持のため攫われた少女のような人間は、いきなり肥溜めに投げ込まれたようなもの。秩序側にいるはずのレリーに貶められ、そばにある筈の日常を失い、落差に気が触れる者たちも大勢いた。
救出こそ為されたが、魂についた傷はそうそう治療できる物ではない。たちまち体を治すポーションだって、心までは薬効が届かない。
どこか壊れた笑い声が、少女の口から溢れる。そばに立つ彼には、嗚咽にしか聞こえなかった。
「周りと比べてどうとか、関係ない。シリアが地獄を見たのは本当だろ」
「……でも」
「でもとか言わないでくれ。……俺たち三人の間でもいろいろあったけどさ、シリアのに比べたら、それこそ大した事じゃなくなる。でもさ、自分が感じた苦痛は本当だろ。周りを気にして、自分の心を薄めたり、誤魔化すことなんてないんだ。違うか?」
芯のある、身に染みる言葉だった。そっと顔を上げてカーチスの目を見ると、自らの発言が恥ずかしいのか、目線を惑わせる。続けざまにシリアは彼に聞いた。
「ねぇカーチス。あなた、そんなに優しかったっけ?」
「え、なんだよ急に」
「私たちってさ、こんな……深くつるむ感じじゃないでしょ。マスティーとヤナンが断ったのも、仕方ないで済む話。もちろん、あなたに断られたとしても。ねぇ、どうして?」
暗闇に沈み、比較的正気を保った青い瞳がカーチスを見る。一瞬ひるんだものの、彼は誤魔化さずに伝えた。
「俺は……暗いとこで誰かに、泣いてほしくないだけだ。国を変えたい……まで言うと大げさだけどさ。誰にも向き合って貰えず、誰とも深く関われない……その辛さは知ってる。だから、知った顔ぐらい何とかしようって……そんだけ」
「……やっぱり、優しくなった」
「そんな事ないってのに……まあいいや、ともかくメシ! メシ食いに行こうぜ。『とこしえの緑』に行かないか?」
「まだあるんだ、あの店」
「あぁ。ルル店長もピンピンしてるよ」
久々の野外を歩くシリア。先導するカーチスの背中が、やはり以前と違って見える。遠く曖昧な記憶で当てにならないが、それでも……こんな大きくは見えなかった。
ほどなくして「とこしえの緑」の戸に手をかけ、カラリとなる鈴の音を久々に聞く。さびて閉じた扉が、魔法で開いたかのように……「懐かしい」という思いが、食事処の香気で刺激された。
扉を見つめたルル店長が、少し驚いたように目を開く。
「あんた……シリアかい? 久しぶりじゃないか。よかった、また顔を見せに来てくれたんだねぇ」
懐かしい人、懐かしい声。
遠い昔に思えた日常に、帰ってきた実感が瞳を充血させた。暗闇で散々流してきた涙が、光の粒となって少女の両目から零れ落ちる。
突然の反応に、何か気に障ったのかと店長がうろたえた。
「え? え? ど、どうしたんだい? 急に……」
固まる店長の代わりに、カーチスがそっと肩に触れて席へと導く。彼女の代わりに、彼は店長へ話した。
「色々あったんです、本当に……二度と、戻れないと思っていたそうで」
「は、はぁ……そうなの、かい? でもまた会えてよかったじゃないか。なら腕によりをかけようかねぇ」
「お願いします。さ、いこうシリア」
「うん……うん……」
小さな子供の用に泣きじゃくるシリアの背をさすり、彼女が落ち着くまで席で待つ。
帰るべき日常があることを、少女は心から感謝した。
用語解説
ポート(追加情報)
国や地域に情報を送る際、ポートが使われることがある。
巨大な黄色の水晶は、誰かしらライフストーンを用いたメール機能もあり、全く使われないことは考えられない。これを利用して、特定ポートに触れると、通達が送付されるようになっている。この世界においてポートは、掲示板としての役割も持っているのだ。




