千年の悪夢
前回のあらすじ
体調を悪化させる魔法武器、スポア・サーべルを受けたテグラットは妙に思う。貧困にあえぐ彼女たちにとって、肉体の不調は常にある。貧富の断絶が広すぎて、少女はレリーの主張が全く分からなかった。追い込んでいる気の吸血種へ殺意を込め、全力で勝負手を彼女は放つ。
「吸血種は、殺す」
不遜な殺意を抱き続ける少女は、深紅の髪をなびかせそう言った。
どうせこれから殺す相手だ。常識外の事を伝えても問題あるまい。ヒューマンを同族に変える吸血種は、心からの賛辞を込めてこう言った。
「いいですねぇ……心意気は好きですよ。しかし惜しい。あなたがヒューマンであれば、血族に招くのもやぶさかではないのですが」
もしこの少女がヒューマンであったならば、吸血種兵団の配下にするのも悪くない。勿論懐柔に時間はかかるだろうが……寿命のない吸血種にとって、時間はただ手間がかかるだけ。じっくりと手間をかければ、そこそこ使える駒になると感じていた。
彼女の素性は知らないが、少なくとも資質はある。欲深き者どもと戦う際、最も必要なものは「力量差に物怖じせぬ精神」だ。
かつて千年前の戦争において、ユニゾティアは蹂躙された。
数的有利はあったが、異界の悪魔の力は想像をはるかに超えていた。
頭を焼き潰そうが、心臓を破壊しようが蘇る不死者。
瞳を合わせただけで、異性を虜にして支配下に置く魔眼持ち。
接触した物質を自在に組み替え、未知の構造物や「悪魔の遺産」の生産施設を形成する創造者。
生命の改竄、新造や変異を生み出し世界を犯す、禁忌を恐れぬ者。
対決した相手の鍛錬を無に帰し、己の物として奪う簒奪者。
……軽く想起しただけで目眩がする。ミノルの対抗能力で封じたものの、絶望的な差に心が折れた者も少なくない。
だから「奴ら」と対決するには
折れない精神が必須条件だった。
(その点この娘は合格です。あんな貧困街の生まれでありながら、私に牙を剝いているのですから)
ふと、妙な想像が働いた。ならば今の自分は、彼女にとっての悪魔なのか?
馬鹿馬鹿しいと振りほどいて、レリーは愉快な事を口にした。
「まぁ、まだ生きているお仲間もいますが……あなたは下手に生かしておけません。一足先に向こう側に……あぁ、いいことを思いつきました。あなたの事をお仲間に知らせてあげましょう。肉体を嬲るのはたやすいのですが、いかんせん精神を責める事が困難でしてね。死体でも投げてやれば、きっと面白い見世物が出来るでしょうよ」
静かに少女が目を伏せる。レリーもサーベルを握り直す。
恐怖からか、小刻みに緊張し痙攣を繰り返す獣人は、懐から折りたたまれた何かを取り出した。
折りたたまれた紙切れ一枚を握りしめ、すっと顔を上げる少女と視線が交差する。刃物を突き付けるような所作をレリーに向け、灰色の瞳は……憎悪と決意に濡れていた。
背筋を這いあがる痛烈な悪寒。どこか懐かしいと感じる表情は、かつての戦争で肩を並べた仲間たちに似ている。
気のせいだ。と、思考を裂いたのと同時に
彼女が凄まじい殺意と共に紙を振り下ろす。
刹那、千年前の当事者……レリー・バキスタギスは過去に囚われた。
パァン!!
一発乾いた破裂音が響き、殺気と共に駆け抜ける。
瞬間、レリーの頭が真っ白に吹き飛んだ。
どくどくと心臓が激しく脈打ち、呼吸は荒く足が震える。
左の頬と腹と肺の内側から、じくじくと痛覚が広がっていく……
(あ、悪魔の……遺産……!?)
千年前の奴らが用いた兵器、その使用音を忘れるはずがない。当然戦争に出向いたレリーも、あの武器の恐ろしさは良く知っている。いや知っているどころか、彼はこの兵器によって絶命しかけた。
肺に二発、脇腹に三発。頬に一発。
かつて被弾した箇所が、古傷の如く痛み出す。心的外傷が眼前を明滅させ、ぐらりと世界が揺れる中……さらなる痛苦が飛翔した。
道具を持ち替えた少女が、次々とナイフを投げつける。反応が遅れたレリーは、盾の腕甲で防ぎきれない。足に三本被弾した瞬間、稲妻の如く凶悪な痛みが脳髄に奔った。
「がっ……! があああぁあぁっ!?」
傷口から銀が接触し、吸血種は絶叫を上げた。
何故我々の弱点まで知っている? と思考を巡らせる余裕はない。ただでさえ過去のトラウマに精神を八つ裂きにされ、肉体まで銀に焼かれれば……貴族の仮面を脱ぎ捨てて、恐怖に支配されるまま逃げ惑うしかない。
崩れた均衡の中で、彼女の声が木霊する。
「吸血種は、殺す……!」
「ひぃっ!?」
刃の側面が銀色に閃き、吸血種を屠るナイフが宙を舞う。おっかなびっくり盾の腕甲で防ぎながら、レリーは館の外側、割れた窓の方面へと走り出す。
もう何だって構わない。ここから逃げなければ殺される。原始的な危機に煽られ、背後から追う少女を注視し駆け抜け続けた。あと少し、あと少しで、コイツが侵入した窓から逃げられる。安堵した刹那、まるで蜘蛛の巣のように張られた罠が、憐れな獲物を絡め取った。
「っぅ!?!? ぁあぁぁっぁ!?」
窓の周辺に、鋼鉄の紐が張られている。針を含む人口の棘が身体に食い込んだ。だが触れた瞬間、吸血種の本能が激しく拒絶反応を引き起こす。当然のように、この罠にも銀が用いられている……!
「吸血種は、殺す!」
何たる殺意。何たる決意か。
言葉を聞くまでもない。数多の仕掛け、闇夜でも浮かび上がる敵意の熱量、少女の全身とその行為すべてが、吸血種の抹消を願っている。逃げ道なく立ち竦むレリーに、またしても何かが投げつけられた。
両手で覆うように盾の腕甲を広げ、必死に震える吸血種。が、飛来物は刃物ではなく、粉末の詰まった布袋。盾に弾かれ、粉末が周辺を包み込んだ途端……レリーの全身が蒸気を上げる。
「あががっ! ぐげぇっ! ごぶぅっ! ヴぇっぁあっ!!」
銀粉の煙幕が全身を覆い、肌という肌を焼き焦がす。悶える最中粉塵を吸い込み、口内が、鼻が、喉が、肺が、銀に犯され焼けただれた。ガランとサーベルを地面に落として、まな板の上のコイのように、身体から体液を噴出し、もんどりを打つ。
全身を炙る音の最中に、こつり、こつりと忍び寄る足音。瞳を開くと同時に眼球が焼かれても、その死神の姿ははっきりと見て取れた。
「吸血種は……あなたは、殺す! 私の……私の世界を、返して!!」
暴れるレリーに跨り、小さな両手が喉仏を圧迫する。その手に握られた銀の鎖が絡み付き、全てを乗せた両腕が、吸血種の首を絞めた。
ばた、ばた
最後の断末魔を上げるが如く、千年生きた英雄の命は、灰色の少女に今まさに刈り取られようとしていた。
蒸発した眼窩はへばりつき何も映さない。鼓膜も焼き切られ、三半規管がグチャグチャにかき混ぜられ、脳髄に届くのは痛苦のノイズのみ。
現実を見失ったレリーの脳裏に、走馬灯が駆け巡る。
千年前の戦争と、それによって得た栄華。
だがむしろソレは、死に際のレリーには毒だった。
かつて奴らは、異界の悪魔どもは
自分たちが正しいと信じて疑わず、ユニゾティア住人の話など、全く聞き入れなかった。
その圧倒的な力量差を以て、ユニゾティアの日常を踏みつぶし、絶滅させようとした。潰される側の、ユニゾティア住人の意志や意見を無視して……
ああはなるまいと誓ったのに
今もなお、この世界は奴らを嫌悪し続けているのに
いつしかレリーは忘れていた。
誰かの日常を奪えば、途方もない恨みを買うと言うことを。
自分もかつて被害者だったのに……それを忘れた結果がこれか。
……私は、過去に殺される。
とりとめもない、遅すぎる反省は
頸椎の折れる音と共に、途切れた。
用語解説
レリー・バキスタギス
緑の国の役員の一人にして、千年前の戦争で功績を上げた吸血種。しかし必要から築き上げた私兵隊は、いつしか悪行の言い訳にすり替わっていた。
死に際、千年前に対峙した「欲深き者ども」の所業と自らの業が重なり、ようやく反省するも時すでに遅し。テグラットが銀の鎖で首を絞め、頸椎を折られた事により死亡。




