入り組んだ都市
前回のあらすじ
長ぐ続いた徒歩での移動を終え、緑の国まで辿り着いた晴嵐。視界に入ったのは巨大な城壁と、エルフの入国審査官だ。ハーモニーの助言を使い、晴嵐は緑の国の都市部に入った。
審査官と見張り番の間を通過し、晴嵐は窮屈な門から中に入る。
石レンガで整備された地面を踏みしめ、城壁に隠れた町の中を見渡す。ぱっと見で抱いた印象は、物々しさを感じる灰色だ。
全体的に、石造りの建造物が多い。地面は茶色と灰色のレンガで整備され、むき出しの地面は少ない。あるとしても植林用の空間ぐらいだ。
建物は基本二階建て。ホラーソン村と比較すると、いかにも頑丈そうな作りに思える。城壁の事を考えると、攻撃される前提なのだろうか?
(やっぱり妙じゃのう……)
道中で浮かんだ考え……「ホラーソン村と緑の国の間では、戦闘の記録が少ない」記録と、この城壁都市の現状が合わない。幾度となく侵略されたなら分かるが……何もないのに森を開いて、あんな立派な壁を築くか?
歩きながら、思案を深めたのがまずかった。気がつけば晴嵐は、裏路地の行き止まりに立っている。薄暗い滞留した空気は濁っていて、けれど少しだけ懐かしい。
終末世界で漂っていた退廃の臭い。路地裏の饐えた悪臭は、僅かだがそれに似ている。澱んだドブの臭いを拒まず、むしろ郷愁を感じる自分がおかしくて、しばらく笑ってしまった。
公共の場だが、好き好んでこの場所に来る人間はいない。来るとすれば何も知らない旅人か――悪党かだ。
とっとっとっ……と、気配を殺した小さな駆け足を耳で捉え、気づかぬふりで晴嵐は突っ立つ。すっと腰に伸びる手、慣れた足取りと手つきを、晴嵐はあっさりと捕まえ手首を捻りあげた。
「イ、イテデデデテ!」
ぼさぼさの栗毛、みすぼらしく伸びた体毛に、オンボロ衣服から伸びる手を晴嵐が捕まえる。背丈は小さく、四肢はやせ細っていた。
……スリは予想出来たが、ストリートチルドレンが出てくるとは。
こういう裏路地は、総じて貧民の吹き溜まりになりやすい。晴嵐も良く知っていたが、この速度で手を出されるとは。何も知らないカモと誤認したのだろう。
ぐっと細腕に力を込め、子供は悲鳴をさらに大きくする。ドスの聞いたドブネズミの声で、痛烈な脅し文句を耳に囁く。
「お主の仲間に伝えろ。わしに迂闊に手を出すなとな」
骨を折るか折らないか、絶妙な力加減で締め上げる。こげ茶も瞳に涙を浮かべ、コクコクコクと必死に頷いた。
鼻を鳴らし、手持ちの道具から小さな薬瓶を取り出す。安物のポーションを子供の手に握らせ力を緩めると、子供は皺をよせ晴嵐を睨んだ。
「……情けのつもりかよ」
「手間賃の代わりだ。サボったら覚悟しておけ」
「ケッ」
悪態をついて、そそくさと路地の影に消える。あの様子だと反省の色は見えない、また絡まれる前に、晴嵐は中央の通りに戻った。
明るい通りはエルフが多く、異種族の姿は少ない。多数の種族が行き交うホラーソン村と異なり、ヒューマンの晴嵐も珍しいようだ。往来を歩くと、ちらちらとエルフの目線が晴嵐に刺さる。トラブルを避けるべく、道の端をゆっくりと進む判断を下した。
卑屈になる必要はないが、堂々としても喧嘩の素。視線をそれとなく町の中に向け、こと城壁都市の中を探索していく。
ちょくちょく見える裏路地から、あの退廃の臭いが漂っている。裏側の治安はよろしくなさそうだ。下手に踏み入れては危険な気がする。
(ギャングや裏社会の連中もいるだろうな……)
ホラーソン村が如何に平和だったかを自覚する。まだ都市内に入って数分の晴嵐だが、きな臭さを敏感に感じ取っていた。
ハーモニーがしきりに『無理はしなくていい』と言い聞かせたり、晴嵐の緑の国行きをやんわりと止める気配を見せていたが、なるほどこれでは人様に紹介できる都市とは言えまい。
となれば……彼女は晴嵐の様子を案じている筈だ。道中の無事の保証もなく、この都市に入れたかどうかも、ハーモニーの性格なら気を揉んでいるだろう。まずはこの都市のポートに接触し、彼女にメールを送るべきか。
がしかし……迷った。
初見なのもある。地図や案内人がいないのも影響がある。
けれど最大の要因ではない。この都市は恐ろしく入り組んでおり、背の高い建物のせいで、視界も悪いわ曲がり道も多いわ、まるで入った人間を迷わせる構造をしている。晴嵐は裏路地の臭いを嗅ぎ取って、裏路地に深入りせず引き返せているが……初見の旅人がここに来たら、身ぐるみ剥がされてしまうのでは?
(ったく、不便な都市じゃのー……)
余所者に対する好奇の視線に、まるでわからぬ道筋と地形。所どころ漂う退廃の腐敗臭に、それを放置するのはどうなのか。
この都市に抱いた初見の印象は、はっきり言ってかなり悪い。
せめて看板を要所に立てるとか、工夫はいくらでもあるだろうに……ライフストーンでポートの位置を調べても、直線の方向しか示してくれない。他人に聞く勇気も持てず、あちらこちらを右往左往。なかなかたどり着けないポートに苛立ちを募らせた。
「クソが」
つい口から出る悪態。都市内に入ってから約一時間彷徨った末、ようやく目的のポートを発見する。心労の溜まった腰を下ろし、ベンチに座り込んで深呼吸。緑の石ころを手に持って、ひとまずハーモニーへの文章を書き綴った。




