倒産の現場
倒産の現場
戸田の会社を出た廣井は、その足でM市内の企業に向かった。今朝会社を出る前にチェックした官報に気になる記事が出ていたからだ。(有)木南製建具の破産開始決定公告。車で15分ほど、M市の南に広がる住宅地に社屋を構える企業であり廣井は初めての訪問になる。やや奥まった立地だが、幹線道路から見える大きな看板に書かれた社名に見覚えはある。破産手続の公告が判明した段階では、すでに事業所が閉鎖されているケースがほとんどだ。建物や倉庫の入り口は固く閉ざされ、門がある場合には敷地に入ることすらできない。多くの場合「貼り紙」と呼ばれる通知には、弁護士名でこんな文章が書いてある。「債権者各位、当職は(株)〇〇より依頼を受けた代理人です。(株)〇〇は〇月〇日をもってI地方裁判所に破産の申請を致しました。敷地内より原材料や商品、什器備品を持ち出すと窃盗罪に問われることがありますのでご注意ください。」
ところが(有)木南製建具は若干様子が違っていた。工場も倉庫もがらんとしているが、特に閉鎖されている様子はなく、貼り紙も見当たらない。驚くべきことに、事務所には電気がついている。
「こんにちは。ジャパンリサーチです。」
引き戸を開けて中に声をかけると、事務机に向かっていた70過ぎの老人が何事かと、こちらに顔を上げる。
「廣井といいます。実は官報に公告が掲載されておりましたので、お話しをお聞きしたいと思って。」
「ああ、リサーチさんね。最近は何もなかったけど、昔はいろいろとお付き合いさせてもらっていましたよ。」
「ありがとうございます。」
進められるまま、ソファーに腰掛けると、その老人は向かいに座り、胸ポケットから取り出したたばこの箱をテーブルに置いた。
「失礼ですが、木南社長でいらっしゃいますか。」
「そうです。」
「とんだことになりましたね。」
「いや、なにしろこういう時代なので、もう何年もどうしようか考えていて。」
「お店を閉められたのはいつごろですか?」
「3月末です。取引先にも全部連絡して。」
1か月半ほど経過している。破産手続きにしてはスムーズな方だろう。
「社長がいらっしゃるのでびっくりしました。」
「去年から弁護士にも入ってもらっていて、在庫も機械も少しずつ減らしてね。今は連絡してくる人もほとんどいないけど、なんというか、いろいろと整理することもあるので午前中はいます。」
残務整理という。在庫も機材もあらかた処分しているからがらんとした印象だったのだと納得する。
「長くやってこられましたね。」
「先代が建具店を始めてからだと60年近くになるかな。君ぐらいの年齢ならわかるかどうか、高度経済成長って言って、家を建てる人はいくらでもいたし、公共施設の箱物にも建具の部屋は当たり前だったですよ。」
「こちらの工場は?」
「30年ほど前に、爺さんがなくなって私が後を継ぐとなって。当時うちみたいに個人でやっていた建具店が3店一緒になって金を出し合って作った工場です。」
「共同経営だったのですね。」
「最初はね。仕事もあったし、ホテルの宴会場みたいにね、まとまった数の発注も結構あったから、当時では最先端の機械を入れて。借金もしましたけど、銀行も快く貸してくれました。」
「木南社長がずっとですか。」
「3店の中では一番年下が私でした。なので、最初のころは、ほかのメンバーに押し付けられて社長。ただ、うちもそうでしたが、3人とも後継者がいなくて。先輩2人がリタイヤしてから10年ぐらいになります。」
「ごくろうもあったでしょう。」
「高度成長期が終わって、バブル時代も終わって、景気が悪くなって。今新しく建つ家って、建具の部屋はほとんどないですよ。フローリングばっかりで。古い家をリフォームするっていっても、建具の部屋は敬遠されます。建具は消耗品なので、定期的に手を入れなければならないですから。」
「それで業況が悪化したのですね。」
「後継者もいないし、やっていてもしょうがないと思って。」
「従業員の方は」
「私のほかに4人いましたが、来年で閉める話をして、取引先のメーカーに若い職人3人受け入れてもらって、3月末には私と、やはり70過ぎの2人だけ。」
「負債は」
「買掛金は全額払って、銀行だけです。設備資金を長期で運転資金に借り換えた1億円ちょっとかな。」
話しているうちに木南社長はたばこを手に取りかけたが、こちらが吸わないと見て遠慮しているようだ。少し涙ぐんで見えた。
「最近はどうなの。」
これである。調査会社は聞くだけではない。たとえ事業をたたむ段階であっても、調査員が持っている情報は貴重だ。
「建具のお話を聞いてなるほどと思いましたけど、確かに時代の変化についていけない企業は厳しいですね。」
「住宅は好調だと聞いているけど。」
「調子がいいのは大手だけですよ。年間の着工戸数が3棟ぐらいの小さいところは、厳しいです。」
「ああ、昔の取引先も工務店をたたむ話をしていたな。」
「今の時代はある程度規模が大きくないと、どんどん厳しくなります。若い人からベテランまで人数がいないと、いろいろな現場に対応できません。」
「中小企業なりのやり方はあるんだろうけどね。」
「少人数でなんとかなるほど、今の経営は単純ではないんです。例えばインターネットなしでは仕事にならない時代ですから、60過ぎの社長と奥さんでは頑張っても頑張ってもどうしようもないでしょ。」
「うちも、若い後継者がいてくれれば、もう少し考える幅ができたと思うんだよね。」
「人手不足っていいますけど、手数と頭数がそろってもOKではないと思います。優秀で多様な人材が、それぞれいいところを持ち寄って頑張っている企業は、なんと言っても強いですね。」
木南社長ぐらいのベテラン経営者は、みんな話が長い。なかなか開放してくれない社長に、次があるからと言って席を立ったのは、お昼をだいぶ回った時間だった。
「直接お話しを聞けてよかったです。」
丁寧にお礼を言って、別れを告げる。企業は継続するのが前提であり、調査員は一度会った経営者と長い付き合いとなることが多い。だがおそらく、この社長と会うことはもうない。