吸血種
前回のあらすじ
立派な城の周囲をうろつき、観光を続ける晴嵐。発見した「魔導士の銅像」を眺め、テティから習った情報と組み合わせて精査し、千年前の事は嘘ではないと認識した。腰に差したレイピアを気に留めた彼だが……背後から来る「吸血鬼」めいた気配に身構える。
全身の血が凍りつき、脳が臨戦態勢に切り替わる。
「吸血鬼」は殺す。それが誰であろうとも。知った顔だろうと、女子供だろうと、殺らなければ殺られる。感情を止め、絶対的な殺意と悪意を動員し、背面から近づく気配にナイフを構え――
「どうしたの? おじさん」
危うく殺気を走らせる直前、制止するかのように声が響く。高い声。童の声だ。警戒したまま振り向くと、立っていたのは十歳前後の男の子。ニコニコと年相応の笑みで、無邪気に晴嵐を見つめている。
しかしそこから発する臭いに、終末から来た男は身構えてしまう。子供が一歩踏み出すと同時に砂利を踏み、晴嵐は一歩後ずさった。
「……こちらに来るな」
「ちょっとちょっと。何をそんなに怖がっているの? ボクはただ……お話しに来ただけなんだよ?」
「信用出来ん」
「初対面だから?」
「違う。誰が吸血鬼などに気を許すものか」
「サッカー? 何それ?」
何を白々しい。お前ら吸血鬼が何をしたのか忘れたか……! 激昂する直前で、晴嵐は矛盾に気がつく。
そうだ。吸血鬼には理性がない。こんな風に会話は不可能で、ただ人間を捕食するだけの化け物だ。ならばこの気配は何だ? 混乱するも、何とか晴嵐は気持ちを持ち直す。
ここはユニゾティア。滅びた終末世界の地球ではない。こんな反応をしてしまうのは、自分のトラウマに依る部分だ。失言を繕うため、男は子供の正体を告発する。
「地位がある割に知らんのだな……吸血種の坊や?」
「……訳が分からないよ。おじさん」
すっとぼけても遅い。切り返すまで一瞬の硬直があった。ひりひりと緊張したまま、晴嵐はその子供と向き合う。
……確かに、外見で判断は難しいかもしれない。
小さい背丈にグレーの目玉、無邪気なふるまいも自然体。金の髪はぼさぼさでみっともなく、身に着けた衣服は安っぽい服だ。所どころ汚れがついていて、つば付き帽子にも染みがある。
貴族や上流階級の方々とは思えぬ、下っ端作業員の姿と言える。しかし晴嵐の鼻は、特有のにおいを嗅ぎ取っていた
「取り繕っても遅い。それにお前らの体臭はごまかせん」
「え? もしかしてボク、油臭いのかな?」
「体臭と言ったじゃろ。血の臭いと独特の死臭がする。言われて気がついたが、妙な油の臭いもするが……あぁ確かに、そちらの方が濃いか」
彼の鼻は、吸血鬼の臭いに敏感だ。
捕食者たる吸血鬼から逃げ切るには、如何に先に相手を発見できるか……この一点が大きい。視界不良や物陰越しに察知できる鼻は、必要に駆られて鍛えられた嗅覚だ。そして晴嵐の思考や肉体は『吸血鬼の臭いを嗅ぐと、全身は戦闘用に切り替わる』ようになっていた。
これ以上来るなら、戦闘も辞さない――
今まさに飛びかからんとする獣の如く、懐のナイフと煙幕に手を伸ばす。本気の殺気に当てられた「坊や」は……あまりに無邪気に笑っていた。
「すごいねおじさん! 本気なんだ?」
「……それ以上踏み込むなら、な」
「んー……でもやめておいた方がいいよ? 千人に袋叩きにされるだろうし」
「だがお前は殺れる」
「ふふ、そっか。じゃあ残念だけど、ここからお話しようよ」
「……」
一目で悪意がないと分かる、童心スマイルを吸血種は崩さない。むしろ最初より好奇心を強めて、宝石を見るような目で晴嵐を見つめてくるのだ。油断させてガブリと来るかもしれない。反射的に仕掛けれるように構えつつ、晴嵐は聞き返した。
「わしと一体、何を話す気なんじゃ?」
「後ろの人だよ。『黄昏の魔導士』について。このお城の事も、ずいぶん熱心に見ていたでしょ? 今時珍しい人だなぁ……って」
「……何が言いたい?」
「見てて面白いから、雑談しよっかなって! ボクの正体も隠してお喋りする気だったけどなぁ……あ、でもでも! ボクってそんなに臭い? これから他人と会うから、身だしなみに気をつけないと!」
「ならまず髪形をどうにかしろ……」
「これはボクのトレードマーク! だから大丈夫大丈夫!」
それはお前が権力者だからではないか? お付きの人物がいるなら、この吸血種の坊やに胃を痛めていそうだ。臭いについて気にしているので、それだけを指摘してやる。
「若干油臭いが、不愉快なほどではない。というよりそれも含めて、お前のトレードマークではないか?」
「んー……そっちじゃなくて、おじさんが気がついた方だよ!」
古ぼけた記憶の隅から、晴嵐は参考にした実体験を掘り起こして語る。
「……知ってるか? にんげ……いやヒューマンも実は『ヒューマン臭い』臭いを常に発している」
「ほぇ? そうなの?」
「こんな話を聞いたことがないか? 巣から落ちた幼鳥を、人間が拾い上げて助けてやった。しかし親鳥はその小鳥を弾き飛ばし、助けた鳥は孤独になった。
何故か……それは人間が手で触れたせいで、小鳥は「ヒューマン臭い」に塗れていたからだ。獣臭さを動物から、わしらが感じることがある。が、あの手の臭いを動物側は感じておらん。要は自分の体臭を、自分自身では認知できん」
「おじさんが感じたのは……ボクが自分で気づけない『吸血種の体臭』ってことだね!」
「そうだ。わしが過敏なだけで、批難される事はあるまい。不健康な奴だと不愉快な体臭がするが……そういう感じはしない」
気がつけば少しずつ、身体から敵意が緩んでいく。
馬鹿、緩めるな。今すぐ先制して仕留めろと囁く、経験と恐怖からくる声と
いや、こいつは違う。別の種族だ混同するなと、訴える理性がせめぎ合う。
終末から来た男。彼はまだ過去を振り切れない。晴嵐の葛藤を見もせずに、吸血種の坊やはニッコリと笑った。
「そっかそっか! ありがとう、面白かったよ!」
「……早くどっか行ってくれ。うっかり殺しかねん」
「ふふっ! ホントおかしい人だなぁ! でもでも、ちょっと話すにはいいネタになるかなー?
あ! じゃあそろそろ行くね! ボクの名前は『ムンクス』! 『黄昏の魔導士』とは別方面で、『歌姫』様の奇跡を目指す大馬鹿野郎さ」
最後だけ皮肉を浮かべ、けれど気楽な様子で去っていく。
――目の前の敷地に顔パスで入り、吸血種の坊やは城へ消えていった。
用語解説
ムンクス
晴嵐に「面白そうだから」と、興味本位で接触してきた吸血種。一瞬で正体を見抜き、殺意バリバリの彼の反応に、むしろ好奇心を持って終始友好的に接した。
見た目と言動は子供のままの人物だが、貴族以外入れない城の中に、顔パスで通過している。




