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辺境伯家の事情

作者: 水無月 撫子


 ロードハット王国の辺境の地、ランダ。

 隣国との国境に聳え立つ南の砦を守る役を担っている。そこは、好戦的な民族が住む南の隣国と面していた。

 小競り合いはもちろんのこと、大きな戦争も頻繁に起きるような土地だ。


 ランダに生まれた者たちは、男女問わず幼い頃から戦闘訓練を受ける。自分自身を、そして、愛する家族を守れるように………。




 最前線で戦うのは、国の騎士でも戦闘に長けた軍人でもなく、ランダ辺境伯家の私兵である。

 王国有数の精鋭たちが集うこのランダ兵団を率いるのは、辺境伯たるランダ家の当主だ。


「ベティ、体に気をつけるんだよ」

「それは、あなたの方よ。どうか、無事に帰ってきてくださいね」


 辺境伯フロイド・ランダには、最愛の妻がいる。


 彼の妻の名はルベティア・ランダ。

 元ファリア侯爵家の令嬢であり、王国で五指に入るほどの天才魔術師。

 落ち着いた亜麻栗色の髪と美しい緑の瞳、天使の様に愛らしい顔立ちに、回復魔法を得意とするベティの事を人々は『癒やしの天使』と呼んで尊んでいた。


 フロイドとルベティアは、社交界一のおしどり夫婦と謳われ、貴族たちからは、羨望の目で見られていた。




 ルベティアは、中々屋敷に戻れないフロイドに代わって、屋敷の管理から領地の経営までこなしている。

 そして、例え、皆が寝静まった深夜でもこうして夫を送り出すのだ。



「おとーさま!」

「おぉ!ベルナルド!起きたのかい?」

「おとーさま、もういっちゃうの?」


 エントランスで、話していた二人の元に、小さな男の子がとてとてと駆け寄ってきた。


 柔らかな金の髪に緑の瞳の愛らしい男の子だ。

 ベルナルド・ランダ。二人の可愛い息子で、次期ランダ辺境伯を継ぐ嫡男である。



 ベルナルドはぎゅっと父親の足にしがみつくと、いやいやと首を横に振った。


「いやだぁ!!おとーさま、あそんでぇー」


 久々に顔を見せたと思った父親が、すぐにでも戦地に向かうと言うのだ、幼いベルナルドには、耐えきれぬことだった。

 ついにベルナルドは、ひっくひっく、と顔をクシャクシャにして泣き出してしまう。


 ルベティアはそんな息子を宥めつつ、夫の足から離し、抱き上げた。



「うぇ、やだぁ」

「わがまま言ってはだめよ?ベル。お父様は国を守っているのよ?……あなた、ベルのことは任せて?そろそろ行かないと出発に遅れてしまうわ」

「あ、あぁ。すまないな、ベル。………それでは行ってくる」

「いってらっしゃいませ」


 きゅっと隊服の襟を詰め直したフロイドは、屋敷を後にしたのだった。


「やだぁ!!」

「もう、どうしちゃったの?ベル……」

「だってっ………おかーさまはっ……いま…いっしょにあそべ……ないからっ」

「あぁ、ごめんね、ベル。元気な赤ちゃんが生まれたらいっしょに遊びましょうね?赤ちゃんのお世話もいっしょにしてくれる?」


 温かい笑みを浮かべた母の顔をじっと見て、ベルナルドはぱちくりと目を瞬かせた。

 その後すぐに、パッと笑顔になり大きく頷く。


「うん!おとーさまとも約束したんだ!おとーさまが、いないあいだ、ぼくがおかーさまと、あかちゃんをまもるんだって!」

「よろしくね。おにーちゃん、あかちゃんをまもってあげてね」


 ベティがにこっと微笑んで、ベルナルドを優しく包み込む。


「さぁ、お部屋に戻っておねんねしましょう」

「はぁい」





 この日が、ベルナルド・ランダの最後の家族が揃った幸せな思い出だ。

 





 フロイドがその日参戦した戦は長期戦になった。ニヶ月、三ヶ月と戦が終わることはなく、兵たちも疲弊していた。

 最初のうちは屋敷からの連絡にも目を通せていたフロイドだったが、戦況が悪化するにつれ、それも難しくなっていった。



 そして、なんとか持ち直し見事勝利を納めたときには半年以上の時が過ぎていた。

 戦を終え、諸々の事後処理などを終えたフロイドがやっと屋敷へ帰れる、と思ったとき、彼は大変なことを思い出した。忙しさにかまけ、屋敷からの連絡も途絶えていたが、二人の愛しい二人目の子度は、すでに誕生しているはずだったから。



 フロイドは、勝利を祝う宴会にも出ずに、真っ先に屋敷へと戻った。兵舎からの道、頭の中に浮かんでくるのは愛しいルベティアの事だけだった。

 『おしどり夫婦』と謳われる二人も実は政略結婚で結ばれた間柄だった。フロイドが爵位を継ぐまでは、一般的な婚約者同士のように良好な関係を維持しようと努めてきたが、結婚してからというものフロイドは仕事に追われてばかりだった。


 ルベティアとの時間もなくなり、顔を見るのは深夜彼女が寝たあと。もちろん、会話なんてなかった。


 ベルナルドが生まれてから、それは余計に酷くなっていき、そろそろルベティアに自分の事を忘れられていないか心配になった結果が、今回の懐妊に繋がったのだ……。


 ようは、フロイドはルベティアの事を心底愛しているのだが、それを伝える時間も気概もなく、いつまでも夫という座に甘えてきたのだ。


 本当は、どうしょうもないほどに彼女を愛しているし、どんなに忙しくても彼女の顔をひと目見たい……。



 戦争が無事に終わったばかりだ。しばらくは、ゆっくりする時間も取れるだろうから、ルベティアにこれでもかというほど愛を囁やこう……。


 そんな風に考えていた。








 屋敷に黒旗が見えるまでは……。







 小競り合いや戦争の多いランダ辺境伯領には、ある風習があった。



 ………それが、死者を弔う黒旗



 家庭から死者が出たとき、それを知らせるために、黒旗を家の玄関の側に立てるのだ。




「何故……我が家に黒旗が立っている………」




 嫌な考えが頭を過った。


 エントランスの扉の前で、馬から飛び降り、転がり込むように扉を開け、屋敷へと入った。


 屋敷の使用人たちがなにか叫んでいたがそんなもの、何一つフロイドには聞こえていなかった。


 フロイドは真っ先に彼の愛しい妻がいるであろう寝室に向かった。


 外はもう真っ暗だ。きっと、ルベティアは、寝室にいる………。そんな思いを胸に、ドアを開いた。


「ベティ?ただいま、遅くなってごめんね」


 見えなかった。見たくもなかった。


 白い美しい花々に囲まれた天使と呼ばれる妻が綺麗に眠っている。


「……………………ベティ?ベティ!?ベティ!!!


 ………おねがいだ!


 ……嘘だと……嘘だと言ってくれ。

 たちの悪い冗談なんだと、笑って目を覚まして…………その……緑色の綺麗な………瞳を………俺に見せて………くれ………たのむ………」


 お願いだよ、頼むよ……と何度も何度も繰り返すが、ルベティアがその目を開けることは、ついになかった。




 二日………フロイドはずっと妻に語り続け、その目が開くのを待った。『戦場の鬼神』と呼ばれた国の英雄は、ただひたすらに妻だけを求め、呼び続けたのだ。


 気づいたときには意識を手放し、目が覚めると、フロイドは何故か自分の寝室で寝かされていた。


「おとーさま、おはよう……」

「ベル………」


 ベルナルドは、以前よりもずっとやつれた顔をしていて、目はパンパンに腫れていた。


「おかーさまね、ずっとさいごまでリリーのことをよろしくねっていってたの。めを、とじちゃうすんぜんにね、『あいしてます、ベル………ロイ』っていってたんだよ」

「そっ………かぁ………」


 フロイドはひりつく目元にまた温かいものが伝う気配がしたが、すぐにそれを拭き、息子を抱きしめた。


 ベルナルドが言った『リリー』というのは、生まれた子の事だろう。……女の子だったのか………。


「ありがとう、ベル。ありがとう。最後までお母様と、妹を守ってくれて……」

「うっ………うぇ、うぇーーーーん!!」


 糸が切れたように、涙を流す息子を見て、フロイドは申し訳なさでいっぱいになった。

 ベティが見たらきっと笑われてしまうなと、自嘲気味に笑う。


 外にいる使用人に声をかけ、生まれた娘を連れてきてもらった。



 腕に抱いた小さな赤ん坊は、すごく儚くて、今にも折れてしまいそうなくらい軽いのに、その緑色の瞳は生命力に満ち溢れていた。



「リリティアお嬢様です。旦那様。二ヶ月前、お嬢様がお生まれになった際に、奥様が名付けられました。大好きなユリの花のように、美しくたくさんの人から愛される女性になってほしいと……そう、願っておられました」


 ルベティア付きだったメイドがそう伝えてくれた。

 リリーを抱えたまま、ベルナルドを連れてルベティアの眠る寝室へと入る。


「ほら、リリーだよ。君にそっくりな愛らしい娘だ。ベルは君が育ててくれたからこんなにも立派に育ったけど、これからは僕しかいないから少し心配だな。できるだけ、屋敷に帰るようにする。君のことを盛大に送り出そうと思うんだ。たくさんの百合の花を飾ろう。君の顔をもう見ることができないのが辛いんだ………。もっともっと、伝えたいことが、やりたいことがたくさんあった。四人でピクニックにも行きたかったなぁ、君に愛していると伝えたかった」


「おかーさま、ぼく、リリーをまもる。おかーさまがいないと、すごく…………すごく、さみしい。ぼく、ちゃんとみんなのいうこときく。きらいなものもちゃんとたべる、おべんきょうだってしっかりする。だから、おねがい、かえってきて………おかーさま……」




 その一週間後、『慈愛の天使』の訃報が国中に広まり、ランダの大聖堂で行われた葬儀には多くの人々が参列した。


 国王と王妃もこの辺境の地まで訪れ、ルベティアとの別れを惜しんだ。

 多くの人々を癒やし、国のために手を尽くしてきたルベティアはたくさんの百合の花に囲まれ旅立った………。






「…………おしまい」

「おにぃさま、もうおわりなのぉー?まだ、ごほんよんでー!」

「今日はこれで終わりだよ。リリー。可愛い天使、ほら、お眠り?」


 ベルナルドがそう言って、リリティアの白い額にキスを落とすとすぐにうつらうつらとし始め、健やかな寝息を立て始めた。


 ベルナルドは母に似て魔法の才能に恵まれた。

 攻撃魔法を得意とするが、その中でも最も得意なのは精神系に関わるものである。使いようによって盾とも剣ともなる精神系の魔法は、弱いものではこのようにおまじないのようにもできる。


 ルベティアに生き写しのような愛らしい天使に成長したリリティアは、領地のみんなから可愛がられている。


 フロイドはあれからというもの、よく屋敷に戻り、時間さえあればベルナルドやリリティアの面倒を見るようになった。


 日々は移り変わるが、ランダ家の屋敷には白い百合が美しく咲き誇り、今でも、メインダイニングには、美しい天使のような辺境伯夫人ルベティア・ランダの肖像画が飾られている。





 ………あの日が、ベルナルド・ランダの最後に家族全員で過ごした『優しい』思い出だ。






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