引き継ぎの良し悪し
前回のあらすじ
最後の資料、城壁都市レジスの成り立ちを見届ける晴嵐。オークへの蔑視思想は民族対立からと知り、晴嵐はため息を吐いた。
道なりに進み、終点にある土産屋に着くと壮年のエルフが出迎える。ヒューマンは珍しいと驚き、暇なのもあって少し立ち話をすることに。
人気のない資料館に二人、暇な男たちが話を続けている。ふらりとやって来ただけの異種族の男にも、館長のエルフは隔てなく接する。いくつかの駄弁りの後に、老紳士エルフは晴嵐に質問した。
「ところで……何故あなたはここに? 私が言うのもどうかと思いますが、ここは『伝統生活区』に近い僻地です。同族も少ないですし、異種族の方はもっと来ない。一体なぜ?」
興味本位と答えてもいいが、目的への誘導もかねて少しだけ事情を漏らしてみる。
「実は……『伝統生活区』暮らしの若いエルフに、親の様子を見てくれないかと頼まれてな。着いてみれば門前払いを喰らっての。手ぶらで帰るのも嫌じゃし、見張りに勧められて、ここに」
「あー……なるほど。となると若い方の両親は区域の中ですか」
「恐らくは。わしが入る手段はないか?」
頭の側面に手を当て、老エルフはしばらく考え込む。芳しくない表情は継続され、最後まで変化なしだ。
「難しいと思います。区域内は物資の搬入業者かエルフしかいない。異種族の方が入る場合、見える所に許可証を身に着けているんです。不法に侵入すれば罰せられますし……」
「そうか……あの若造め、せめて一言説明が欲しかったのぅ」
ハーモニーは直接言わなかったが、無理しなくて良いとした理由はこれだろう。止めずにいたのは、晴嵐を過大評価していたのだろうか? 愚痴る彼に対し、なだめるように老エルフがこう言った。
「お気持ちは察しますが……あまり若いエルフを責めてやらないで下さい。やむを得ずでしょう」
「どういう事じゃ?」
「伝統生活区は……評判がすこぶる悪いのですよ。世代断層問題が叫ばれて久しいですが、この区域は特に酷いもので……百歳以下のエルフは、誰も中に入りたがらない。だから、事情を知らない異種族のあなたに、一縷の望みを託したのでしょう」
飛び出したはいいものの、切っても切れぬ親子の縁。限りなくゼロに近い可能性でも、縋らずにはいられなかった……か。
ホラーソン村で明るく振る舞っていたハーモニー。その裏にある親子関係の未練は、晴嵐には察するに余りある。少しでも彼女の現状を知るために、改めて晴嵐は尋ねた。
「一体なんなんじゃ? この『伝統生活区』言う地域は? 資料館で見る限りは、昔の記録と暮らしを保全する地域に見えたが」
「それは現在の名目です。最初は単に『保護区』と呼ばれていました」
初めて聞く名称だ。けれど違和感はない。環境を保全しているのだから『保護区』で通る話ではないか? 理解できてない様子を感じ、声を潜めてエルフはそっと囁く。
「これは、私達エルフにとっては公然の秘密です。
資料館を見たあなたには分かるでしょう? オークの侵攻は大変ショッキングな出来事でした。住処を焼かれ、女子供をさらわれ、男たちも大勢戦死したと聞いています。生き残った人々は、恐怖と憎悪に身を焦がしながらも、城壁都市を作り上げた。
けれど全員が全員、復興のために立ち上がれた訳ではありません。中には……肉体的、精神的に強い後遺症を負った方もいたのです。ですから……彼らを「保護」する必要がありました」
暗い情念、復興精神で立ち上がるエルフもいれば、完全に打ちのめされ後遺症を負い、暗闇でうずくまる者もいた。だから――
「戦争被害者を保護し、養うための地域だったのか……」
「そうです。特にここは精神的に病んだ方が住まう地域でした。環境を保全するのは『住居が壊れる前』を再現し、精神を過去に閉じ込めることで、心の平穏を保つためだったんです」
情けないと思う反面――晴嵐は終末世界にいた、とある人々の在り様が思い起こされた。
壊れてしまった世界、変わってしまった常識を受け入れられず、心を閉ざして過去に縋る……そんな人間は確かにいた。心の容量から溢れたストレスに潰されぬよう、現実をかき消し過去に生きる。現実逃避に違いないが……誰も彼もが、無残な現実を直視出来はしない。
若干の同情を寄せる晴嵐と裏腹に、館長は批難する口調で続けた。
「必要な行為だったと思います。けれどせめて……二世以降の生活を許すべきではなかった」
「二世……被害者の子供たちか」
「そうです。彼らは昔の生活を続ける内に、遠い昔の憎悪に囚われてしまった。引き継ぐ必要などない、自分ではない誰かの憎悪に。そしてこの地域にも……」
否定と嫌悪、そして憐れみの欠片を添えた言霊が響く。
「彼らは何ら後遺症を負っていません。その気になれば、健常者同様に生活することも不可能じゃないんです。けれど保護と憎悪に慣れ切った彼らは、外の世界での生活を拒んだ。この伝統を引き継ぐ事が重要と言い、最後の被害者が200年前に亡くなった後も、ここに居座った」
「……」
「そこで名称は変更されたんです。『保護区』から『伝統生活区』へ……昔の生活を再現する地域として、資金投入の規模も縮小。外での生活の機会を与えられたんですが……実際は」
中のエルフの空気は変わらなかった。小さくなる語尾から感じ取り、澱んだ空気を引き受ける。
もう実際の被害者はいない。保護を必要とする人はいない。だから健常なエルフにしてみれば、中にいる二世以降の人間は「被害者面して、古臭い生活を続けている不毛な連中」になってしまった。
道理で嫌われる訳だ。低く唸る晴嵐に、館長は自虐気味に笑う。
「あなたに依頼した若いエルフは、伝統生活区の空気に染まる前に、逃げ出したのでしょう。そうですね……その方には『中は変わりない』と言えば、察して下さるかと」
「そうか……伝えておこう」
直接伝統生活区への侵入は出来なかったが……この館長との話を交えれば、ハーモニーへの話としては十分だろう。
そろそろ暗くなる。闇夜の森は足元さえ見通せず危険だ。館長もやんわりと意思を感じ取り、晴嵐を見送る気配を見せる。
去り際、晴嵐は土産の一つを指差した。
「その本は?」
「あぁ……私が纏めた資料です。少し値が張りますが……」
「一ついただこう。興味がある」
本心から求めたのだが、情けのように見えたのだろう。
本を手渡す壮年エルフの顔には、皺と苦笑が滲んでいた。
用語解説
伝統生活区 (旧名 保護区)
オーク侵攻の戦火を免れた、大樹海レジスの一部に設けられた地区。元々は戦争で後遺症を負ったエルフのための『保護区』だった。
当初は必要な支援だったが、二世以降が生まれてから救済システムは形骸化。現在は当時生きていたエルフは全滅し、被害者の子孫が居座っている形に。
子孫たちは健全な肉体を保持しているが、親世代の憎悪を引き継いでいる上に、精神や発想が古臭いと評判が悪い。異質な空気を嫌って逃げ出す若者も、決して少なくないようだ。




